第200話 理想を現実に


 4月最初の日曜日。花見大会当日。


 あおいと菜乃花は朝から大忙しで動き回っていた。そんな二人を見て、直希もつぐみも手伝わせてほしいと申し出たのだが、二人から「今日は私たちに任せてください」と言われ、手持ち無沙汰な状態で時間が来るのを部屋で待っていた。


 何が始まるのか、どんな花見になるのかを二人は知らされていない。

 そのことに一抹の不安もあった。特に直希に至っては、「大丈夫かな、ちゃんと準備、出来てるかな」と、何度もそう言って覗きに行こうとした。


「二人にまかせたんでしょ?だったらもっと信頼してあげなさい。でないと今日まで頑張ってきた二人に失礼でしょ」


 そうつぐみに諭され、「そうだよな」と苦笑して座り直すのだった。




「自分で動いた方がずっと楽だ、そんな風に思ってるんでしょ」


「つぐみお前……どれだけ俺の心、覗けるんだよ」


「直希だったら考えそうなことよ。こんなことぐらい、あおいや菜乃花にだって分かるわよ」


「ははっ」


「でもね、直希。それじゃ駄目なのよ。確かに不安だと思う。うまくやれるかな、心細くないかなって思ってると思う。でも、それでも……それじゃいつまで経っても二人は成長しない。例え失敗することがあったとしても、それも含めてあの子たちの経験になるの。私たちはね、直希。ある意味あの子たちの成長の邪魔をしてきたのよ」


「確かに……そういうところ、あるかもな」


「そうなの。だからね、直希。心配だと思うけど二人のこと、応援してあげましょ。私たちの今日の仕事はそれだけでいいのよ」


「……分かった、分かったよつぐみ」


 そう言って笑い、つぐみの手を握った。


「体調は大丈夫か」


「ええ。自分でも不思議なぐらいね。今日も暖かくなりそうだし、問題ないわ」


「そうか。じゃあ二人のおもてなし、楽しみに待ってようか」





 しばらくして、扉がノックされた。


 直希が出ると、そこに節子が立っていた。


「節子さん?何かあったんですか」


「いや、あんたらを呼びに来たんさ。私の役目だからね」


「節子さんの役目?それってどういう」


「話はあとさね。さあ、会場に行くよ」


 そう言って節子が背中を向ける。一体何が始まるんだろう、そんなことを思いながら、直希とつぐみが節子の後に続いた。


「連れて来たさね」


 玄関を出ると、既に花見の準備は整っていた。入居者たちも揃って着席している。


「これは……見事だな……」


 庭に咲く一本の桜の木。その周りにブルーシートが敷きつめられ、テーブルと椅子が並べられていた。


「……って、まさかしおりさん?」


 入居者たちに混じって座っているしおりの姿に、直希が苦笑した。


「新藤直希さん、そして新藤つぐみさん。この度は花見にお招きいただき、ありがとうございます」


「ははっ、お久しぶりです……と言うかしおりさん、お仕事の方は大丈夫なんですか」


「問題ありませんわ。可愛い妹からの招待です。来ないなんて選択肢はありません。ええそれはもう、この日の為にありとあらゆる手を尽くしてまいりましたので」


 しおりの横には東海林も、明日香に兼太、そして冬馬の姿もあった。


「これって、まるで結婚式の再現だな」


「そうね、ふふっ……でもいいわね、こういうの」


「だな」


「あんたらはここさね」


 節子に促されて着席すると、あおいがマイクを持って皆の前に立った。


「では皆さん、大変お待たせ致しましたです。ただいまよりあおい荘、第一回お花見大会を始めさせていただきますです」


 あおいの言葉に入居者たちが拍手を送る。


「あおいちゃん、開会はいいんだけど、菜乃花ちゃんと小山さんは?」


 乾杯のグラスを手に立ち上がった直希が、姿の見えない二人に気付いてそう言った。


「心配いらないですよ直希さん。小山さんたちならこちらです」


 あおいがそう言って玄関に手を向ける。すると中から、車椅子に乗った小山と菜乃花が現れた。


「あ、あのその……それではこれより、乾杯をしたいと思います」


 あおいの向けるマイクに向かい、菜乃花が緊張気味にそう言った。

 小山は菜乃花の手を握り、「頑張りなさい、菜乃花」と声をかける。菜乃花は「ありがとう、おばあちゃん。おばあちゃんも、頑張ってね」と微笑んだ。


「それで、あの……乾杯の前に、皆さんに発表したいことがあります」


「発表?何だろう。つぐみは知ってるのか?」


「いいえ、何も聞いてないけど」


 直希とつぐみが顔を見合わせる。入居者たちも、何事かと二人に視線を注ぐ。

 そんな中、東海林だけが大きくうなずき、「頑張ってください」と声をかけた。


「お父さん?何か知ってるの?」


「ははっ、すぐに分かるよ」


「あの、その……それでは皆さん、乾杯の発声は、おばあちゃん、じゃなかった、小山鈴代さんにしてもらいます。小山さん、お願いします」


 菜乃花がそう言って車椅子のブレーキをかけると、小山は微笑んでうなずいた。


「え……」


「まさか……」




 会場内を静寂が包む中、小山がゆっくりと立ち上がる。




「小山……さん……」


 しっかりとした足取りで立ち上がった小山。横で心配そうに見守る菜乃花に微笑むと、グラスとマイクを受け取った。


「私は……数年前に腕を骨折して入院しました。そして長期に渡る入院生活を余儀なくされ、その結果、足の筋力が衰えてしまいました。

 自分の足では二度と立てない、歩けない……そう思っていました。前にいた施設でもリハビリはしていましたが、体よりも先に心の方が根を上げてしまいました。

 私はご覧の通りのおばあちゃん、こう言ったら菜乃花やナオちゃんに叱られますが、いつお迎えが来てもおかしくない年です。無理しなくてもいいじゃない、もう十分頑張った、車椅子でもいいじゃない……そんな風に思ってました。

 でもこのあおい荘に来て、ナオちゃんに言われました。頑張ること、それこそが生きることなんだと……辛いかもしれない、苦しいかもしれない。でも、それこそが生きていることなんです。目標に向かって走り続ける、そんな人を俺は心から尊敬します。その為になら、どんなことでも協力します、そう言ってもらいました。

 私は、応援してくれるナオちゃんやつぐみちゃん、あおいちゃんや明日香ちゃんの為にも頑張りたい、そう思えるようになりました。

 そして大切な孫娘、菜乃花ともう一度、自分の足で一緒に散歩したい……そのことを目標に、今日まで頑張ってきました。そして先日、東海林先生から大丈夫との診断をいただきました」


「小山さん……」


「今日この日を迎えられたのは、皆さんのおかげです。そして……このあおい荘で私たちを見守ってくれているスタッフさんのおかげです。本当にありがとうございました」


 そう言って、菜乃花と共に一礼する。

 直希が振り返ると、皆驚きの表情を浮かべていた。

 生田や兼太は目頭を押さえている。西村はもう感極まった様子で、涙と涎で顔をぐしゃぐしゃにしていた。

 しおりに至っては、信じられないといった表情を浮かべ、小山を凝視している。


「では皆さん。私たちにとって最高に素敵な場所、あおい荘で出会えた奇跡に……そしてこれからも皆さんと、ここで幸せに過ごせることを祈って……乾杯!」


 静まり返ったあおい荘に、小山の元気な声が響く。その声に我に返り、皆が「乾杯」と声を上げた。




「それではただいまより、お花見大会の始まりです!」


 グラスを飲み干した入居者たちが拍手をする。そして小山の元へと集まっていく。

 小山は照れくさそうに歩いて行き、入居者たちに囲まれて笑った。


「小山さん、おめでとう」


「おめでとうございます、小山さん」


「ありがとうございます。これも皆さんのおかげです」


 幸せな言葉が場内に飛び交う。


「私は……奇跡を見てるんでしょうか……新藤直希さん、これがあなたの言っていた、介護のあるべき姿、なんですか」


「……いえ、そんな大層なものじゃありません。それに俺は何もしてません。小山さんが頑張ってくれただけなんです」


「ですがあなたの言葉があったからこそ、あの方はもう一度、ご自分の足で歩く決意をされた。新藤直希さん、あなたは本当に……理想を現実に変えていく人なのですね」


「そうですよ姉様。直希さんはすごいんです」


「本当に……ごめんなさい、まだ興奮が収まりません。こんな光景を見れるだなんて」


「あおいちゃん、菜乃花ちゃん。最高のサプライズだったよ、ありがとう」


「あ、いえ、その……すいません直希さん。直希さんに黙ってこんなことを」


「謝ることなんてないよ。俺は今、最高に幸せだよ」


 直希の言葉に、菜乃花も嬉しそうに微笑んだ。


「あおいちゃんも、ありがとね」


「はいです。まだまだ始まったばかりのお花見、楽しんでほしいです」


 小山も直希に挨拶しようとしたが、口々に祝福する入居者たちに囲まれて動けない。

 その姿を遠巻きに見つめながら、直希は涙を浮かべていた。そんな直希の肩を抱き、「よかったね、直希」そう言ってつぐみも泣いた。




 笑顔と涙の中、あおい荘の花見大会は始まった。



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