ファエトンの群れ

おびただしい機械の群れが黄色い砂塵を纏っている。履帯を着けた無限軌道は武骨で頑丈な鋼鉄の重量を支えている。そして頭頂部から突き出した一本の砲身。まごうことなき戦車だ。

「ジゴワット博士。西暦2999年の世界へようこそ」

ハリウッド映画にありがちな演出が博士に失望と逆説的な安堵を与えた。失敗したトランスヒューマニズム思想の末路を彼は俯瞰してきた。だが、ゴキブリ人間なく、知的生命体の治世が別の世界線に息づいていたのだ。そして、人類の因業も健在だった。

「わざわざファエトンの複製まで用意してお出迎えとは、あんたも相変わらずだな。ビフォー」

博士は長兄の名を呼んだ。カリフォルニアで財を成し、パソコンブームでさらに富を蓄えたにっくき男をジゴワットは片時も忘れなかった。ファエトンはビフォー・エンターテイメント社の主力商品でジゴワットの会社が開発したシミュレーションゲームである。

「ビザール。再会を歓迎してやりたいところだが、お前には貸しがある」

ファエトンの最前列車両から赤髪の精悍な男が顔を出した。

「奥セイウチを穴だらけにしたことが相当、堪えた様だね」

博士は四面楚歌の立場にも関わらず、くっくっくと腹筋をよじらせた。

「お前は風光明媚な自然を台無しにしてくれた。人類の未来もだ。これを見ろ」

ビフォーは一組のドライフラワーを取り出した。しおれたキク科の一年草。乳児の顔面ほどもある大きな花。ヒマワリだ。ターコイズブルーと橙色の対比がチカチカと目に刺さる。ビフォーの会社は日本でとある品種改良計画に莫大な投資をしていた。キク科の特殊な芳香が人間の攻撃性をスイッチするという研究論文があり、その実用性と商品化可能性を探っていた。

「どの口がいうのかね。あんたこそ、一つの可能性を完膚なきまで潰した」

ジゴワットは兄を糾弾した。ビフォー財団はITテクノロジーが新しい扉を開いたその先にある麻薬的なディストピアを予見していた。大容量のデーターネットワークが世界の神経になる。そしてそこにぶら下がるユーザー自身がVR空間の情報として取り込まれる事もだ。その前座として仮想化された人間の振る舞いが問題になった。五感――特に痛覚を失った人間が仮想世界でどう生きるか誰にもわからない。もちろん、シミュレートされた感情は提供される。が、本物の肉体にはかなわない。

断腸の思いを忘れた者に他人の痛みは想像できないだろう。些細ないざこざがあっという間に戦争、最悪はVR空間そのものを否定する運動に過激化する恐れがある。

「そうだ。俺は離島に住む単一民族の凶暴性に着目した。日本人は村八分という野蛮で残酷な因習を持っている。そして除虫菊を害虫駆除に利用する文化もだ」

ビフォーが地方都市の創生金制度に目をつけ、渓谷に植物性芳香剤の農業試験場を建設する計画をビザールは察知していた。そこで、先回りして町長を篭絡し、私腹を肥やす代わりにジゴワット研究所を誘致するよう仕向けた。

町長に対する腹いせと見せかけ、ビザールは有望な土地を破壊したのち、タイムカマドウマンで未来へ逃避した。

「あんたはそれでも諦めきれず、セイウチ島に農場を建設した。だが、地形どころか海流まで変わってしまった結果、気候まで変化した。その影響がヒマワリの芳香成分に予期せぬ作用を及ぼし…」

ビフォーは肩をすくめて見せた。「やれやれ。お前の復讐は陰湿だよ。突然変異の長期的影響はスーパーコンピューターのシミュレーションでも見逃した。変化はゆっくりで予想もつかない。気づいたころには島はゴキブリ人間の楽園だ」


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