第192話 あの日の約束
直希はつぐみの目をまっすぐ見つめた。
つぐみがどう答えるかは分からない。
でも俺は……俺の気持ちは変わらない。
だから俺は、つぐみの出した答えを受け止める。
それが例え、自分にとって辛いことであったとしても。
そう思っていた。
「……ごめんね直希。私はあなたの告白……と言うかプロポーズ、受けるつもりはないわ」
「……そうか」
覚悟はしていた。しかし急に、自分の周りだけ空気が薄くなったような気がした。
胸が締め付けられるように痛い。
でも、それはあの日、自分がつぐみにしたことなんだ。
つぐみもきっと、こんな感覚だったんだろう。そう思うと、また後悔の念が蘇ってきた。
「私はずっと、あなたの傍にいた。あなたを笑顔にしたい、そう自分に言い聞かせてね。
でも本当は……違うのかもしれない。私は本当に、あなたのことが好きだった。あなたがさっき言ったように、私の人生を振り返った時、ほとんどの思い出の中にあなたがいる。ほんと、ふふっ……笑っちゃうぐらいにね」
つぐみの目に涙が光る。
「あなたのことが好きだった。大好きだった。あなたのいない未来なんてもの、想像することも出来なかった。
あおい荘で一緒に住むようになってからは、その気持ちがもっと強くなった。あなたの傍で、あなたを感じて生きていく。新しいあなたを発見していく……それは本当に幸せな時間だった。
直希、言ってなかったんだけど今言うね。私ね、お兄ちゃんに言われたの。一緒にドイツに来ないかって」
「え……」
「お兄ちゃん、医者としての私を評価してくれたの。ドイツで学んで、経験を積んで、もっと多くの人を救わないかって言われたわ」
「それでつぐみは」
「断ったわ。だって私、飛行機が怖いし」
そう言って舌を出して笑った。
「……日本が誇る名医の誘いを、そんな理由で断ったのか」
「勿論それだけじゃないわ。何と言っても私は、この街が好きなの。本当に小さな小さな街。でも私は、この街で生まれたことを誇りに思ってる。この街の人たちが大好きなの。
私はお父さんと一緒に東海林医院で、この街を見守っていきたい。お兄ちゃんの誘いは嬉しかったけど、でもこの街を離れる気にはならなかった」
「そうか」
「その時ね、お兄ちゃんに言われたの。結婚してほしいって」
「プロポーズされたのか」
「びっくりしちゃったわ。だってお兄ちゃんが私のことなんて、思ってもなかったから。断って申し訳ないと思った。でも……嬉しかった」
「……だよな」
「お兄ちゃんには悪いと思ってる。でもね、直希。プロポーズされた時、私の中に誰がいたと思う?」
「……」
「ほら、言ってみなさいよ。誰だと思う?」
「俺……なのか?」
「あなた以外いないじゃない、そんな人」
「でもお前」
「私は直希が好き。この気持ちは何があっても揺るがない。だって私の……大切な初恋なんだから」
「つぐみ、言ってる意味がよく分からないんだけど……どうして今、そんな話を」
「なんでしちゃったんだろうね。私もよく分からない。私のことを女として見てくれる人もいるんだってこと、直希にも知ってほしかったのかな」
「ははっ……なんだよそれ」
「お兄ちゃんにプロポーズされてるのに、私はずっと直希のことを考えていた。あおいから話を聞いて、直希が幸せを恐れなくなった、未来を見る決意をしたと知って……その役目は私ではなくあおいだったんだ、そう思って寂しくなって、辛くなって……でもこれで、私の役目も終わったんだ、そう思ってた。
なのにあの時、私の中にいる直希に気付いた時……私は本当にあなたのことが好きだったんだ、そう思ったわ」
「つぐみ……」
「でも私は、あなたのプロポーズを受けない。なぜだか分かる?」
「それは……俺がお前のこと、いっぱい苦しめてきたから」
「違うわよ。何言ってるのよ直希。あなたってば人のことばっかり考える癖に、幼馴染の考えてることぐらい分からないの?」
「あ、いや……ごめん」
「本当馬鹿ね、あなたは」
そう言うと直希の頬を両手で叩き、顔を近付けた。
「私は直希の告白は受けない。だってそれは……私がすることなんだから」
「え……」
視線を上げると、そこにはつぐみの笑顔があった。
「覚えてないのかしら。私、言ったわよね、あなたに振られた時に」
「……卒業式のことか」
「そう」
「……あの時お前は、奏の話を聞いて、告白はなかったことにしてあげるって言ってくれて、そして……」
「そして?」
「でも私は……あっ!」
直希が声を上げる。
「思い出したかしら」
「つぐみ、お前……」
「私はもう一度あなたに告白する、そう言ったのよ」
「言った……ああ!確かにそう言った!」
「あの日の約束、今ここで叶えさせてね。直希……私の大好きな直希。この世界で一番大切な幼馴染。私のナオちゃん……
私と結婚してください。私はこれからもずっと、あなたの傍で生きていきたいです」
涙を流し、幸せそうな笑みを浮かべてつぐみが囁く。
「つぐみ……」
直希も泣いていた。涙が止まらなかった。
「愛してるわ、直希。私をあなたの……お嫁さんにしてください」
「つぐみ……愛してる。こんなに待たせてしまって……本当にごめん。お前のこと、きっと幸せにする。だから俺と……俺と結婚してくれ」
「駄目よ。私はもう十分幸せなの。だってあなたと……やっと一緒になれるんだから」
「……」
「それにあなた、あおいに言われたんでしょ、幸せになりなさいって。私の幸せよりもまず、自分が幸せになることを考えなさい」
「ははっ、そうだな」
「本当にお願いよ。でないと私、ずっと泣いてやるんだから」
「いやいや、それは勘弁してくれ。お前に泣かれるの、本当に辛いんだから」
「何よそれ、ふふっ」
「ははっ……でも……ありがとうつぐみ。それから……今まで待たせて、本当にごめん」
「全くよ。これからしっかり、埋め合わせしてもらうからね」
「ああ、頑張るよ」
額を合わせ、涙を流しながら二人が笑う。
やがて見つめ合うと、つぐみが静かに瞼を閉じた。
直希が涙で濡れる瞼を指で拭い、ゆっくりとつぐみに唇を重ねる。
唇が触れると、つぐみは体を強張らせた。
しかしやがて力が抜けていき、直希に手を回した。
体中に思い起こされる、この安息感。
それは遠いあの日、雨の降るこの場所で感じたものと同じだった。
二人で交わしたキス。
二人だけの結婚式。
その感覚に身を委ね、二人は長い時間、唇を重ね合った。
そしてどちらからともなく求め合い、抱き締め合った。
二人共泣いていた。そして笑っていた。
名前を呼び合い、互いの存在を確かめ合った。
やっとたどり着いたこの幸せに身を任せ、二人はずっと抱き合った。
もう二度と離さない、離れない。
そう心に強く思いながら。
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