第3話 クビになった少女は腹が減る

河合悠里と、時刻を同じくしてクビと言い渡されてしまった、桜井桜子は、荷物を淡々とまとめて控え室を出た。


急ぎ気味だったのは、これ以上、貞子らほかのメンバーたちの顔を見るのも不快だからだ。自分をクビにしたこともだが、アイドルという仕事をバカにしていることがずっと不快だったのだ。


仕事、故に気持ちを押し殺して付き合っていたが、クビになった以上、一緒の空気を吸うのすら嫌だと思ったのだ。


「はぁ…ダメ元だけど、一応事務所に確認の電話をしておいた方がいいよね…」


普通に考えて、オーディションで募集をしておいて、半年も経たずに、理由も説明せずにクビというのはいくらなんでも無茶苦茶だ。もしや、あの性格の悪い貞子のいたずらという、淡い期待も持った。


しかし、結論は変わらなかった。とにかくクビですとしか説明されないという理不尽さである。正社員契約をしているわけでもない、個人事業主扱いだから、そんな簡単な言葉だけで切られてしまうのだろう。


いや、正直、桜子としては、今回の話、全く突拍子もないことを言われたわけではない、と心の何処かで納得もしていた。


このアイドルユニットに関して、1番発言権があるのは高井貞子の父親なのだ。貞子が桜子に突っかかってくるのはいつものことだ。だから、あることないことを父親に吹き込んで、桜子を辞めさせる方向に持っていっても不思議ではない。


「うーん。それはともかく困ったなぁ」


ライブが行われた渋谷道玄坂から、桜子は、宛もなく駅に向かった。とにかく気分を変えたいと考えている桜子は、いまホームに入っていたという理由だけで、山手線に乗りこむ。


乗り込んだ電車が、渋谷駅のホームから離れていくのをボーッと見ていた桜子は、肩を落として、大きなため息をつく。あまりの落ち込み具合に体調が悪いと思ったのだろう、営業中っぽい背広の中年サラリーマンから、席を譲られた。


幸い給料日のあとだったので、今すぐに生活ができなくなるわけではない。住んでいる家は持ち家だから、住みかを追われることもない。


しかし、アイドルとて霞を食べて生きているわけではない。生活していくためには、お金がいる。


それに、アイドルとして収入を得るにはそれなりに時間がかかる。アイドルを始めるのも、それが収入になるのも最低でも数ヶ月は必要だ。


「繋ぎでバイトしないとなぁ……」


ライブのときとはうってかわって覇気のない様子の桜子は、大きなため息を吐いた。


桜子はファンには常に喜んで貰おうと、人前ではキャピキャピしたアイドルらしい振る舞いを心がけている。ある意味、ストイック過ぎる考えではあるのだが、本来は極々普通の少女なのだ。


いまの桜子をファンが見ても、本人だとはまず気がつかないだろう。ステージでは焼け付くほどの燃え盛っていたオーラが完全に消えていた。


「次は秋葉原~秋葉原~」


完全に無になっていた桜子の耳に車内アナウンスが飛び込んできた。ライブがなくなったために、桜子には、今日の予定はない。1日くらい気分転換に当ててもバチは当たらないだろう。だから理由はないが秋葉原で降りようと思った。


「久々にメイド喫茶でも行ってみようかな…あれ?メイド喫茶で働いてみるのもありかなぁ???」


ファンを喜ばせるためのロールプレイングは桜子の得意技である。案外向いているかもしれない、と桜子は思った。


::::::::::


桜井桜子は、生まれも育ちも東京都練馬区で、公立中学、都立高校から、現在通ってる私立大学の芸術学部まで全て練馬区で完結してる生粋の練馬っ娘な女子大生JD2年である。


パッと聞けば恵まれていそうだが、実はそうでもない。両親は桜子が幼少のころに蒸発しており、父方の祖父母に育てられていた。


その祖母は桜子が高校2年、祖父は翌年に亡くなっている。父が一人っ子で、母方とは幼少の頃から連絡が途絶えているので、現在、桜子は完全な孤独の身である。


祖父母の家にそのまま住んでいるため、家賃はかからないが、相続などの関係で祖父母が耕していた畑は全て売った。


残った現金などは学費や固定資産税に回すことを考えると無駄遣いはできない。芸術学部は学費がかなりかかるのだ。


「でも、芸術学部に行くっておじいちゃん、おばあちゃんとも約束したしなぁ」


ぼへっと独り言を言いながら、秋葉原駅、電気街口の改札を抜けると、見知った顔が繁華街の方へ歩いていくのを見つけた。


「あれ?だれだっけ?うーん…」


何となくしか思い出せないので、そこまで親しい相手ではない。さて、いつ見た顔だろうか。


「うーん。うーん。あ、そうだ!たしか、煌めき☆とらいあんぐるの握手会に何度か来てくれていた人だった…名前なんだっけ…」


ようやく思い出して、何となく目で追ったが、中央通り方面へ歩いていきながら、人混みに紛れていくのを確認しただけだった。


「あ、たしか…ユーリさん、だったかな?」


桜子はユーリについて、ほかのことを思い出そうとしたが「グループの中では自分を応援してくれている」以上の情報は思い出せなかった。


何回か握手会に来ている、ということは合計すれば何分かは話しているはずだ。それなのに言葉にすれば10秒程度の情報しか得ていないことに気がついた。


「これって、かなり機会損失しているんじゃ…」


繰り返すが桜井桜子は、アイドルとしてプロ意識が高い。という言葉が似合うほどアイドルという仕事に真摯に向き合っている。


「ファンが少ないうちは、もう少し細かい情報も記録して、マーケティングした方がいいかなぁ」


ブツブツと考え込みながら歩くのがオタク然としたおじさんなら、秋葉原のよくある風景として溶け込んで見えるだろう。


しかしアイドルばり、いやアイドルそのものの美少女が、鬼気迫る顔で独り言を言いながら、歩いている姿はハッキリ異様だ。


「そもそもファン層のペルソナすら、ちゃんと決めないで、いまのスタイルで漫然とステージに立っていたけれど…もっとマーケティングした結果に基づいてキャラクターを調整した方がいいかもなぁ~」


秋葉原を歩くオタクたちも、普通のサラリーマンも、コスプレ少女も、その桜子の迫力に負けてみな道を開けていた。いや、桜子を避けていた。まるでモーゼが海を割るように、人混みを割り進む桜子。


ぐーーーーー


不意に、その光景を引き裂くように、大きな腹時計がなった。


自分の世界に没頭していた桜子は、はた、と気づいて顔をあげた。周りから一定の距離を保たれながら、その真ん中にポツンといる自分。モーゼの如く海を割った中心からはっきりと聞こえた腹時計の音は、誰が鳴らしたものなのか誤魔化しようがなかった。


周りの人は、あまりにもわかりやすい犯人に、笑いをこらえながら桜子の方を見ている。


状況が飲み込めてきた桜子は顔を真っ赤にしてから、その場から逃げるために全力で駆け出した。








:::::::::以下お知らせ


ここまで読んでくださってありがとうございます。☆、レビュー、いいね、感想などを頂けると嬉しいです。何卒、よろしくお願いします!


※現実世界の秋葉原では何度か一斉摘発が行われて治安は一時よりは回復しています。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る