第2話 不正 後編

 田辺は柏木のマンションへと向かう。

 ホテルを出る時にも柏木に電話をしたが、やはりすぐ留守電になってしまう。伝言を残して電話を切った。

 どうして電話に出てくれないのか。もしや本当にやましいことがあるのだろうかと少しだけ疑ってしまう。


 柏木のマンションはホテルから車で二十分程のところにあり、田辺はマンションの近くまで行き、コインパーキングに車を止めマンションまで歩いて行く。もうすぐ春だと言うのに夜はまだ肌寒い。今日は少し風が強いので余計に寒さを感じるのかもしれない。

 田辺はコートの襟を立てて首元を覆う。マフラーも持って来ればよかったと後悔する。

 田辺はもう一度今朝のことを思い出していた。

 社長の言うような不正を柏木がしたのか疑問だった。田辺が知っている柏木はそんなことをする人物ではない。

 田辺は柏木に直接会って、何があったのか訊くまでは柏木が不正をしたという言葉は信じたくないと思っている。


 柏木の部屋の前まで来るとインターホンを押す。

 来客を告げる音が部屋の中で鳴っているのが聞こえる。しかし、反応はなかった。やはり帰っていないのか。なんとなく想像していたことなので納得してしまう。

 田辺は持っていた手帳の一ページを破り、手紙を書きドアポケットへと入れマンションを後にした。

 柏木はどこで何をしているのか。振り返り柏木の部屋のベランダをみる。しかしカーテンが閉められた窓からはなにも感じることは出来なかった。

「柏木さん、どこに居るのですか」

 田辺は小さく呟く。


○○○

 柏木が解雇されたと聞かされてから十日ほど経った夜、社長から柏木のことを話すと連絡が入った。

 実は数日前に、役員会が開かれたと聞いていた噂に聞いた。どうやらその場で、柏木の解雇と瀬田の総支配人就任が承認されたらしい。

 社長にしては珍しく、手順を踏んだと言うことなのだろう。やはりいつもの社長ではなかった。

 役員会で柏木の解任が承認されたということは、簡単にそれを覆せなくなったことを意味する。柏木が不正をしていないという確かな証拠がなければ柏木が戻ることは出来ない。

 田辺は未だ、柏木と連絡が取れていないことに焦っていた。どうしたら柏木の不正が無実だと証明できるのか。だが、柏木の口から直接聞けていないので本当に無実かどうかも分からない。田辺の希望的観測なのか。早く、柏木の口から違うと、無実だと聞きたい。最近は毎日その事ばかりを考えている。


 二日後、田辺は社長に言われたように、各部門の責任者を総支配人室の隣にある会議室に集めた。

 この部屋は総支配人室にも隣接して作られており普段は大きなテーブルと椅子が並んでいるが今日はそのすべてを片付けられて三十人ほどが集められた。


 その中には響子や菅田もいる。呼ばれた者は何があるのかとヒソヒソと話している。

 田辺に何があるのかと尋ねてくる者もいたが、社長自身がここでみんなに説明をするので話すなと言われていたので田辺も何も知らされていないと言うしかなかった。


 社長から話される内容は、どんなものになるのか、またここに集められた人たちはどんな反応をするのか気になった。

 社長の古瀬と瀬田は窓側に立って話し込んでいる。二人の様子を田辺は見ていた。   集まった人たちも瀬田の存在が気になるのかチラチラと見ているのが分かる。

 時間にとなり、田辺は周囲を見渡す。ここに集まるように声をかけた人たちが全員いるのを確認して社長に声をかける。

 社長と瀬田がみんなの前に並んで立つ。田辺は少し離れて全体が見渡せるように壁を背に立った。


「今日、ここに集まってもらったのは、先日の役員会でここにいる瀬田さんが総支配人に就任したことを報告する為です」


 社長の言葉に、集まった人達がどういうことかとざわつき始めた。柏木さんはどうしたのかとどこからか声が聞こえてくる。

 社長は周囲のことはお構いなしに話を続ける。


「今まで総支配人をしてくれていた柏木君だが不正が発覚したため解雇した」


 柏木の解雇の言葉で皆が口を噤む。皆が戸惑う様子が伺えた。今までの社長のやり方を知っている者たちからすれば、それが何を意味するのか理解できただろう。

 その証拠に社長の表情や声からは喜んでいるのが感じられた。やはり嫌な男だ。瀬田を見ると特に表情を変える様子も見られない。


 菅田を見ると表情からは何も読み取れない。ただ、社長の話を聞いているだけにみえた。響子はというとこちらは険しい表情で社長を見ている。田辺は後が怖いなと目を伏せた。

 社長の隣に立つ瀬田が先ほどから挨拶をしているが、その言葉は田辺には入ってこなかった。あの二人からは事情を聞かれるだろう、どう答えるべきか……。考えを巡らせるがいい案は浮かばない。


 社長と瀬田はここに集まったホテルの従業員の気持ちなど気にもしていない。ただ、自分たちの想いだけを話し続ける。

 集まった人たちは何処か冷めた様子でただこの時間を静かにやり過ごすだけのように見えた。

 田辺は集まった人々を一人ずつ眺めていた時、視線を感じてその先を見ると響子と目が合った。

 響子はきっと、田辺にどういうことか聞きたいのだと思う。それがひしひしと感じられる視線だった。


 気がつくと瀬田の挨拶は終わっていて社長がいくつか今後の事を話していた。それによると瀬田は総支配人に就任したが、ここに常駐するわけではないと言っていた。どういうことかと見ていたがそれについての説明はなかった。

 社長の話が終わり解散と同時にみんなが部屋を出て行く。田辺もそれに倣い出て行く。

 田辺は響子が何か言いたいことがあるように見えて、身構えていたが解散後、響子はそのまま別館へ帰って行った。響子と菅田は柏木の不正のことをどのように受け止めたのか気になる。

 瀬田と古瀬は総支配人室の鍵を開けて部屋へと入って行く。田辺も隣にある副支配人室に入り扉を閉める。

 柏木が解雇されたと聞かされた日から総支配人室は鍵がかけられていて入ることが出来なかった。どうやら二人は総支配人室にあった書類を持ち出していたようで、一部が今日、田辺に返された。

 柏木に渡していた書類もいくつかあったが、それは返ってくることはなかった。不正の証拠を探していたのだろうか。

 田辺は部屋の中央に置かれたソファーに座る。体中の力が抜けていくのが分かる。自分でも気がつかないくらいに緊張していたようだ。

 両手を顔の前で組み、体は前かがみになる。

 柏木の解雇を告げられた時にいつもは柏木の机の上に書類が積まれているのだがそれがなかった。

 あの日、二人は書類を持ち出していないので、考えられるのはその前日、柏木に解雇を告げた日に書類を運び出していたのだ。手際が良すぎると感じた。

 柏木はどんな状況で不正を認めたのか、田辺は何か引っかかった。そもそも柏木が不正を認めたと言っていたか?

 田辺は記憶を探る。他に何か変わったことはなかっただろうか。解雇を告げられた日の総支配人室、ホテルの従業員、何より瀬田と古瀬の様子を順に思い出してみる。何処かおかしなところはなかったか。

 こんな時、菅田ならしっかりと覚えているはずだ。だが、それを今聞くわけにはいかないと思いなおし、もう一度、記憶を手繰り寄せるように思い出す。

 総支配人室の机の上、椅子、窓、テーブルにソファー、本棚、奥の部屋に続く扉。

そう言えば、本棚の本が少し乱れていた気がした。前、あの部屋に入った時、本棚の本はあの並び順ではなかったはずだ。もしかして、本棚の本まで調べたのか?

 不正の証拠がそこに隠してあったとでもいうのか。どんどん分からなくなる。だが、はっきり言えることは、総支配人室を全て調べる必要があったと言うことだ。

 柏木が不正をしていなかったとしたら、総支配人室に何があったのか、何を調べようとしたのか疑問が残る。それに瀬田は不正が発覚したと言っていただけだ。認めたとは言っていない。それならまだ覆せる余地はあるのか。

 胸ポケットに入っているスマートフォンを見る、あれから何度か柏木に連絡を入れたが繋がらなかった。

 柏木の家にも行ったがもう何日も帰ってきていないようだった。

 もう一度スマートフォンを手に柏木に連絡を入れようと指を動かしかけた時ドアをノックする音が聞こえた。

 緊張が走る。


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