希望の矢

「先走りすぎたツケだな。アバターの凶暴性をプログラミングで克服しようとすれば、人畜無害な記号に落ちぶれる。その逆はVR世界の破壊につながる。人間性とは突き詰めれば食餌だ。生存欲求が闘争本能を狩猟へ向かわぜる。あんたはそうやってカリフォルニアへ向かった」

ビフォーは博士の高説を黙って聞いていたが飽きたらしく片手で制した。

「結構。お前も家を出た。旅路の終点はここだ。天国の門はくぐれない」

ファエトンがカマドウマンの前後左右にぴたりと寄り添った。無数のレーダー波が車体を照準している。1ミリでも動けば助手ともども灰になるだろう。

「それで脅しの積りかね。タイム・ホイホイの裏をかく手段は幾らでもあるぞ」ビザールは花子に目配せした。

「被弾する前にどこぞへ跳躍しようというのか。だが、お前を捕えている罠は時の彼方までついて回るぞ、ビザール」

ビフォーのファエトンが燐光を帯び始めた。

「存在確率増幅装置か!」

「そうだ。お前は島に膨大な研究資料を残していた」

「なら、話が早い。研究と実用化の間には無数の段階がある。あんたがどれだけモノにしたのか、興味深い」

言い終えぬ間にカマドウマンはN極単極子ビームを正面に向けた。紅蓮の炎が吹き上がり、前列のファエトンが爆風で宙返りする。間髪を入れず花子が車を出した。周囲がにびいろの光で満たされ、カマドウマンが高次空間へ蹴り出された。すぐさま、生き残ったファエトンが時空の高みへ駆け昇る。

「博士、いったいどこへ逃げる気です?」

花子がハンドルに前のめりしている。「操縦を代われ」博士は助手席のダッシュボードを開いた。鮮やかなキーさばきでカマドウマンに進むべき道を示した。タイムゲージが物凄い勢いで巻き戻っていく。西暦2899年…2645年…2263年。

「えっ、2039年?」

花子は年代表示を疑った。思慕ノイズの圧力で時間の遡及は莫大なエネルギーを消費する。だが、カマドウマンはスイスイと世界線の奔流をいなす。

「博士、何を考えているんですか?」

すると、ビザールはじっと花子を見つめた。

「お前はあのディストピアに残りなさい。いや、帰りなさいというべきか。カマドウマン技術実証バージョンの試運転中に廃墟で泣いているお前を見つけて連れ戻ったが、御両親の意思を継ぎなさい」

助手はいやいやをした。

「…私に反トランスヒューマニズムの戦いを率いろというんですか。火を見るよりも明らかですよ。だから私はただ泣きじゃくるしかない子供のふりをして貴方についてきたんです」

すると、博士はモニター画面を示した。あの時代から発せられる時間の矢と思慕ノイズの反作用、それぞれが持つ運動ベクトルの向きにズレが生じている。

「これの意味が判るかね。ビフォーが分岐させた世界線に可能性の余地が残されているという事だ。時間の矢がわずかながら明日に向いている」

「観念論を言われましても…」キョトンとする花子。

「この車が思慕ノイズに抗って時間を逆行ている現状が証拠だ。真実は何よりも単純で力強い。それに君はあの時、ロボットに恭順しようとしただろう?」

何が何でも和平の歴史を歩もうとい花子の強い存在可能性がそうさせたのだ。

ビザールの指摘に花子は顔を赤らめた。「見たでしょう?」

「その恥じらいは素敵な人のために取っておきなさい」

博士はカマドウマンをディストピアの郊外に着地させた。急ごしらえの基地で反体制派が息をひそめている。「ジゴワット博士だ!」

歓声と拍手の渦が二人を包んだ。

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