第5話【赤落ち】
昭和58年12月23日、晋のF拘置所へ移管。
晋の足の指先はひどい霜焼けになり、凍傷のように膿みはじめた。
それほどの厳しい寒さは拘置所の設備のためだけではなく、
翌年4月まで関東に雪をもたらした冬のせいもあった。
実家から送られた“どてら”という着物を羽織り、我慢を続けた。
移管の翌日は丁度クリスマス・イヴだったのだが、驚いたことに、
こんな所でもチキンの手羽先やケーキが出されたのだった。
晋は2階の南向き独居房の三畳程のひと間でそれを味わった。
トイレ蓋を椅子として使用し、机を開けると洗面台になるような
部屋である。小さな窓から東芝工場の塔が右手に見え、
時折、武蔵野線の機関車の汽笛が聞こえた。
鉄格子窓の外、塀をひとつ隔てた向こう側の側道で、
あの有名な「三億円強奪事件」があった。
手羽先やケーキが出されたときは独居房に居るという
事実が曖昧にさえ感じたが、膿んだ足の指の痛みとTVで見た光景を
目の当たりにして、全てが現実なのだとしみじみと思った。
クリスマスも足早に過ぎ、いよいよ年明けが近くなると唯一の
聴覚娯楽であるラジオからは年末の歌番組が流れた。
晋は時間の多くを流れてくるヒット曲の耳コピーに費やした。
聴きとったコードをひとつひとつ頭の中に浮かべ、
当分触れることが叶わないベースを抱えるふりをして、
弾いてみた。鳴らないベースの代わりに時々晋が高らかに叫ぶと、
聞きつけた看守がひどく怒ったのだった。
その年のレコード大賞は、細川たかしの「矢切の渡」。昨年の
「北酒場」に続き、初の二連覇を成し遂げたのだった。
そして年は過ぎ行く―。
昭和59年、元旦には正月らしく紅白饅頭が配られた。
クリスマスの例も然り、意外とこのような場所でも
行事は重んじられるようだ。
「なぁにがめでたいんだ」などと内心思いつつも口にした。
成人式は大雪の中を独房でひとり迎えた。
ぽつりぽつり、祝いの言葉を受け取りながら晋はぼんやりと
両親のことを想った。黙って背を押してくれたその気持ちに報いるのが
本意であったが、何と言うザマだろう。
それで尚、晋の悪行を攻めることのないふたりの心を思うと
涙が出た。そして同じく妹と弟のことも考えた。
ああ、自分ひとりではないのだ、罰を受けて影響があるのはと・・・
拘置所内で人と会話することはほとんどない。独房では絵を描いたり、
詩を書いたり、漢字の勉強、また今後の計画書の作成をするのだが、
どこか寂しさを覚えてか独り言を伴うのが常だった。
終いには壁を相手に話を始めたりもした。馬鹿馬鹿しいとは思っていても、
続けているといよいよ自分の言葉が本当に壁の向こうから発せられる別人の
声に聞こえてくるのだ。こんなところに居続けたら俺は発狂するだろう……。
短い期間ではあったが、晋にとっては永遠に感じられた。
そして月の後半にようやく刑が確定すると、
拘置所から少年刑務所への移管が決まった。
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