プロローグ 2 悲しいお話は、ちょっと苦手かな
「ごめん、遅れちゃった!」
放課後。
部室棟の隅の、用事でもなければ誰も足を踏み入れさえしないような場所。
クラスの用事で少し遅れてしまったわたしは、小走りでその場所に向かい、ドアを大慌てで開いた。
文芸部。わたしの所属する、部員3人だけの小規模な部活だ。
「いいっていいって、芽衣に用事あるのは知ってて私たち何もしてなかったわけだし!」
「10分の遅刻までならセーフ。教室から遠いわけだし、多少は寛容になるというのも大人の対応ってものよ!」
開いた先では、二人の部員が出迎えてくれていた。
中学時代からの親友の楓ちゃんと、ちょっと変わってるけどわたしたちをよくまとめてくれている部長の柚葉ちゃんだ。
「楓ちゃんありがとね!」
「気にしなくていいわよ。それにどうせ私たちだけだとやることも少なかったじゃない?部長は大人の対応とか言ってるけど気にしなくていいから」
自由な柚葉ちゃんの言動に、楓ちゃんの鋭いツッコミが刺さる。
「楓、君冗談通じないとか言われないか?」
「あはは……」
神楽坂高校の文芸部は、いつもこんな風に騒がしい。
人数も少ない小規模な部活なんだけど、部室のこの位置もあいまってなんだか秘密の集まりのような楽しさがある。
6月の上旬。もうすぐ梅雨にでも入りそうかという時期だけど、雨はまだ降っていない。
しかし空は一面雲が覆い尽くすほどの曇り空で、今にでも雨が降りそうなくらいだった。
「それにしても、なーんか嫌な天気してるわね…」
楓ちゃんがぽそっと呟く。
「楓ちゃん、雨苦手なの?」
「苦手っていうか、じめじめした空気が嫌なのよね。芽衣は苦手じゃないの?」
「雨の時の空気はそんなに嫌じゃないかなぁ。あんまり激しい雨音だとそんなにだけど、静かな雨音は好きだよ。ちょっとした雨の中で本を読むと、よく読める気がする」
いつでもどこでも本を読むのは好きだけど、特にそういう落ち着いた空気の時に本を読むのは特に落ち着ける。
雨の音は好きだ。
けれど、楓ちゃんはなんだか驚いたような顔をしていた。
「芽衣はすごいわね…苦手なものとかないの?」
「おっ、その話は気になるね。そういえば私は芽衣の苦手な物というのは聞いたことがないな!」
楓ちゃんの質問に、柚葉ちゃんが身を乗り出すようにして聞いてきた。
この人はこうなると止まらないのは、楓ちゃんがよく言っていた気がする。
「えーっと……」
思わず慌ててしまうけど、冷静になって苦手なもの、というのを思い出そうとする。
いざこういうことを聞かれてみると、すぐに答えるのはこんなに難しいとは思わなかった。
「悲しいお話は、ちょっと苦手かな?」
「へえ、ちょっと意外」
唯一苦手なものと言えるもの、それは悲しいお話だ。
悲しいお話は、聞いてしまうと自分まで悲しくなってしまうから、だから少し苦手。
「時に芽衣、でもこの間書いていた楓の小説は普通に読んでいただろう?あの悲恋の」
「うん、わたしも悲しくなったよ。でも素敵な話だったし、良かったと思う」
けれども物語が悲しいお話だったからといって、それが「良くなかった」とは、どうしても言えなかった。
そこまで書いた楓ちゃんの努力を否定したくなかったからなのかもしれないけれど、
それ以上に悲しい話でも心を動かされることはあるからだ。
「苦手なものと、良くないものっていうのは別だと思うな」
「うーん…芽衣はやけに達観してるな。しかしそこまで俯瞰的に"物語"というものを捉えられるのに、君はどうして"読み専"なんだ? 私は君の書いた物語も読んでみたいぞ」
柚葉ちゃんが長い黒髪をいじりながら、わたしに質問をする。赤淵の眼鏡の奥の知的そうな目が、わたしの方をしっかりと見つめていた。
「えーっと……書くよりも読む方が好きだから、かな?書くのも挑戦してみようと思ったんだけど、あんまりうまくいかなくて」
「なるほど。つまり自分で物語を作るのはあまり得意じゃない、ということか。いや何、別に読み専でもいいんだ。 物語は書く者だけでは成立しない。読む者がいなければ存在しないからな」
わたしの答えに、納得したような様子で返す。
確かにそれは柚葉ちゃんの言うとおりだった。
誰も読んでくれないのであれば、それはもう物語ではないんだろう。
でも、なんだかそれは少しだけ、寂しい考えのような気がしてしまった。
「さてと…この流れで言うのもなんだが」
柚葉ちゃんが向き直り、楓ちゃんの方に顔を向ける。
「君の書いた物語はどうなっているのかな?」
「え、えと…その」
楓ちゃんが露骨に目をそらす。彼女は何も答えていないように見えたけど、その"答え"はもう明らかだった。
「まあね、そう言うと思って。」
そう言って、柚葉ちゃんは1枚のファイルからその中に入った数枚の紙を取り出し、机に並べた。
「文芸部、今日の議題!」
「今日の議題…?」
「そう、未だ新しいものを書けずにスランプに陥っている楓のために、わたしが特別に用意し」
「ちょっと待って、私そんなこと一言も……!」
柚葉ちゃんの言葉を遮る楓ちゃんを気にも留めず、柚葉ちゃんは説明を続ける。
「明らかに目をそらしていたからね。何。君と私は一年の時からの付き合いだ。君が何を考えているかなんてすぐにわかる」
「怖いこと言わないでよっ!?」
楓ちゃんはよく表情の動く子だ。とても忙しくなくその顔が変わっていく様は、たまに少しだけ面白いなと感じてしまう。
…もっとも、そんなことは面と向かってはなかなか言えないことではあるんだけど。
「すばり、"亜人"についてだ!」
柚葉ちゃんが眼鏡をくいっとあげる仕草をする。
「亜人?」
その言葉にはあんまり聞き覚えがない。漫画のタイトルか何かで聞いたことはあるけど、いずれにせよ聞きなれない言葉だ。
「まあ簡単に言うとだな、吸血鬼とか人狼とか、そういう"人に似ているが人ではないモンスターの類"だな。ファンタジーによく出てくるような」
「なるほど。それって色んな小説の題材にもなってるし、いいと思うよ柚葉ちゃん!」
「…………」
わたしはそこに惹かれるものはあったけれど、一方で楓ちゃんの反応は少し芳しくなかった。
「うーん、あんまりそういうホラー的なのはそこまで興味ないっていうか…それに…」
楓ちゃんは目をそらす。
「それに?」
「そういうの、本当にいたらちょっと怖いなって思っちゃうから、ちょっと…」
その言葉を聞いて、柚葉ちゃんは首を傾げる。楓ちゃんの気持ちはあまりわからないのだろうか。
「それにしてもさ、芽衣も柚葉もほんとそういう話好きよね」
楓ちゃんは少し呆れた様子だった。うーん、柚葉ちゃんはともかくわたしはそこまでだと思うんだけど……
「空想の世界というのは夢がいっぱいだからな!そういえば楓には話してなかったかもしれなかったが……私の昔の夢は宇宙人に会うことだったのだよ」
「それ、今は違うの?」
思わず気になって聞いてしまった。柚葉ちゃんじゃなきゃまず聞かなかったと思う。
「うーん、それが今は亜人とかそういう類いに変わってるというだけだな。そんなに気になったか?」
「えっと…そういうわけじゃなくて」
「何々気にしなくてもいい、私と芽衣の仲だからな!」
柚葉ちゃんのペースは相変わらず、よくわからなかった。
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