先輩のためなら死んでもいいです!
水原麻以
「先輩のためなら死んでもいいです!」
「先輩のためなら死んでもいいです!」
そんな浮いた台詞は二次元の世界限定だと思っていた。
だって中学時代の女どもときたら透明な鋼鉄で要塞を築いていてイケメン以外を謝絶していた。
用事という正当な理由を引っ提げて近寄ろうとしても足がすくむ。
たとえそこが男女共学の教室であろうと一歩足を踏み入れただけで空気が凍り付く。
聖域を侵され怯えるような非難するようなきつい視線が全方位から突き刺さる。
まるでこっちが凶悪殺人犯になったかと錯覚するほどの重圧感に耐えきれなくて俺は男子校を目指した。
ところが成績が及ばず平々凡々な公立高校に進学した。もちろん男女共学だ。
休み時間になるとあちこちでキャッキャウフフしてやがる。
そして容赦なく友達の輪で絡め捕りにくるのだ。
陰キャな俺はいじられるほどメンタルが強くなくて逃げ回っていた。
非モテ系アニメヒーローにありがちな専属するべき女王様に出会うチャンスにも恵まれず、ただただ青春を浪費する毎日だった。
そんな俺に黄色い声が降りかかった。
「ねぇ、キミ」
振り向くと名前の知らない女子がほほ笑んでいた。
スカートは絶対領域ギリギリで髪はピンク色で完全な校則違反だ。制服の襟元から赤いクールネックシャツが見えている。
下に体操服を着こんでいるのだろう。三年生の学年カラーだ。
「えっ、俺ですか?」
状況が呑み込めずに固まっていると
「そうよ。東雲亮太。1年A組の昼行灯。彼女いない歴=年齢。お母さんは……」
生徒手帳を片手に俺のスペックをべらべら暴露しやがる。
「ちょ、いきなり何なんですか?」
慌てふためく俺に彼女は取引条件を切り出した。
「黙ってほしかったらわたしの後輩になりなさい」
「え? は、はい」
俺は勢いに呑まれてなし崩し的に了承した。
これが先輩との出会いだったんだ。
彼女は一風どころかとことん変わっていた。まぁ、女と縁遠い俺に声をかけるあたり普通じゃないし何か裏があるんだろうなとは思っていた。
ところが想像を絶する難物だったんだ。
まず彼女の正体を簡単に言えば「逝き神様」だ。生きている人間がスムーズに昇天できるよう取り計らう。
「死神がこの世に蔓延っていることはラノベを読んで知ってるわね?」
先輩は当たり前のようにいう。
トラックに轢かれる事案は毎日のように起こっていて表向きは交通事故で処理されている。しかし被害者の黄泉路は詳らかにされてない。
大半の遺族は死後の冥福を祈っているが実際のところ穏やかじゃない。
人間の霊魂は魑魅魍魎から下級の神格まで様々な形而上的存在の間で取引される。
凡ミスのペナルティとして神様が来世の大活躍を補償してくれるなんてあり得ない。強欲にまみれた人間の煩悩は利用価値が無限なのだ。
特に最近では早死にした若者が珍重される。
彼らの死因はいろいろだ。脳出血、心筋梗塞、食品添加物や汚染物質による平均寿命の下落は半世紀以上前から危惧されていた。
「というわけで、死神業界は霊魂バブルに沸いてるの。わかったら手伝って」
先輩は俺の手をきゅっと握った。
女子の掌ってこんなに柔らかかったんだ。
そして、スカートを翻して屋上からジャンプした。俺もつられてふわりと宙に浮く。体が紙のように軽い。
「これって、もしかしたら俺死んでるんじゃないですか?」
俺が空中でもがいていると先輩は優しく俺の腰に手をまわしてくれた。
「心配しないで。逝き神のスキルをキミにあげたの」
「ちょっと、のわあああ」
街の景色が急速にスクロールする。
俺は先輩に導かれるまま、職場見学に旅立った。
いろいろあったが、彼女の鮮やかな仕事ぶりに俺はすっかり惚れ込んでしまった。
調べてみるとこの学校はにぎやかな見た目とは裏腹に問題児を多数抱えている。その中には自殺予備軍も少なくはない。
リスカを繰り返す少女に耳打ちして屋上から背中を押してあげたり、拒食症の女の子をオーバードーズで窒息させたり、手際の良さはプロの暗殺者も舌を巻くだろう。
「本日の死者。13名っと。ぽくぽくチーン♪」
暮れなずむ夕日に先輩が一礼したあと、俺は思い切って聞いてみた。逝き神になった経緯を。
すると黙りこくってしまった。そして、悲しい目で俺をじっと見つめた。
「お、俺が何か?」
気まずい雰囲気をどうしたものかと俺が心配していると彼女はフッと笑った。
「ううん、何でもないの。わたしは死んでいるもの」
「げっ?! それってどういう意味ですか?」
「そのうち判るわ」
彼女はそれだけ言うと、厳しい先輩に戻った。
「ウォーミングアップはここまでよ。明日から修羅場が始まるわ。じゃあね」
修羅場って何だろう。俺は悶々とした気持ちで校門をくぐった。
その意味は次の放課後に判明した。俺達は一部上場企業の受付にいる。
ちょうど今、定時を回ったところだ。勤務を終えた社員たちの民族大移動が始まる。
「
受付嬢が学生服姿の俺たちを不審そうに見ている。
「いえ。お約束したお支払いが期日を迎えておりまして」
先輩が一枚の紙きれをひらひらさせると、相手はひいっと悲鳴をあげた。
返答をまたずに顔パスでずかずかと社内に踏み込む。セキュリティーチェックも電子ロック扉もモーゼが死海を割るように開いていく。
「お、おい。いいのかよ?!」
俺の心配をよそに彼女は凛とした声で営業第三課に踏み込んだ。
働き方改革の影響でオフィスのパソコンはとうにシャットダウンしている。誰もいない部屋の隅で須国幾三は頭を抱えていた。
中肉中背でメタボ腹を抱えたアラサー。ワイシャツが背中に張り付いている。この男がどんな万死に値する罪を犯したというのだろう。
「須国さんですね?」
先輩が詰め寄ると男は「いやだいやだ。俺はまだ死にたくない」と哀願した。
だが、彼女は容赦なく白い紙をつきつけた。
「これが何だかおわかりですよね?」
俺がみたところ、何もかかれていない。と、思いきや、蝋燭であぶり出すように文面が浮かび上がった。
「わ、わかってるとも。さ、三度目の願いを聞きに来たんだろう?」
幾三は肩を震わせ、かぶりをふった。
彼を追い詰めている原因を俺は先輩から聞かされていた。それはとても呑めない条件の契約だ。
三つの願いと引き換えに魂を売り渡す。
それは輪廻転生を信じている人間、とくに何となく仏教徒な日本人にとっては血も凍る内容だ。
「須国さんはどんな願いを唱えたの?」
俺は興味本位で先輩から顧客の契約内容を聞き出した。
「ええと、いの一番にマンションと娘さんの学資ローンの返済。でしたわよね?」
須国氏に面と向かって聞こえるように言う。
「間違いはありませんか?」
先輩が畳みかけるとうめき声が返ってきた。
「に、二番目は……」
今度は彼の方から契約内容の確認を求めてきた。
「たしか、二番目は三番目の願いを留保するはずだった!」
彼は強い口調で述べた。だが、断言しきるというまでもなく、どこか迫力に欠けている。
「えーぇ。確かに三番目の願いは留保なさいました。間違いはありませんね?」
先輩は契約書の該当部分をわざわざ虫眼鏡で拡大してみせた。
「ああ、そうだ! そうだよ!! なのに、なぜお前らが来る?」
須国は怯えた表情で俺たちに吠えた。
《俺は死にたくない》
《断じて殺されてなるものか》
《娘の結婚式もまだ先なんだ》
《初孫の顔も見たいんだ》
心の奥底に渦巻く葛藤が巨大なフォントとなって俺たちに突き刺さるようだ。
そんな強烈な執着心をありとあらゆる方向にぶちまけている。
すると、先輩は打って変わって優しい物腰で接し始めた。
「ご安心ください。今日はお願いを伺いに参ったのではございません」
ふっとどこかで緊張の糸がきれた。
「な……ん、だと?」
幾三はへなへなと床にへたり込んだ。
「さ、三番目の願いじゃないというなら、何の用だ?」
それは本当なのか、と何度も念を押す須国。
すると、先輩は満面の笑みで逆提案する。
「本日は私どもの方から須国様にお願いがございまして」
男の顔がぱっと明るくなった。
「な、何なんだ? 契約解除したいとでもいうのか。どこかに不備があったのか?」
ぐっと身を乗り出してきた。彼にとって藁にも縋る思いだろう。
しかし一縷の望みは先輩によってかき消された。
「いいえ。契約に瑕疵はございません。むしろこのまま最終祈願の留保を継続していただきとうございます」
「い、いいのか?」
「もちろんですとも。須国様がよろしければ」
「ああっ、よかった」
深い深い安堵のため息を漏らす幾三。その狂乱ぶりが俺はおかしくってたまらなかった。
「俺は住宅ローンも娘の学資も心配せずに幸せな老後を送れるんだな?」
「そうでございますとも」
「じゃ、じゃあ、孫と遊んでやることも」
「ええ、ご心配なく」
「もう、契約の悩みから解放されるんだよな?」
「もちろんです」
彼女と顧客がやりあっている間に俺は虫眼鏡で契約書の端っこを読んでしまったのだ。
俺達は丁重にその場を辞して、暮れなずむ夜空へ駆け上がっていく。
「威圧するばかりが逝き神じゃないのよ。能天気な人間には能天気なやり方ってものがあるの」
「そうですよね。最後の願いを言わなくても人間はいずれ死ぬ。人生に満足したまま天寿を全うした魂には途方もない価値があります」
そう。気の毒だが須国氏は気づいていない。体よく騙されたことに。
「よくわかってるじゃない」
俺は有能な先輩を持てて幸せだった。そして更なる未来を追求することにした。
彼女は俺の視線に気づき、先制パンチをしかけてきた。
「キミのお願い。聞いてあげてもいいわよ。言っておくけど、わたしは逝き神」
ええ、じゅうじゅう承知しておりますとも。
そして俺は彼女の出鼻をくじくことにした。
「先輩のためなら俺は死ねます!」
先輩のためなら死んでもいいです! 水原麻以 @maimizuhara
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