第25話 合わせ鏡の狭間のリフレイン

 もう、曲が何周ループしたか、わかんなくなってきた。 


 果てしなく続く冥獣と天使の戦い。もしかして何かの神話みたいに三日三晩続くとか、七日目に終わるとか言いませんよね?


――――――――――― 


 BGM(BackGround Music)。読んで字の如く、背景曲。


 今、楽団が奏でているのはそんなただの演出を超越したBattele Groove Magicと名付けても良いくらいの、真の魔法だ。


 その魔法が織り成す金色の五線譜と色とりどりの立体的な音符や記号で構成された戦音せんおん魔法陣が、本来は存在すら許されない異空間から楽団を護り続けている。


 ただ、いくら覚醒したっぽいとは言え、魔王を産んだこの異次元は、やはり覚醒初心者の俺にはとてもついていけない世界である。そして楽団のモンスターたちもかなりキツそうだ。魔王さま、すいませんけどなる早でお願いします。


 曲の体裁こそ保っているものの、最初に漲っていた情熱と勢いはもう風前の灯。


 最初はループする度に少しずつアレンジを変えていたが、もう今は一定のフレーズを繰り返すだけで精一杯。へろへろになりながらも意思を振り絞って譜面の魔法を必死に操り続け。けどやっぱり限界だった。

 

 楽団おれたちは、どうやってフィニッシュに持ち込んだのか自分達でも良く判らないまま、最後の音を撃ち轟かせ、考え得る限りの極限状態での演奏を終えたのだった。



「あに、うえ……」

「……無様だな。例えどんな力を得ようととも、貴様は余には勝てぬ」



 ……あれ?


 指揮を終えてへたりこんでいた俺は、いつの間にやら元の黒マント姿に戻っていた魔王イアレウスが、ずたぼろになった弟の首根っこを掴んで持ち上げてる光景を見上げた。二人は相変わらず緑と紫の異空間の真ん中に浮き、漂っている。


 一番肝心なとこを見逃してしまって、一体何がどうなって決着が付いたのかはさっぱりわからんが、とにかく上手い事行ったようだ。よかったよかった。


 がくりと力が抜けて大きく溜息を吐く。

 すると、ぞぞぞぞ、という音がして、ぞぞぞぞ、という感覚に襲われて。

 

 演奏場から下を覗き込むと、この異空間の遥か奥底から湧き、蠢くものを見てしまった。


「……冥府に住む回蟲どもが敗北者の血の臭いを嗅ぎ付けたか」

 魔王さまもを見下ろし、にやりと嗤った。


 うわわ。数キロメートルはある、ええと……真っ白で太長くてぬめぬめとした寄生虫みたいなのが、うようよ、うぞうぞと……やべ、吐きそう。


「魔も聖も失ったとは言え、未だ人外のその身。簡単には死ねまい。何千という歳月を掛けて、ゆっくりと、後悔しながら溶けてゆくがよい」

「あ、兄上……それは。それだけは許してくれ。やめて……」


 無機質に言い放ったイアレウスの言葉の意味を察したタクトの声が震える。


 だが、あまりにもあっさりと。イアレウスは涙ながらに助けを乞う弟の身体を、数百年ぶりの生餌に興奮してのたうち回る冥府の蟲の群れの中へとほうはなしたのだった。


 うわー色々見てきたけどあの死に方は一番体験したくない。絶対ヤダ。


 ……色々あったけど、一応弟でしょ?。最後の最後にまたとんでもなくえぐい始末の仕方をしましたね、魔王さま……。その冷徹な蔑みに満ちたにやり顔。これまでで一番最悪です。


 最っ高に悪いという意味で、褒めてます。ついでに気分も悪いです。



 そして、元々歪んでいた異空間が更に歪み、視界も意識も歪んだ。



―――――――――――――――――



 気が付くと、俺は元の玉座の間に倒れていた。楽団の皆も玉座の間のあちらこちらに散らばってぶっ倒れており、各々が呻いている。


「だ、だいじょうぶか……みんな」

「うう……」

「あたまいたいよぉ……あと吐きそう」


「余の瘴気に当てられてしまったのだな。通常の結界では防ぎきれなかったか……」


 俺の元に歩み寄ってきた魔王さまが、皆を見回して申し訳なさそうに言い、そして顔を青くして口元を抑えている俺を見下ろした。


「だが、詫歌志。貴様が構築した譜面結界が皆を護ってくれた。礼を言うぞ」

「そりゃどーも」


 上の空で応えた俺は、魔王がこれまでにないほどに穏やかな微笑みを湛えている事には気付かなった。




 その時、唐突に俺の胸にかけられた呪いの紋様が、静かに浮かび上がる。


「……っ!?」

 正常な意識を取り戻した俺は、紫色に鈍く輝く呪いと魔王の顔を何度も見比べ。


「……余の仕業ではない」

魔王が呟いた。


 浮かんだ呪いは、呆気なく、溶けて消え散っていった。


「……え?今の。え?」

 俺は戸惑ったが、何が起きたのかは、魂で理解している。



 新月の呪いは消えたのだ。


「でも、何で?こんな……ええ……?」


 しかしその直接の理由は何でしょう。特に何らかの条件を満たしたとは全く思えない。むしろ演奏は完璧じゃなかった。ああなる事が判っていたらもっときちんと、異次元っぽいアレンジをキメたかったし、他にもまだ色んなアイディアが……。

 というか呪いが解けるって事は?あれ?どうすれば良いんだっけ?解決したあとの事は全く考えてないぞ俺。ほんとどういうこと?本心から魔王のために曲を奏でたからオッケーみたいな?それとも楽団の皆の心を一つにしたから?魔王がラスボスだと思っていた者を倒したから……?


「……運命の魔法陣の導きだ」

 混乱している俺に、魔王は全てをひっくるめた答えを、穏やかに呟いて。


「……そんな雑な理由で?」

 俺は何処か懐かしい言葉で、笑い返した。



 へたりこんだままの俺を見下ろす魔王さまが、厳かに口を開く。

「さあ。荒上原詫歌志。冥約は成された。たぶんな」


「万魔の軍団を率いる長として、ここに契約の履行を果たさん。さあ……望みを言え、詫歌志よ。貴様自らの口で述べるのだ」


「……ええと」


 ふと、俺は周囲を見回す。


 さっきまで玉座の間のあっちこっちでぶっ倒れていた楽団の皆は既に起き上がり、俺と魔王のやりとりの様子を伺っていた。皆、俺の答えは判って居る、と言う様な顔で、ただ、待っていた。


 ハル子は辛そうに目を伏せ、ヴァンドラは仕方のないことだと薄ら笑い、マーテォは多分事情を分かってない。

 スケルくんは、うんうんと頷き、ラミ江さんはつんとそっぽを向いていて、ゴブ太とゴブ郎は、意外にも一番落ち込んでた。


 他にもウェアウルフや半魚人、ゴースト……文字通りの『ゴーストノート』を奏でてくれていたゴーストのゴスたん。影が薄すぎて今まで彼女の存在には触れてなかったかもしれない。ごめんねゴスたん。


「………」俺は、皆に笑みを返す。


 様々な楽器を担当し、俺を助け続けてきてくれた楽団の皆が、なんか感傷に浸っているようであるけども。


 や、元の世界には帰らないよ、まだ。


 今のはわざとちょっとその感じを楽しんでみただけで。答えは最初から決まってた。勿体ぶって長引かせるのもアレなのでさっさと済ませちゃおうね。


 俺は言った。

「リシャを解放してくれます?」




 俺の顔をじっと見つめていた魔王の表情が硬くなる。


「……本当に良いのか?詫歌志。いくら余とて自在に次元転移の秘術を扱える訳ではない。今ならまだ真獣化の残滓を利用できる。後になって気が変わり、還りたいと泣きつかれても、そう簡単には応えかねるぞ」


「国歌を作るって約束だったでしょ。もう暫くは付き合いますよ。その辺はまたその時考えればいいんじゃないすかね」アバウトに答える俺。


「……判った。後悔するなよ」イアレウスの口角が緩んだ。


「今帰っちゃう方が後悔しますって。それに……帰っても居場所がある訳じゃなグボォっ」


 突然の衝撃で、魔王に返事中の俺は会話キャンセルを喰らった。何者かがタックルを決めてきたのだ。


 と、思いきや、単に感極まったハル子が、俺の胸に飛び込んできただけだった。


「タカシっ……よかった、お別れかと思っちゃったあっ……」


 ぴーぴー泣くハル子。以前にもこんな事があったなと想い、その頭を軽く撫でようとしたが。今回は回りにいっぱい人が居る!人じゃないけど……この言い回しはもうしつこい?うん。もう、ひと、で良いか。良いよね。


 楽団の連中が、俺達をにやにやして見てる。何だよお前らのその感情は。


 でもね。ごめん、俺さ、実際のとこは異種族にそこまで興味はないんだ……なかった……なかったけども。


「うれしい。まだ一緒に居られるんだねっ……!」


 俺の胸に埋め、精一杯、傍に居ようしてくれるハル子の震える肩、小さい身体、ふさふさの羽毛、そして温かさを感じて。まあ良いか。と思ったのだった。

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