第26話 やがて至るカロル

 リシャオルテ=アゼルシアは、突然の解放に何が何だか訳が判らないまま、魔城の正門から放り出され、困惑していた。

 彼女を石槍で追い立ててきた石牢の番兵、爬虫類の獣人・リザーディオが幾つかの薄汚い革鞄を投げ寄越してきたので、身を竦めたが、それは単に、長旅に必要な旅装や食料、その他様々な雑貨を詰めたものだった。


「……何? 何なの……?」


 リザーディオが槍でちょいちょいと示した先を見ると、しっかりとした鞍と手綱を装着された、立派な芦毛の馬が用意されていた。どうやらこれに乗れという事らしい。


「このまま、帰れということなの?」


 訝しむリシャの問いに、リザーディオは舌をちろちろと出してみせるだけ。

 

「………」

 嫌悪感と憎悪に表情を歪め、暫くリザーディオを睨んでいたリシャだったが、やがて鞄からマントを取り出して羽織り、馬がモンスターではないことを確かめると、一瞬ふっと笑って「こんにちは。長旅になっちゃうけど宜しくね」と呟いて。


 何を考えているか判らないトカゲ男には一瞥をくれる。


 解放すると見せかけておいて、後ろからぐさり。あの魔王がやりそうなことだ。


 それを見て高笑いをするつもりなのではないかと最後まで疑っていた彼女は、異形の魔城が山の影に隠れるまで、何度も後ろを振り返りつつ、岩山の間をじぐざぐに走る荒道に馬を進ませ、魔城を去っていった。


 

――――――――――――――


「いーの? 何もあの子に言わないままで。助けたのは自分だって教えてあげれば良かったのに」

「いいんだ。最初からそんなに好かれてた訳じゃないし、恩着せがましくなるのもアレだし」


 天守近くのバルコニーで座り、栗毛の女性剣士が去っていく姿を見送っていた俺に、柵に危なっかしく腰掛けるハル子が話しかけてきた。まあこの子は落ちても飛べるのでひやひやする必要はないのだけど。



 あの決戦から二日が経った。


 異空間での死闘に打ち勝った楽団の面々は、その殆どが頭痛と腹痛、腰痛や吐き気、眩暈、倦怠感などにやられて、一昨日、昨日と、戦闘不能状態で寝込む羽目になってしまい。俺自身、今朝になってようやく起き上がれるようになったところだ。


「……でも、タカシはあの子のことが好きだったんでしょ? だから解放を魔王さまにお願いしたんじゃないの?」

「違うって。ただ、約束した事を守っただけだ。そりゃ最初は可愛いなとは思ってたけどさ」

「…………」


 ハル子が急に黙り込んだので、振り向くと。


「やっぱり、人間の女の子の方が良いよね……」


 とか言い出して、切なそうにもじもじしてた。あのう。何と答えれば?

 というか、どうすれば?


 ここに留まることを決めてからというもの、ハル子はずっと俺にくっついて周りを飛び回っている。それは、ただ懐いているという訳ではなく、やっぱり、俺のことを――。


 傾いた日差しが、バルコニーを少し、オレンジ色に染める。その柔らかな光に浮かぶハル子の姿は青色の羽毛や羽根に覆われているが、あどけない表情で。年頃の女性のようななだらかさで。


 まあサイズはアレだけど。


 でもやっぱり、もじもじする態度が可愛らしくて、いじらしくて――。



「タカシ?魔王さまが呼んでいらっしゃいますわ。お早く出向いてくださいまし!」

「――うわっ!」

 

 ずるずるぺたぺたと蛇の様な胴体で這ってくるなり、つんとした表情で言い放ったラミ江さんに心底驚いた。


「……あ、はい。すぐ行きますんで……」

 決して邪なことを考えていたからびっくりしたんじゃないぞ。


 普通にラミ江さんは怖い。美人だけど。なんかこう……二十台後半の、焦りが生まれてきた女性特有の過敏な威圧感があるみたいな? そこそこ美人ですぐ結婚できると高をくくっていたら何時の間にか三十が目前になって、すごく攻撃的に……ごめん、やめとく。女性観を疑われる。

 

「ハルコ。あなたは今すぐ掃除をなさい! またサボったのでしょう。羽根があちこちに落ちてましたわ」

「ひっ。ご、ごめんなさい、すぐ行きますっ!」


 小鳥と蛇。相性的な問題もあるからだろうか、彼女の鋭い瞳孔を持つ目のひと睨みで震えあがったハル子が、あちこちにぶつかりながら、ぱたぱたと城内へ飛び去ってき、その度にまた羽根が舞い散った。


「まったく天真爛漫ですこと」

「ほんとだよ」

「……あんな子供より、わたくしの方が魅力的なはずなのに」


 その後ろ姿を見つめてぽつりと呟いたラミ江さんに。何気なしに応える。


「……あんたは魅力的だと思いますよ。お綺麗ですもん」


 すると、ラミ江さんは真っ青な顔を真っ赤に染めて顔を背けた。

「なっ、何ですの急に。ハ、ハルコに悪いですわっ。私のことはお忘れになられてっっ! いいこと!? 絶対ですわよ!」


 ラミ江さんはあわあわしながらずるずるぺたぺたと去っていった。


 あの……すいません、今のはぶっちゃけ社交辞令です。下手な事を言ったら言ったで、その蛇みたいな尻尾でビンタをされると思ったんです。

 


―――――――――――――


 二日ぶりの接見。


 魔王イアレウスは相変わらず頬杖をついた余裕ぶりで玉座に座っているが、やはりあの決戦でかなり消耗したらしく、疲れた表情をしていた。今はもう判るぞ。我慢してるだろお前。


「だいぶキツそうですね」

「真獣化は身体に堪えるからな。判るだろう?」

「判る訳ないでしょ」

 変身した事なんてないもの。覚醒はしたけど。

「冗談だ」


 あれから少し性格が柔らかくなった気がするイアレウスの魔王ジョークが炸裂し、俺は笑った。やるじゃん。


「なに、人間の二人か三人を喰らえばすぐに快復する」


 それはまだちょっと笑いづらいです。


「ま、それもすぐじゃないですか。まだまだあんたを倒そうとする不届き者は沢山居るんでしょう。何しろ魔王なんだから」

「まあな」

「それなら色々と試したい曲案もあります。ドラムンベースやエレクトロ、テクノ……いっそニューウェーブも良いな。エリーのおかげで電子系のアレンジもいけるようになったんですよね。ああ、でもスパニッシュもやりたい。自分でギターを掻き鳴らすやつ」


 つい、べらべらと饒舌に語ってしまう。

 

 魔王は魔王自身の最大の敵である弟タクトを討ち取ったとは言え、この戦争自体が終わった訳ではない。やがてまた間も無く、この魔城は、この世界において最も悪くて強いこの魔王を討とうとする者たちで賑わうことだろう。


 繰り返される日常と言うには余りにも血生臭く、残酷な死に満ちた日々。

 だが、それもまた、ある意味では平和と言えるのかもしれない。

 

 俺達、モンスターにとっては。









 モノローグっぽい感傷に浸っている俺に呆れた魔王が、また少し笑う。


「貴様は本当に音楽が好きなのだな」

「それくらいしか取り柄が無いんです」

 俺も微かに笑い、応える。


「……この世界に残ったのは、余や楽団の者の為ではないな」

 魔王の笑みが消えて、その眼が俺の心を探るように細まり。


「貴様は、元の世界に帰りたくないだけか」


 その言葉は俺の心を抉った。


「…………」

 そうですね。あんたは精神交感力もお強いというのを忘れてました。


 俺が何も答えられずに立ち尽くしていると、やがて魔王は目を閉じ、また穏やかになった表情と口調で、静かに付け加えた。


「それもまた良かろう。勝てぬものから逃げる事は、時に最上の戦略であるゆえ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る