第3話 疑惑 前編

 ドアの方を見る。気のせいかと思ったが、もう一度ドアがノックされる音がした。田辺はスマートフォンを胸ポケットに入れ立ち上がり扉の前まで来る。もう一度ドアがノックされる。一呼吸おいてドアを開ける。

 そこにいたのは先程、会議室で総支配人と紹介された瀬田だった。


「どうかされましたか?」

「少しお話があります。今よろしいですか」


 今、会いたくない人物の一人だ。田辺は失礼にならない最低限の対応をする。低姿勢にも映る瀬田の態度だが、田辺に断る隙を与えない雰囲気でもある。仕方なく、田辺は瀬田を部屋に入れた。


 田辺は部屋の真ん中にあるソファーに瀬田と向かい合って座る。


「お話とは」

「柏木さんのことです。社長からは詳しく説明がありませんでしたが不正についてはまだ完全に解決したわけではないのです」

「解決していない? どういうことですか」


 柏木の不正は解雇されて終わったものだと思っていたがそうではなかったのか。


「柏木さんの不正は、柏木さん一人ではできない内容でした」


 瀬田は田辺の反応を見ながら話をしてくる。田辺は付け入る隙を与えないように表情を変えずに聞く。ここで柏木が不正をしていないと言ったところでどうかなるわけでもない。それに柏木の疑惑を晴らすためにはどんなことがあっても自分はここに留まらなければいけないことは十分すぎるほど分かっている。社長や瀬田への不信感を隠し上手くやらなければと自分に言い聞かせる。


「柏木さんがした不正は別館の顧客に対してでした。別館に関して柏木さんが一人でそこまで出来るとは考えられません」

「どういうことですか?」


 確かに別館の顧客に対して何かするのは柏木でも難しい。それも一人ではなく何人もとなると尚更だ。誰か共犯がいないと出来ないことは田辺でも分かる。田辺が疑われているのかと思ったが、別館というキーワードですぐに自分が疑いの対象になるとは考えにくい。慎重に瀬田の出方を見る。


「宇佐美響子さんが共犯だと考えています」

「宇佐美が?」


 田辺は思ってもいなかった名前を出されて一瞬、頬が引きつったのが分かる。しまったと後悔した。すぐに表情を戻して悟られないようにする。瀬田は気にするそぶりもなく持っていた鞄から書類を出し、それを田辺に見せた。


「そうです。これを」

「これは?」

「柏木さんが不正をしていた顧客名簿です」


 田辺はその書類をみると、そこには田辺も知っている別館の顧客の名前が載っていた。


「この人たちに不正をしたと言うことですか」


 田辺は何度もその名簿を見なおし、ふとあることに気づき、慎重に聞く。


「そうです。ここに名前のある方全員に確認が取れました」

「確かに別館の顧客であれば柏木だけでは不可能ですね」


 田辺は瀬田に合わせて話を進める。状況から見ても別館の誰かの協力なしにはこの不正は出来ない。しかし、それがどうして響子なのか気になった。


「この顧客を担当していたのがすべて宇佐美さんだったのです」


 瀬田は疑うだけの理由が響子にあると言いたいようだ。


「この顧客すべての担当が宇佐美ですか?」

「そうです。他の方は担当していませんでした」


 別館は基本、担当が一人つくとチェックアウトまでその担当が見ることになっている。それを考えると響子が担当であればサービスや料金等も把握していて当然だ。響子が共犯という理屈はあってくる。


「宇佐美さんについては現在調査中です。このことはご本人には内密でお願いします。証拠を隠されてはいけないので」

「調査中とは?」

「内容までは申し上げられませんが宇佐美さんが関わっていたという証拠を集めています。副支配人も何か気がついたら教えていただけますか」


 瀬田は田辺を響子の監視役にでもするつもりなのかと思ったが、それをここでいうのは躊躇われた。


「どうして、私に言うのですか? もしかしたら私が共犯かもしれませんよ」


 田辺はわざと言ってみた。どんな反応をするか?


「田辺さんは共犯ではありませんよ。そこもしっかり調べさせていただいています」

「分かりました」


 嫌な汗が出てきた。これは脅しか?田辺は無難な返事をした。


 田辺は今回のことは単に社長の言いがかりだと思っていた。こんな時、いつもなら社長の父親である会長が止めに入ってくれるのだが今日の発表を見る限り会長も柏木が不正をしたと思っているのだろう。会長をあてに出来ないと悟った。

 瀬田の話からすれば、柏木が戻れる方法は今のところない。ここまでの証拠を出されれば柏木が戻る方法は皆無に等しい。それも、響子もその不正に関わっていたとなると尚更だ。このままでは響子も解雇されることになるのだろうかと田辺は考えた。その前に、本当に響子が共犯なのか?

 響子も不正に関わるようには見えない。それに、柏木とそんなことをするほど親しかったのだろうかと田辺は考えたが、そういう素振りはなかったと思う。あくまで上司と部下の関係だ。

 この間、社長と瀬田が別館で響子を見ていたのはこのことだったのだと気づいた。二人を結びつけるものが何なのか分からないが、田辺は別のことが気になっていた。


 証拠の名簿は大事なものなのでと瀬田が持って帰った。それならと田辺はデスクのパソコンを操作して、先程見た名簿の顧客リストの覚えている限りの顧客を調べた。

全員が響子の担当だった。しかし、やはり田辺の記憶にある内容と違っていることがある。田辺の記憶違いなのかはっきりと言い切る自信がない。そう言えば、瀬田は柏木が不正を認めたとは言っていない。証拠があるとだけだ。証拠だけで解雇に追い込んだのか?もしそうなら響子も危ない。いつ証拠を突きつけられて解雇に追い込まれないとも限らない。


 田辺はそもそも柏木が辞めることになった時のことを何も知らなかった。社長の古瀬と瀬田が言っていた不正が発覚したから解雇されたと言うことだけだ。

 社長に総支配人室に呼び出された前日、田辺は休みだったのでどういういきさつだったのか詳細が分からないままでいた。

 前日の柏木の行動が分かれば何があったのか知ることも出来るのではないかと考えた田辺は部屋を出て本館へ向かうことにした。下手に動かない方がいいに決まっているが、柏木を救うためならどんなこともする。それは田辺自身がこの先もずっと柏木について行くと決めていたからだ。

 柏木が総支配人になった時、副支配人にと言われた。自分に出来るか不安もあったが、柏木の下なら出来るような気がした。自分はまだまだ柏木に教わることが沢山ある。戻ってきてくれないと田辺が困るのだ。


 先程、社長と瀬田は帰ったことを確認しているのでこちらの行動を怪しまれることもないだろう。本館のフロントへ行くと菅田がパソコンを見てなにやら操作している。近づいて菅田に声をかけた。

 菅田は田辺をみて少しお待ちくださいと言って周囲にあるファイルを手際よく片付ける。


「外に行きましょう」


 菅田に言われ、二人でフロントから本館の外へ出る。


「ここなら何を話しても大丈夫です」


 本館の入り口から離れた場所で菅田が言う。周囲には誰もいない。田辺が何を聞きたいのか分かっている様子だ。


「柏木さんの事を聞きたい」

「いつ聞いてくるかと思っていました」


 菅田の答えはあまりにもあっさりしていて拍子抜けするくらいだった。菅田の行動から柏木が不正をしたと思っていないのが分かる。

 田辺は柏木が不正をした証拠が見つかって解雇されたと聞いた経緯を菅田に話した。響子の共犯説を除いて。菅田はどう考えるかも興味深い。


「前日ですよね」


 菅田はそう言うと考える。


「そう言えばあの日、柏木さんはかなり遅くまで残っていたようです。それに社長も来られていました」

「何時頃だ」

「十一時過ぎです」

「そんなに遅くにか」

「夜、入り口のゲートを閉めに行った時、駐車場に社長の車がありました」


 ゲートとは一般道とホテルの敷地の間にある入り口のゲートのことで、不審者が入りこまないよう早朝と夜に開けたり、閉めたりしている。


「その時、何か変わったことはなかったか?」

「何もありませんでした。柏木さんが遅くまで残っている時は、大抵何か問題があるときですが、特に何も言われませんでしたから、おかしいと思っていました」


 柏木がどうして残っていたのか気になったが、その時に不正の話が出たのだろう。


「このことはあまり騒ぎ立てない方がいいな」

「これからどうしますか」


 菅田が聞いてきた。


「何かあれば頼むことにする。それまでは動かないでほしい」


 今のところ菅田まで疑われることはないと思うが、出来るだけ目立つことは避けたかった。菅田もその事を察したようだ。


「分かりました」


 菅田はそのまま本館へ戻っていった。


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