第三十二話 母
クーデター鎮圧から一ヶ月が過ぎ、対アルジュナの為のヨルバウム帝国軍十万も王都シュライゼムに集まった。
指揮はクルトが務める。
対アルジュナ連合軍の司令官もクルトが務める事になった。
他の国々の軍勢も中央大陸に結集し始めている。
その数合計で六十二万。
この戦力を持ってオルファーストに突撃する。
先頭で進むのはヨルバウム帝国軍。
そして僕とセシル、ナギさん、キルハ、チェルシー、イルティミナ先生、パラケルトさん、ヨルファングさんは、オルファーストの現状を先立って偵察する任務をクルトから受けた。
ジアスとローナはヨルバウム帝国軍に救護兵として参入している。
僕ら八人はパラケルトさん製の魔導自動車二台をヨルバウム帝国の南に走らせる。
途中でセシルの実家に寄り、近況報告をして再び南に魔導自動車を走らせると、一週間で僕の故郷ディスタの街に到着した。
空も暗くなってきたので、今晩はディスタの街で一泊する事にした。
最後に帰ってきたのは二年前。
その時はステラと一緒に娼館まで挨拶に行った。
今回はステラは居ないけど、娼館に挨拶に行く事にした。
それを宿屋の食堂で談話している皆に伝えると、セシルがついてくると言い出した。
どうも僕とステラの恩人である女将さんに会いたいらしい。
ついてくるのを了承して、歓楽街に入り、娼館に向かうと、相変わらず見た目が強面のジェイクさんが娼館の前に立っていた。
僕は懐かしい顔を見て笑顔で駆け寄る。
「ジェイクさん、久しぶりです」
「おぉ、ルートヴィヒか!! ···いや今はまずい」
ジェイクさんは一瞬喜んでくれたが、すぐに眉間に皺を寄せる。
「ルートヴィヒ、会えたのは嬉しいが、今は娼館には入れられないんだ」
「何でですか? 僕は女将さんや他の皆にも会いたいんですけど」
「と、とにかく今はまずいんだ。後でお前が泊まっている宿屋まで女将さんと向かうから今はここから去ってくれ」
ジェイクさんの必死な様子を見て、泊まっている宿屋を伝えて去ろうとしたけど、娼館のドアが開き、そこから忘れもしない懐かしい顔が現れた。
「ジェイク、何の騒ぎ? 店内まで聴こえてい···るわ?」
ジェイクさんに声をかけた女性は僕の顔を見て固まっている。
固まっているのは僕もだ。
何故なら彼女は···。
「その金髪に碧の瞳···。ルートヴィヒよね!? ルートヴィヒでしょ!?」
彼女は顔を破顔させ僕に近寄ってくる。
彼女が僕に笑顔を見せるのは初めてだ。
僕は未だに身体を硬直させている。
彼女に何を言えばいいのかわからないのだ。
「ルートヴィヒ!! 賢いあなたなら私が誰だか覚えているでしょ?」
「···お母···さん」
彼女の言葉に思わず答えてしまった。
彼女――母は僕がお母さんと呼ぶと、嬉しそうに僕を抱き締める。
「会いたかったのよルートヴィヒ!! 私の愛しい子!!」
何だこれは? 僕の知っている母は僕に笑顔を向けないし、抱き締めてくれた事もない。
誰だ? これは誰だ?
姿形は母だ。だけど、僕を愛しい子だなんて母は言わない。
混乱していると、ジェイクさんが僕から母を引き剥がそうとしている。
「ミーシャ!! ルートヴィヒから離れろ!! ルートヴィヒが困っている!!」
「ルートヴィヒが困る? 何でよ。久々に母親に会えたんだから嬉しいに決まってるじゃない! ね、そうでしょルートヴィヒ?」
僕に笑顔を向ける母親に何も言えずにいると、騒ぎを聞きつけた女将さんが杖をつきながら娼館から出てきた。
「そこまでだよ、ミーシャ!! ルートヴィヒから離れな!!」
「女将さん!? な、何で息子から離れないといけないのよ!!」
「いいから離れなミーシャ!!」
女将さんの怒号に怯み、渋々と僕から離れる母。
「ルートヴィヒ、驚かせてすまないね。とりあえず私の部屋へ来な」
言われるがままにセシルと一緒に女将さん後ろについていく。
その際にセシルの顔を見たけど、不機嫌そうな表情をしていた。
女将さんの執務室に入ると、女将さんは深い溜息を吐き、僕に頭を下げる。
「すまなかったルートヴィヒ」
深々と頭を下げる女将さんに僕は動揺してしまう。
「ど、どうして女将さんが謝るんですか?」
「それはミーシャを再びこの店で雇ったからだよ」
「!? 母を雇った? ちょっと待ってください。母はここで働いていた男性と姿を消したんですよね? 何でまた雇う事に?」
「それはね、男に捨てられて行き場をなくしたらしくて戻ってきたんだよ。···あの子は確かに突然姿を消して店に迷惑をかけた。だけどね、あの子は子供の頃からこの娼館で働いていた私の娘の様な存在でもあるんだ。。あんたを捨てたろくでもない娘だけど、それでも見捨てる事はできなかった。許しておくれ」
また老けて身体が小さくなった様に見える女将さんは深々と僕に頭を下げる。
「頭を上げてください。女将さんは何も悪くありません」
「だけど、あんたがまたこの店に顔を見せるのがわかっていてあの子をこの店に置いていたんだ。あんたにとっちゃ辛いだろうに」
申し訳ない表情をしている女将さん。
「確かに母が居たのには驚きました。だけど、女将さんは何も悪くありません。女将さんは良心で動いただけなんですから」
そう言うと、女将さんは再び頭を下げる。
「ありがとうルートヴィヒ。あんたはやっぱり優しい子だね。でもミーシャに会うのはやっぱり辛いだろうから会わずに帰りな。そしてもうここには来ちゃいけないよ」
「な!? 何でここに来ちゃいけないんですか!?」
「ここに来ればミーシャにまた会う可能性もある。あんたはその度に捨てられた事を思い出すんだ。そんな辛い事させられない。かと言って私はミーシャを店から追い出せない。だからもう来ちゃいけないよ」
「···そんな」
僕は女将さん達にもう会えなくなるのがショックで言葉を詰まらせる。
そんな僕を見てセシルが僕の肩に手を置く。
「ルゥ、俺も正直ここにはもう来ない方が良いと思う。来ても辛い事を思い出すだけだ。だからもう帰ろう」
僕の肩に置いてあるセシルの手に力が籠もる。
セシルは僕の事を心配してくれているのだ。
「···わかりました、今日は帰ります。だけど、女将さん達に会えないのは嫌なので娼館以外で会うのは駄目ですか?」
女将さんは一瞬目を丸くした後笑顔になる。
「···まったくあんたって子は。良いに決まってるだろ!! 私だってあんたには会いたいんだ」
女将さんの言葉が嬉しくて僕は笑顔になる。
「そうですか、ならまた会いましょう」
「ああ、そうだね。また会おう」
女将さんと握手をして帰ろうとすると、女将さんに引き止められる。
「ルートヴィヒ、ところでステラは? それに突然空中に現れたアルジュナって奴はステラに似てた。何かあったのかい?」
女将さんは心配そうな顔をしているので安心させる為に嘘をつく。
「ステラはアルジュナという少女とは何も関係ありません。ステラは今遠くへ勉学の為に旅に出てるんです。でももうすぐ戻ってくる予定です。だから安心して下さい」
僕は嘘をついた事に罪悪感を覚えながら女将さんに笑顔を向ける。
「···そうかい。ルートヴィヒがそう言うのならそうなんだろうね。わかったよ、次はステラと一緒に会いに来なよ」
「ええ、そうします」
女将さんとの会話を終えて執務室から出ようとドアを開けると、そこに母が居た。
「ミーシャ、何でそこにいるんだい!?」
「女将さん酷いわ。何で長い間離れていた息子と会っちゃいけないの?」
どうやら母は女将さんとの会話を盗み聞きしていたらしい。
そんな母に信じられない様なものを見る目を向ける女将さん。
「何を言ってるんだいミーシャ!! あんたがルートヴィヒを捨てたからだろ!!」
「捨てたって人聞きが悪いわ。長い間お留守番してもらっていただけよ。そしたらルートヴィヒは居なくなっちゃってるし、心配したのよルートヴィヒ」
何を言っているんだこの人は? 僕は確かに捨てられた。なのにこの人は何もなかったかの様に笑顔を僕に向ける。
「そしたら、ルートヴィヒは十二星王って凄い人になっているし、ヨルバウム帝国の男爵になったんでしょ? 新聞で見て知っているんだから!!」
···あぁ、そうか。僕の地位が目的か。
だから笑顔を向けてくる。小さい頃は一度も向けてくれなかったのに。
僕は困惑しながらも本当は笑顔を向けられて嬉しかったんだ。
なのに見ているのは僕ではなく僕の地位か。
落ち込んでいる僕に気付いていないのか母は喋るのを止めない。
「捨てたと勘違いさせたのは悪かったわ。でもこれからは一緒に暮らせるわよルートヴィヒ。さぞきらびやかな生活をしているんでしょうね。楽しみだわぁ」
僕は欲塗れの母を無視して宿屋に戻ろうとするけど、隣に居たセシルが怒りの形相で母に平手打ちをお見舞いした。
「痛っ!? な、何するのよあなた!!」
「黙って聞いていれば好き勝手言いやがって!! お前がルゥを捨てたせいでどれだけルゥが傷つき苦労したのかわかっているのか!? どんな思いで生きてきたのかわかっているのか!? ルゥが偉くなったから今更一緒に暮らす? ふざけるなっ!! 例えルゥがお前の事を許したとしても親友であるこのセシル·フェブレンが許しはしない!!」
「ひっ!? お貴族様!?」
母はセシルが貴族だと知って怯んでいる。
「もしまたルゥに近付くようならこの俺が只じゃ済ませない!! 覚悟しておけ!!」
母はセシルの剣幕に怯え土下座している。
そんな母に僕は声をかけない。
声をかけてしまったら母を許してしまうかもしれないからだ。
それに僕にはステラという一番大切な存在が居る。
だから僕はステラと平和な日々を送る為にアルジュナを倒しに行くんだ。
土下座している母を無視してセシルと共に宿屋へと向かった。
宿屋への帰り道で星空を見ながら思う。
欲に塗れた笑顔だったとしても嘘の笑顔だったとしても、それでも僕に笑顔を向けてくれた事は嬉しかったんだ。
さようならお母さん。
僕は心の中で母に別れを告げた。
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