果てなく続く戦場で、血濡れた姫は高らかに笑う
夜桜カスミ
0 百五十年続く戦争の戦場
激しく雨が降っている。
土の地面は泥となってぬかるみ、足を運ぶ都度泥が跳ねて、走っている学生魔導士達のズボンの裾を汚す。
何度も足を取られかけるが、意地でも転ばないとなんとか体勢を取って走り続ける。
足を止めない理由。それは、足を止めた時点で死が確定してしまうからだ。
死にたくないから走り続ける。なにせ、背後から死神が仄暗い口をこちらに向けているのだから。
「この先に遮蔽物の多い場所がある! それまでなんとしてでも持ち堪えるのだ!」
そう叫びながら自分の受け持つ学生魔導士達に指示を出すのは、ハロルド・オースティルという男性魔導士。
普段は魔導士育成機関である魔術学院の教官として働いているが、正規の魔導士でもあるのでこうして戦いに出ることがある。
そんな彼だが、基礎中の基礎すら忘れた授業のやり方に、可愛い女子生徒ばかりに目をつけるため学院の生徒からは無能教官と陰で蔑まれている。
本人はそんな不名誉な評価を生徒たちから頂戴しているとは露知らず、数日前まで学院にいる十六から十八歳のうら若い乙女達を、値踏みするように舐め回すようにじっくりと、ナメクジのような目でぬらぬらと見ていた。
「ば、バカな……!」
不本意ながらもハロルドについて行くと、案の定遮蔽物など何もない場所に出た。
あちこちが焼けており、高い木々や大きな岩は吹き飛ばされていて、身を隠す場所などどこにもない。その上、しかも足を止めてしまっているので侵略者達からすれば、まさにカモ撃ちの状態だろう。
ハロルドに気付かれないように後ろにいる同級生達にハンドシグナルで指示を出して、後方の警戒を行わせる。
「教官! このままここで足を止めると、奴らにとって格好の的になってしまいます! 別に遮蔽物の多い場所を探しましょう!」
「黙れ! このオレに学生風情が指図するな!」
会話すら成り立たなさそうだと、内心で溜息をつく男子学生魔導士。果たしてどこまで無能なのだろうかと、考えざるを得ないほどに呆れてしまう。
直後、微かに耳に届く乾いた音。それは戦場では非常に聞き慣れたものだ。
「全員回避、および防御魔術を使用しろ!」
「貴様っ! 勝手に指揮を執るな! 指揮官はこの———」
咄嗟に防御か回避をするように指示し、それに食らいつき唾を飛ばすハロルド。
瞬間、ハロルドの体がいきなり肥大化して内部から破裂。
血と臓物が辺りに飛び散り、そんな惨たらしい死を迎えたハロルドを目の当たりにした女子生徒が、顔を真っ青にして気を失うか胃の中の物を吐き出してしまう。
「指揮官より学生の方が判断力高いって、極まってんな」
少し離れたところから、白煙の上がっている銃を持った男が姿を表す。着ている軍服は灰色で、胸元には大きな牙を持った蛇の紋章。
「インヴェディア……!」
その紋章は、ハロルドやその部下だった生徒達が所属している国、マーセリア王国と呼ばれる国と百五十年以上もの間戦争を続けている敵国、侵略国家インヴェディア帝国のものだ。
マーセリア王国は、豊かな資源に加えて国民のほとんどが魔術を使うことができる魔術大国。世界中から魔術を学びに留学生が来るほど、魔術水準や生活水準が高い。
世界のものは全て帝国のものと言わんばかりの強欲さを持つ帝国が、王国に目をつけないはずがなく、百五十年前に宣戦布告も無しにいきなり戦争をふっかけて来た。
「おーおー、随分と若い雛鳥達がいるじゃないの。お、しかも良さそうな小鳥ちゃんもいるぜ。なんで学生部隊を襲撃せにゃならんのかと思ったが、案外悪くない命令だったな」
「全くだ。それに、最前線じゃなくてここに送り込んでくれた我らが指揮官にも感謝しないとな。あそこには今、白い死神がいるだろうしよ」
次々と、魔術を使って身を隠していたのか、インヴェディアの魔導士が姿を何もない場所から表して行く。
その数、およそ二十。たかが学生部隊を制圧するにしては、あまりにも多い数だ。
学生とて、魔導士になるための訓練を積んでいる。当然、軍用の魔術も多少は覚えている。なので、たとえ十五や十六の少年少女の学生魔導士でも、侮れば簡単に命を奪われてしまう。
「男には用はない。だが、女は別だ。ここで震えながらオレ達の前で服を全部脱いで、服従するって言うのなら命の保証をして最低限の衣食住を提供してやらないこともないが」
肩から長銃を下げている、栗毛でショートボブの少女を見ながら、厭らしい笑みを浮かべて言う帝国兵。
向けられる情欲の目。それに怯えて、女子生徒は一歩後ずさる。
それを見てさらに歪んだような笑みを浮かべると、動きを封じるために右手に持っているリボルバーを向けて発砲。
真っ直ぐに弾丸が少女の足に向かって飛翔するが、その前に貼られた結界でひしゃげて地面に落ちてしまう。
「仲間には手を出させない!」
結界を貼ったのは、その少女の後ろにいた別の少年だ。やや武骨な印象を受ける鈍色の杖を掲げており、先端からは複雑怪奇な魔術法陣が現れている。
「邪魔すんじゃねぇよ、モブが。男には用はないって言ったろうが」
額に青筋を浮かべた男が、結界を貼った少年に怒りのこもった目を向ける。
銃口に巨大な魔術法陣が現れるなり、上に掲げて発砲。
なんの意味があるのかと僅かに呆けると、その意図を遅れて理解して防御に全力で魔力を消費する。
数拍後、一つの熱塊が隕石のように降ってくる。
魔導士でも学生。ひよっこの結界など簡単に破壊されるが、捕まえること前提らしく威力が加減されている。誰も死にはしなかったが、重傷を負って動けない。
「おいおい、せっかくいいカモがいるってのに、ここまでしなくたっていいだろ」
「安心しろ。誰も死んじゃいない。男は後で殺すとして、女をここに集めろ。丁度持ってきている強制服従の首輪を着けて、オレ達の奴隷にしてやる」
力の圧倒的すぎる差を見せつけられて、魔術による怪我とその差によって自信を粉砕させられた生徒達は、物理的にも精神的にも立ち上がることができなかった。
男子たちはここで殺され、女子は定刻に連れていかれて安娼婦のように体を売ることになるのだろう。
「……あぁ? んだよ、いいところだってのに」
そう思い涙を流していると、生徒全員を先頭不能にした魔導師が苛立ったように耳に着けている通信魔術道具を起動させる。
「どうした。こっちは今忙しいんだよ」
『ば、化け物だ! 化け物がいるんだ! 誰でもいい! 頼む、助け……う、うわぁああああああああああああ!!』
男の繋いだ通信機から、身の毛の弥立つ絶叫が鼓膜を震わせる。戦場でもはっきりと声を聞くために少し音量を上げていたので、その絶叫に顔を歪ませる。
「おい、どうした!? 化け物って一体なんだ!」
男の連れてきた部隊の魔導士達は、かなり優秀な者達だ。それこそ、精鋭部隊であることを自負するほどには。
そんな部下の一人が、まるで何かに本気で恐怖するような悲鳴を上げていた。何度も呼びかけるが、応答はない。
「隊長! 何かが猛スピードで接近中です!」
「何だってんだ! 散開!」
近づいている何かを察知したのか、インヴェディア魔導士二十名が隙なく構える。
広げた索敵魔術には、確かに何かが猛烈な速度で接近している。マーセリアの魔導士かと思ったが、それにしては魔力反応が低い。
一体何なんだと訝しんでいると、不意に魔術を使用した反応を感知し、その直後に反応自体が消失する。
いや、消失したのではない。気付けないうちに、その反応自体が移動していた。
「上だっ!」
ビリッとした殺気を全身に感じ、弾けるように地面を蹴って離れる。他の魔導士も感じたようで、顔を若干青くしながらその場から離れた。
その数瞬後、一発の弾丸が地面に突き刺さった後に、紫電を辺りに撒き散らす。威力が特別高い訳ではないが、ほんの僅かに体が硬直する。
そしてその一瞬は、戦いにおいて致命的な一瞬だ。
「ごばっ!?」
「がぶぁ!?」
その一瞬の硬直を突いて、白と黒の疾風が駆け抜ける。ほとんどは辛うじて動けたが、不運にも二人がその風の餌食となった。
胴体が綺麗に上半身と下半身に分断された挙句、更に即死させるかのように心臓辺りに深い刺し傷が刻まれている。
ほんの刹那のうちに、二人の優秀な部下があっけなく命を絶たれた。
「へぇ。今ので半分くらい仕留めるつもりでいたんだけどなぁ」
部下だった死体の側でゆるりとその手に持っている、あまりにも禍々しい得物をおろしながら、戦場にはおよそ似つかわしくない美しいプラチナブロンドの長髪を持った一人の少女が、清涼で聴き心地のいいメゾソプラノの声で言う。
黒と赤を基調とした女性用魔導士の軍服を着ており、それがとても様になっている。
向けている瞳はサファイアブルーで、見る者を瞬く間に魅了してしまうほど整ったスタイル。
ミニスカートと黒のニーソックスの間からのぞいている健康的な白い太ももには、銃を収めるレッグホルスターが巻かれており、そこに銀色のリボルバーが収められている。
それだけなら魔銃使いと判断しただろうが、それを真っ向から否定する物を持っている。
それは、身の丈ほどはあるであろう鈍色の大鎌だ。すでに多くの人を斬っているのか、雨で流されているとはいえそれでもべったりと血が付着している。
服や髪にも返り血を浴びていて、どこかゾッとするような印象を受けさせる。
その少女の名前はシルヴィア・レイフォード。魔導学院二年生にして、特例で制限などはあるが第一魔導戦闘部隊に配属された才女である。
「……まさか、白い死神様がこんなに若い美少女だとは思いもしなかったぜ」
「あら、ありがとう。あなたたちに褒められても、全く嬉しくはないけれど」
ビュッと大鎌を振るって血を払い落とし、刃を地面に突き刺して手を離す。
「わたしはレイン・レイフォードとアリシア・レイフォードの娘、シルヴィア・レイフォード。十六だけど、第一部隊に配属されることになった若輩者よ」
まるで貴族の令嬢がするかのように、スカートの裾を指先でつまんで優雅に礼をする。
帝国魔導士たちは、レイフォードの名前を聞くなりピクリと反応する。その名前は、魔導士界隈ではあまりにも有名だ。
「お前、あのレイフォードの娘か。レイン・レイフォードの名前は聞いたことはないが、ジャクソン・レイフォードなら知っているぜ。そいつがお前の父親じゃないのか?」
レイフォード家は、マーセリアの中では非常に有名な魔導士兼研究一族の名前だ。
かなり特殊な魔術の研究をしており、その過程で自己加速系統魔術が誕生しており、スピードファイターの元祖とも言える。
もちろん他の魔術も優れており、戦場に出れば鬼神が如き活躍すると、マーセリアとインヴェディアの間では噂されている。
「あんな、年下の女の子に欲情して襲いかかって来る色情魔の豚の娘なんて、絶対に嫌」
本気で嫌がるような目をしながら、すぐに否定するシルヴィア。
「かなり嫌っているんだな。というか、十代の姪に欲情するとかヤバいな」
「えぇ、かなりヤバいわ。さて、こんなくだらない押し問答は終わりにしましょう。こうやって話しかけて魔術の準備をしているみたいだけど、そんなのやったって無駄よ」
そう言いながらタンッと右足の踵を地面に叩きつけると、ガラスが割れるような甲高い音を立てて何かが砕け散る。
「やっぱ気付かれていたか」
「上手く隠していたみたいだけど、あまり上手に隠すと却って不自然に感じるのよ。受け売りだけどね」
少し悔しそうな顔をしながら言い、地面に刺さっている大鎌の柄を握って持ち上げる。
奇襲を回避した十八名が油断なく杖や銃を構えると、シルヴィアも大鎌を構える。
その構えは実に様になっており、あの大きさの武器を振り回していることから体幹をかなり鍛えており、ついでに体もある程度鍛えているのが分かる。
体をある程度鍛えている女性は男にとって非常に優良物件で、一度味わってしまうとかなり癖になってしまう。
十六歳と年下だが、そうとは思わせないほどの美貌を持っている。
長いプラチナブロンドが雨で濡れて顔に張り付いていて、当然服もびしょびしょに濡れている。
下着は透けていないが服が濡れて張り付いているので、正直色気が半端じゃない。
これは後で楽しみがいがありそうだと、全員が厭らしい笑みを浮かべてシルヴィアの体を見ると、それを感じ取ったシルヴィアが雨の冷たさとは別に肌を粟立たせる。
「そう。あんた達もエロ叔父と同類ってことね」
「お前は年下にしてはいい体してるからな。今ここで降伏して、オレ達の奴隷になるっていうなら命と衣食住は保証するぜ?」
ピクリと整った柳眉が動くと、すっと大鎌を下ろす。
やはり命は惜しいようだと笑みを浮かべると、瞬き一つの間に姿を見失った自分の背後から、どちゃっと何かが泥の上に倒れる音がした。
振り返ると、首と胴が泣き別れしている部下だったものが三つ、泥と血の海に沈んで物言わぬ骸と化している。
「わたしの答えはこれよ。誰が好き好んで、あんた達の奴隷になるものですか」
「っ!?」
認識すら、できなかった。
ほんの瞬き一つの間に背後に移動されて、綺麗に首を刈り取っている。
ゴミ虫を見るかのような冷め切った目を向けられて、背中にゾッとしたものを感じる。
すっとまた大鎌を掲げると、自分の足元に魔術法陣を展開させて、自己加速魔術を発動。
ぬかるんでいるにも関わらず、強い踏み込みで間合いを詰め込んで、恐ろしい大鎌を振るう。
「どお!?」
所詮十六の小娘の振るう大鎌だと少し高を括っていたが、防ぐために貼った結界がたやすく突き破られて、刃が胴体に迫り来る。
まさかのことに思わず変な声を出して、不格好に後方に回避する。
チリッと大鎌の刃の先が服を掠めていき、もしこのまま油断していたら分断されていたと、冷や汗を流す。
「油断するな! この小娘、かなり危険だ!」
「言われなくても! なにせ、こいつがあの白い死神の正体なんだからな!」
己の得物に魔力を流して、魔術を発動させる準備に入る。剣そのものや銃口、杖の先に魔術法陣が浮かび上がり、魔術が放たれる。
できるだけ傷つけないつもりのようで、風や水といった魔術が飛来してくる。
それを一瞥し、小さく溜息を吐くと大鎌を大きく一振り。待機状態にしていた魔術が起動し、大火焔が自身に向かってきていた魔術を飲み込みかき消し、攻撃する。
男達は防御を張るなり回避するなりしてやり過ごし、次々と魔術を起動。生半な魔術では捕まえることができないと判断し、あとで治療することになるが多少の怪我は目を瞑ることにした。
「ホント、バカみたい」
シルヴィアはそれを上に跳躍することで回避し、体を捻って大鎌を鋭く振るう。風の刃が襲撃し、結界を貼って防ごうとするが結界ごと腕を切り落とされる。
その男に追撃と言わんばかりに、雷魔術が放たれて全身が炭化する。
「バカはお前だよ! 上に跳ぶとか、狙ってくださいっていってるようなものだぜ!」
男が魔術を放つ。空中では回避のしようがない。
防御魔術や結界を貼ればやり過ごせるかもしれないが、これも防御を超える攻撃をされれば、動けなくなるほどのダメージを負うことになる。
このまま魔術が当たれば、空中にいる少女は大きなダメージを負って動けなくなる。そうすればやすやすと捕まえることができる。
捕まえた後のことを妄想していると、彼らの期待は裏切られる。
「はぁ!?」
シルヴィアは大鎌を何もないところに振るうと、刃を支点に体が大きく弧を描いて移動する。
真っ直ぐ飛来していた魔術はシルヴィアのすぐそばを通り抜けて、虚しく空を裂いて彼方へと消えていった。
予想外にも、空中で回避されてしまい、判断が遅れる。
何度も大鎌を振るって振り子のように移動しながら回避し、氷軍用魔術の『
直後、辺り一面に襲いかかる寒撃。扇状に氷が放たれ、泥が凍り付き、降る雨も冷気に触れると瞬く間に氷になる。
基本四属の一つである水を基本としているその魔術の法陣は、シルヴィアが得意とする属性だ。
元々は軍用の魔術だが、戦争が長引いている現在は七割ほどの学生が使用することができる。
男の背後に降り、大鎌を振るう。男は左腕に防御魔術を集中させて、大鎌の刃と自分の胴体の間に割り込んで防ぐ。
がつんっとおおよそ人の体から鳴るようなものではない音が鳴り、大鎌を防ぐことはできたが、魔術的防御を僅かに突破されている。
「さっきもそうだが、お前はどうやら相手の意表を付く搦め手が上手いみたいだな。まあ、魔術的な補助を受けてそんなモン振るっているとはいえ、体格的にも実力的にもオレ達には劣っているからな」
「確かに絡め手は戦いで有用だからよく使うけど、これだけが得意ってわけじゃないわ。そりゃ長年魔導士やってるベテランには劣るけど、少なくともあんた達よりは上だと思っているわ」
「見栄を張ったって無駄だぜ。たかが学生魔導士風情が、正規魔導士を舐めるんじゃねぇぞ!」
ぐっと大鎌の刃が少し深く食い込むが意に表せず、強引に押し飛ばして距離を取る。
右手のリボルバーをシルヴィアに向けて、引き金を引く。
音を超える速度で飛翔する鉛玉は、肉付きの良い右太ももに向かって行くが、半身になって躱されて、そこから一気に近距離に持ち込まれる。
ヒュッと風を切る音を立てながら素早く大鎌を振るい、回避されても流れる川の水のように流麗に繋げて行く。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます