広島県因島市重井町 1980年夏

まだ全国的なミュージシャンやアニメを輩出する前。瀬戸内海に浮かぶ小さな島は本四連絡橋で陸と繋がったばかりだった。大出由美子おおでゆみこは土生商船のフェリーを降りると桟橋付近のスーパーに入った。表通りからひんやりした空気を引きずると事務所前の冷蔵庫が唸っていた。「あらおかえり」作業着服姿の母に返事もせず、汗ばんだセーラー服をするすると脱いでスカートを床に落とす。アンダースコートとブルマの上から泥汚れのついたジャージを履く。

「お父さんは大丈夫?」ボイラー脇に立てかけた鋤を取り運動靴のまま、裏のキャンターに向かう。「日射病に夏バテだろうってさ」母は素っ気ない。「倒れたっていうから準決勝、諦めて新幹線に飛び乗ったのに」^

「あんなヒラヒラを着て色気づくより跡取りを貰っておくれ」

土間のくたびれたプリーツと真新しいスコートを恨めし気に見やり、母は車を出した。東西橋を渡って重井中学を過ぎる。軟式庭球部の練習を横目に由美子は毒づいた。「それって当てつけ?」

母は無言のまま、四トン車を白滝山に向けた。山腹にタバコ畑が枯れている。

葉の収穫を半ば終え、不要になった根幹を乾燥させるのだ。来年に備え根こそぎ抜く重労働が待っている。これが結構な難事業だ。鍬で土を掘り、ずるずるに張った根を引きずり出し、千切って、コチコチに乾燥した泥を鍬の峰で叩き割る。さらに良く振って砂を払い、一本ずつ荷台に乗せる。丁寧にやっていると一本十分はかかる。炎天下で数をこなさないといけない。砂が残っていると焼却炉が痛む。タバコ農家は見た目よりハードだ。男手も女手も関係ない。

「とんだ夏休みだわ」

ぼやく娘を母が叱った。実家と親の収入があるだけ有難いと思え。

テンプレに由美子は先行き不安で反論する。喫煙者が迫害されてる。

すると母は手をあげた。

「お父さんの苦労も知らないで」

由美子は弾みで用水池に落ちた。平泳ぎで濡れたジャージと体操着をぐしゃぐしゃに丸めると岸に放り投げた。「お母さんのバカ!煙草なんか世界から消えちゃえ」

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