第196話 新藤直希


 結婚式当日。


 タキシード姿の直希は食堂で一人、落ち着かない様子で座っていた。

 列席者は既に着席していて、あおいのピアノ演奏と同時に挙式がスタートする。

 つぐみは自室で、父の東海林と共に待機している。

 一度も見ていないつぐみのドレス姿も興味深いのだが、今は緊張の方が勝っていた。


「……こんな時こそ煙草、吸いたいよな」


 経験したことのない緊張感が、そんな言葉をつぶやかせる。


「緊張してるみたいだね、ダーリン」


 声に振り向くと、深紅のドレスを身に纏った明日香が立っていた。


「ははっ、面目ない」


「ダーリンのそんな顔、初めて見たよ。中々にかわいい」


「からかわないでくださいって。それでどうしたんですか、こんな所に。もう式が始まるし、そろそろ席に着いてないと」


「この子たちの見送りだよ」


 そう言って笑うと、明日香の後ろから天使の格好をしたみぞれとしずくが現れた。


「みぞれちゃんしずくちゃん。その格好、とってもかわいいね。羽根もすごく素敵だし。でも、どうしてここに?」


「ダーリンは今から、この子たちと一緒に入場するんだよ。この子たちは言ってみれば、エスコートガール」


「エスコートガール……色々と凝ってますね、西村さん」


「さああんたたち。ダーリンにちゃんとお祝い、言ってあげなさい」


 明日香がそう言うと、みぞれとしずくが直希の前に進んだ。


「直希―、結婚おめでとー」

「おめでとー」


「ありがとう、みぞれちゃんしずくちゃん……って、直希?」


「あはははっ、ごめんねダーリン。ちゃんと『さん』を付けなさいって言ってるんだけど、この子たちってば本当、名前だけだとすぐ呼び捨てにしちゃうんだよね」


「いやいや、それはいいんですけど、そうじゃなくて」


「ダーリンはあんたたちのパパにはならない、そう言ったんだ」


「……」


「そりゃもう大変だったんだから。あたしのせいなんだから、偉そうには言えないんだけどね。でもまあ、呼び方を変えるにはいいタイミングだと思ったんだ」


「明日香さん……」


「二人共大泣きしちゃってさ、流石に悪ふざけが過ぎたって落ち込んじゃったよ。でもまあ、何とか納得してくれたんだ」


「そうなんですね……ごめんね二人共、寂しい思いさせちゃって。でもね、みぞれちゃんしずくちゃん。これからも俺との関係は何も変わらないからね。いつも通りにしていいんだよ」


「ありがとー、直希―」

「直希―」


「……まあでも、ある意味そっちの方が大変かもしれないんだけどね。ダーリンにとっては」


「どういうことですか?」


「ダーリンはパパにはなれない。渋々納得したこの子たちが何を言ったか、ダーリンには分かるかな」


「何を言ったんですか」


「二人共ね、こう言ったんだ。パパになれないんだったら、お婿さんになってもらうって」


「ええっ?」


「だーかーらー、この子たちはね、大きくなったらダーリンと結婚するって言ってるの」


「いやいやいやいや、どうしてそんな話になるんですか。ちゃんと説明してあげてくださいよ。俺はこれから結婚する訳だし」


「子供の考えることだからね、深い意味なんてないと思うよ。でもまあ、この子たちは本当にダーリンのことが好きだからさ、成長した暁にはダーリン、覚悟しておいた方がいいかもね」


「直希―、大きくなったらみぞれと結婚してねー」

「お姉ちゃんずるーい。しずくがお嫁さんになるのー」


 そう言うと、二人は直希の両側に立ち、頬にキスをした。


「あはははははっ、結婚式当日に愛人が出来るなんて、ダーリンも本当、罪深い男だよね」


「勘弁してくださいよ」


 そう言って、直希も一緒になって笑った。


「じゃあダーリン、あたしもそろそろ席に着くから。頑張ってね」


「はい、ありがとうございます」


 明日香が外に出ると、直希は二人と手を繋ぎ、扉前に立った。

 不思議とさっきまでの緊張感はなくなっていた。





 扉の向こうから、あおいのピアノが聞こえて来た。

 エドワード・エルガーの「愛の挨拶」。

 優しく美しい演奏に、直希は目を瞑り微笑んだ。

 ありがとう、あおいちゃん。

 とても優しくて、とても美しくて。

 心が温かくなってくるよ。


 扉が開かれると、目の前に深紅のカーペットが現れた。

 そして聞こえて来る拍手。

 照れくさそうに笑いながら、みぞれとしずくと共にバージンロードを歩いて行く。

 列席者一人一人に笑顔を向ける。

 ドレス姿の菜乃花、兼太。川合美咲の姿もあった。山下の息子祐也も来ている。

 節子の隣には安藤の姿も見える。直希の一眼レフで写真を撮る生田の姿もあった。

 役場の人もいる。明日香のスーパーの人も、そして街の人たちもいた。

 栄太郎の昔仲間たちもいる。みんな笑っている。その笑顔に、直希も口元がほころんだ。


「……ん?」


 そんな中、一か所だけ不穏な空気を醸し出している場所があった。直希の顔が強張る。


「あれは……」


 明日香の父、冬馬義之だった。その隣には、留袖姿の女性の姿もある。明日香の母親だった。

 冬馬は拍手しているものの、目は笑っていなかった。それは娘を選ばなかった直希に対する怒りなのか、みぞれしずくと手を繋いでいることへの嫉妬なのか、直希にも分からなかった。


「ははっ……」


 直希が苦笑して一礼すると、冬馬も複雑そうな表情でうなずいた。


 花で装飾されたサークルが近付くと、グランドピアノを演奏しているあおいの姿が目に入った。

 菜乃花や明日香とお揃いのドレスを身に纏ったあおいは、緊張した面持ちだった。その横顔に直希は、何事にも全力で向かっているあおいの真摯さを感じた。


「……」


 新郎の直希そっちのけで、あおいの演奏する姿をビデオに収めているドレス姿の女性がいた。

 しおりだった。


「あんまり近付くと……邪魔になっちゃいますよ、しおりさん」


 栄太郎と文江の隣の席には、父直人と母静香の遺影が飾られていた。そしてもう一つの空席には、直希が子供の頃に買ったクマのぬいぐるみが置かれていた。

 それは静香から妹が出来たと言われた時に、生まれてきたらプレゼントするんだと奏の為に買ったぬいぐるみだった。そこは奏の席だった。


「父さん母さんも、奏も来てくれてるんだな……」


 ピアノの優しい音色が会場を包み込む。サークル横に立つ西村がうながすと、直希は歩みを止め、サークルを背に正面を向き、一礼した。


 割れんばかりの拍手が起こり、直希はしばらく頭を上げることが出来なかった。

 涙が出そうだった。

 俺、こんなに幸せでいいんだろうか。

 ここに集ってくれた人はみんな、俺にとって大切な人たちばかりだ。

 みんなが祝福してくれている。

 こんな俺の為に集まってくれた。

 俺は、俺は……世界一幸せだ。

 ゆっくりと顔を上げると、直希は濡れた瞳を指で拭い、笑った。

 みぞれとしずくも一礼すると、明日香の元へと帰っていった。冬馬が嬉しそうに二人の頭を撫でる。





 再びあおいの演奏が始まった。

 ショパンの「ノクターン」。



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