第23話 魔天に捧ぐソナーレ

 悲壮感を帯びるバイオリンの旋律。儚く消えゆく絆の様なフルート。

 威圧と威厳を湧き上げるチューバ、トロンボーン。

 緊迫を細かく刻むマリンバ。運命を解きほぐしていくハープ。

 チェロ、ビオラ。シンバル、ティンパニ、あと色々。


 一つ一つの音に意味があり、役割がある。

 そして一人一人の個性と思いが、調べに乗っていく。


 モンスターたちの魔王に対する忠誠や信頼、尊敬。そして俺自身の彼への奇妙な友情を重ねた旋律は、確実に魔王イアレウスを鼓舞し、援護する力となっている……んじゃないかな?


 単に、獣の様な『第二形態』が強いだけという気もするけど、とにかく、真の姿を解放したイアレウスは、今はもうその力を失った且つての弟を圧倒した。


 一方で、ありとあらゆるものが湾曲する緑と紫の気色悪い異空間があまりにも、ぐにぐにぐりぐり動くもんだから、速攻で酔った俺はなんとか吐き気に耐え、踏ん張っていた。この戦いと演奏が重要なクライマックスである事は重々承知しているが、正直、はよ終わってほしいと思っている。じゃないとこみ上げてくるクライマックスが俺の口から迸りかねない。


 それは初めての異空間に戸惑うモンスター達も同様で、その演奏にも綻びが生じ始めていた。微妙にズレる音階、リズム。しかしその不安定な不協和音こそ、この異空間には妙にマッチしている。皮肉なもんだ。


 今のところ軽く解説しているが、実際のとこ、ほんと、キツい、マジで。

 この感覚を一言で表すのならば、亜空間にバラ撒かれそう、だ。




 複数の次元が高速で回転し、干渉して弾け合う。

 その狭間で『俺たち』は戦っていた。


 それは、魔王が言う『永きに渡る戦い』の中で失われてきた、あらゆるものを内包し、それが交錯する涅槃。


 巨大な鐘楼が、楽団の直上を掠め、見えない何かにぶつかって砕け散っていく。


 それは、無念の死を遂げていった者たちの慟哭で。

 

 怨嗟に泣き咽ぶ落伍者たちの、魂のるつぼ。


 

 ――ごめん、なんか、この次元に影響されて変な感じになってた。

 頭がおかしくなりそうなのよ、ここは!

 

 だけど、それだけならまだ良かった。 


 流石の演奏結界もこの時空間の蠕動ぜんどうには耐え切れず、軋み出して、辛うじて原型を保っていた演奏場にもその影響が及び始める。


 風とはまた違う、荒れ狂う波が駆け抜けて、衝撃が楽団を撃ち震わした。


「きゃっ……!!」


 中でも体重が軽い方のハル子の身体が浮き、その波に捕らえられた。



 その小さい身体は、全てをすり潰す次元のミキサーへと吸い込ま――


 ――させる訳、ないだろ!!


 俺は咄嗟に手を伸ばし、その、鳥丸出しの足首を鋭く掴んでやった。


「タカシ……!」

 ハル子の声が震え、渾身の力を振り絞る俺に応えようと、鋭い爪を持つ足先でしっかりと俺の腕を掴み返した。うん……。


「いったッッ! いたたたた、痛い、痛い痛い痛い!いたい!」

「ああっ、ごめんっ!」

「……放すんじゃねえ!!」


 ハルペイアらしい攻撃を喰らいつつも、半泣きで叫んだ俺はハル子を取り戻す。


「……タカシ」

「ハ」「何してますの!?」


 一瞬見つめ合い、時間が止まった様な気がしていたが、楽団員たちの必死の演奏は続いているし、戦局にも大きな動きがあった。


 ちょっぴりヒステリックなラミ江さんの声ではっと我に返った俺たちは、肝心の、兄と弟の対峙を見上げる。

 交戦を一旦止めた二人が、それぞれの最後の切り札を出し合う、まさにその瞬間だった。


 『弟』の背中から溢れ流れていた光の羽根が収束し、巨大な光の輪となっていた。

 細かい理屈や理由は知らない。とにかく、彼は天使っぽい何かになったのだ。


 それは俺がこの異世界を訪れてから目にしたもの、そしてこの混沌の中で目にしているもの……いいや、俺が生まれてから出逢って来た全てものの中で、最も神々しく、美しい姿だった。


 その眩しさに、勝手に涙が溢れてくる……眩しいっていうか目に痛い。



 一方で、邪悪と醜悪の権化とも言える、この混沌から産まれた獣の姿は、浅ましく、狂暴で。醜くて、愚かで。そして、孤独で。


 更に色濃い闇がその身体を包み、獣ですらない、純粋な悪意と化していく。


 その本質を、俺達は知っている。彼が悪で在り続ける意味も。


 魔王ですら抗えないその本性は、愛する部下達をも巻き添えにしようとしているのだ。

 


 俺はハル子を片手で軽く抱き上げ、指揮者棒を鋭く振って、掲げた。


 ハル子の魔法のフルートは先程の衝撃で吹き飛んで無くなってしまっている。


「タカシ。私、もう演奏できない」

「でも、最後までやるんだ。一緒に」

「……うん」

 強く頷き返したハル子を、強く抱き留める。



 掲げたタクトから、これまでで最大の魔法の譜面が広がった。


 その音符と記号の奔流は楽団を護る様に包み込み、そして緑と紫の異空間の中に、途方もなく巨大な魔法陣を構築していく。


 孤高を背負う魔王のため。自分の創造力の限界に挑戦するため。

 傍に抱く者のため。そして、仲間たちとの絆を証明するため。


 ――魔王さま、あんたは一つ、間違ってる。

 弟さんの言う事は正しい。絆こそが最も一番強い力になることもある。


 そしてその力を使うくらいの事をしないと、俺らは全員この異空間に吞まれて死にそうです。だけどお構いなく。俺が皆を守っておくんで。



 なんか魔獣と天使のついでに覚醒したっぽい俺は、実はこの空間そのものが魔王の本体なのだという真実になんとなく辿り着き、そしてその空間の爪牙から楽団を護る力を得たことも知ったのだった。


 ここに来て、あんたとも対決する羽目になるとはね。

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