プロローグ 3 物語の住人になったようなものだろう?
「柚葉ちゃんはどうして、亜人に惹かれるようになったの?」
もう少しだけ、深く切り込んで聞いてみる。
宇宙人と亜人、いったいどのような違いがあるんだろうか。
……もっと言えば。柚葉ちゃんの中でそれはどのように違うものなんだろう。
「うーむ、きっかけは一つのファンタジー小説だったな。
当時小学生だった私は、それを読んでもしそういった存在が近くにいたらな、と思うようになったんだ」
柚葉ちゃんからの答えは、意外なものだった。もしかしたら、柚葉ちゃんという人にもう少し複雑な、
あるいは深い理由を期待していたのかもしれなかったが、とにかくなぜかそれが「意外」と思えるものだったのだ。
「けれど、そういう亜人って大体危険な存在よね?なんか人を取って食うようなイメージあるんだけど…」
「ええ、そうかなぁ……確かに、吸血鬼や人狼などはそうかもしれないけれど、でも全部が全部そうっていうわけじゃないような…」
楓ちゃんが渋い反応をする。
「まあそういう亜人もいるかもしれないな。だがそれにとって食われるくらいなら、むしろ本望だ」
「だって、それって自分が物語の住人になったようなものだろう?」
自分が物語の住人に。それこそ意外な発想だった。
わたしは今まで、小説とか漫画とか、そういったものの"登場人物になる"という発想がなかった。
『読み専』のわたしにとって、物語とは外からそれを見るものであり、自分がその一部になるものではないと思っていたのだ。
「なんというか…そういう所が変人、って言われるのよ柚葉って」
「おいおいおいおい、変人は認めるが、物語の登場人物になりたい、って気持ち自体はそんなに変じゃないと思うぞ?」
柚葉ちゃんが食い気味にツッコミを入れてくる。確かに、そういう気持ちがある人のことは理解できなくもないけれど…。
「だからと言って取って食われてもいい、はちょっとね。極端すぎると思うの」
「うーん…やはり共感は得られないか…芽衣はどうだ?」
「えっとわたしは…」
そんな風に、神楽坂高校文芸部の時間は流れていく。
3人という少ない人数だけれど、この時間はとても楽しい。
何か意味のある時間だからだとか、この3人で何を成し遂げるのだろうとか、
そういうことすら考えなくてもいい"無意味な時間"が、たまらなく尊いものに思えてしまう。
「じゃあねー!」
「うん、また明日ー!」
そう言って手を振る。
いつまでも、私たちはずっと同じ日常が続くと信じて、毎日「また明日」を言う。
きっとこれが「普通の日常」なんだろう。
そして、私もやっぱり「普通の人」なんだと思う。
普通の人が普通の日常を、ずっと送るだけ。
でもそんな日常を送れることだって、一つの幸せなのかもしれない。
今日は帰ったら何をしようか。
まず、どんな本を読んで……そういえば晩御飯はなんだろうか。
あ、晩御飯を食べ終わったら明日提出の課題をやらなくちゃ。
ちょっと面倒だけど、そこまで難しいものでもないはず。
帰り道を一歩一歩と歩くたびに、ぐるぐるとその先のことを考え始める。
空はすっかり暗くなっているけど、私の心はずっと明るいままだ。
街灯の灯りと月あかりが、真っ暗なはずの道をぼんやりと照らしている。
不思議と足取りは軽かった。 学校から帰ると楽しみなことがいっぱいあるんだ。
もちろん学校も楽しいけれど、それよりも学校が終わった後の時間、それがとてもとても楽しみで。
考え事をしながら歩いていると、少し人通りの少なさそうな道へと出てきた。
通った覚えがあるのかないのかよくわからないけれど、 もう少しすれば家にたどり着けるだろう、という確信がなぜかあった。
周りに人はいない。もう空も暗くなっているし、歩いているのは私一人だ。
ふと、何かにぶつかったような衝撃を覚える。
気づけば自分の身体がアスファルトの上に横たわっていた。
何者かによって、壁か何かに叩き付けられて、そのまま倒れたのだろう。
ぶつけた者の姿は見えない。目を閉じてしまって、その姿を捉えることが出来なかったのだ。
異変はそれだけじゃなかった。
次の瞬間、鋭い音と共に、わたしのお腹のあたりに何か刺さるような痛みが走る。
声をあげようとするも、全く声が出ない。身体中に嫌な汗が滲み出てきた。このままじゃ……そう思って身体を動かそうとするけど、全く動かない。声にならない声をあげるだけで精一杯だ。
そして、何よりも。
身体がとても熱い。
そんなことを考えているうちにも、何度も何度も"それ"がわたしの身体を打ち据える。
刺されるたびに何度も気を失いそうな程の痛みと、身体が焼けてしまうほどの熱が襲ってきた。
―――痛い、苦しい、熱い、痛い、苦しい、熱い……ッ!
わたしを"刺した"何者かの気配がなくなった後も、身体は焼けるように熱いままだった。刺されたところに触れてみると、おびただしいほどの赤黒い液体が流れ出している。
一秒、二秒、三秒。呼吸をするたびに、何かが自分から流れ出しているような……。そう。これは。
命、だ。
自分の命が失われようとし始めていることを、ようやく実感した。
それと同時に、あんなに熱かった身体から急に熱が引いていくのを感じる。
「そう、だ……わた、し……」
死んで、しまうんだ。
物語では、よくこういう時に走馬灯っていうのが流れるんだっけ?
けれど、そんなことはなかった。痛くて熱くて苦しくて、誰かの顔を思い浮かべることなんてなかった。
今日は何をしようとしていたんだっけ。頭が全然働かない。ぼんやりと、目の前の景色も霞んでいく。
せめて最後に、空の星に手を伸ばそうと、手を動かしてみる。けれど、手は動かない。指はぴくりとだけ動いた。
死ぬ前に、もう少しだけ楓ちゃんと話がしたかったな。
柚葉ちゃんは明日はもっと面白い話をするよ、と言ってくれた。聞きたかったな。
葉月ちゃんもきっと晩御飯を作って待っててくれてたはず。
ごめんね、お家に帰ってあげられなくて。
瞼が重くなっていく。
身体は既に先まで冷えきっていて、何も動かない。自分の身体が物を言わない人形のように、変わっていってしまうのを感じていた。
瞼を閉じる前に最後に見たものは、何故かこの世のものとは思えないほどの真っ赤な髪と、それと同じ色をしたきれいな瞳だった。
咲坂芽衣、16歳。
2020年6月9日、死亡。
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