第191話 抑えられない気持ち
「え……」
直希の言葉につぐみが声を漏らした。
俺はあおいちゃんが好きだ、そう告げられると信じて疑っていなかった。真面目な直希のことだ、告白もした幼馴染の自分に伝え、けじめをつけようとしているのだろう、そう思っていた。
直希からのプロポーズ。
つぐみは自分の耳を疑った。
壊れつつある精神が幻聴を聞かせたのではないか、そう思った。
「今……今なんて言ったの、直希」
「……俺と結婚してくれ、つぐみ」
もう一度告げられた直希の想い。その言葉に体から力が抜けていくのが分かった。
つぐみは何も答えず、もう一度ゆっくりとうつむいた。
「……つぐみ?」
そして小さく息を吐くと、今度は勢いよく顔を上げた。
「何を言ってるの?あなたは今日、あおいと会ってたのよね。そこで告白して付き合うことになった。その報告をする為に、私をこんな場所にまで連れて来たのよね」
「あ、いやその……違うぞ」
「……」
直希の目は、嘘をついているようには見えなかった。想定外の言葉につぐみは混乱した。
「でも……直希はあおいのことを」
「ああ、好きだよ。今でも大好きだ」
「だったら」
「でもそれは、人として尊敬してるっていう意味だ。勿論その……女の子としても意識してなかった訳じゃない。それに……事実俺は、あおいちゃんに告白もされていた」
「……」
「だから真剣に考えた、悩んだ。でもな、考えれば考えるほど、悩めば悩むほど、俺の中でつぐみ、お前のことが大きくなっていったんだ」
「何よそれ。私のこと、馬鹿にしてるの?」
「ああいや、気に障ったのなら謝る。でもそうじゃなくて、俺が言いたいのはそうじゃなくて」
つぐみの剣幕に、直希は頭を掻きながら言葉を探した。
「あなたはあおいのことが好き。あなたをずっと見てきて、私はそう思っていたわ。そしてそれは間違いなんかじゃない。だってあおいと接してる時のあなたは、私が知ってる直希じゃなかった。こんな顔するんだ、こんなことで動揺するんだ……その度に、その度に……私がどんな気持ちだったか分かる?」
「つぐみ……」
「それに何?あなたは私に今、プロポーズした。その口であなた、あおいのことがまだ好きって言ったのよ?何なのよそれ」
「だからそれは、そうじゃなくて」
「何も違わないじゃない!」
つぐみがそう叫び、直希の頬を思いきり張った。
「……」
呆然とする直希を前に、肩で息をしながらつぐみが続ける。
「大体何よあなた、いっつもいっつも私のことをないがしろにして、私の意見には碌に耳も貸さないで……その癖あおいや菜乃花の言葉は聞いて。私がどんな気持ちだったかなんて分からないでしょ!」
「それは……」
「それに何よ、あおいから聞いたわよ。あなたの中にあった闇、ずっと背負って来た十字架。私がどんな思いであなたの傍にいて、どれだけ苦しんだか知らないでしょ。どうにかしてあなたを笑顔にしたい、あなたに未来を見て欲しい、そう思って毎日毎日……なのに何よ!どうしてあおいだったのよ!どうして私じゃなかったのよ!私、私……馬鹿みたいじゃない!」
涙を流して叫ぶつぐみ。その言葉を聞きながら直希は、その通りだ、俺ほど忘恩の輩はいない、そう思った。
「なんで私に救えなかったのに、つい最近出会ったあおいには救えたの?私って一体何なの?あなた、仕事のことだけじゃない、自分のアイデンティティーですら、私の言葉を聞くことが出来なかったの?あおいの言葉なら聞けたっていうの?」
「違う、そうじゃない、そうじゃないんだ」
「何も違わないじゃない!」
そう叫び、直希の言葉を切った。
「……私はただ、直希に笑顔になってほしい、過去じゃなく未来を見てほしい、それだけだった……あおい荘が出来てから、あなたが少しずつ変わっていくのを感じて嬉しかった……こんな私でも、少しはあなたの役に立ててるのかもしれない、そう思って喜んでた……でも、私じゃなかった、私に救えなかった。
あなたを救ったのはあおい。なのにどうして、あおいの告白を受けないのよ」
「……さっき俺、悩んだって言っただろ、あおいちゃんに告白されてから。でもな、誤解があるようだから言い訳させてほしい。
確かに俺はあおいちゃんのことも、女の子として意識していた。好きだと思っている。でも……俺にとってはつぐみ、お前以上に傍にいてほしい女なんていないんだ」
「……だから私を選ぶってこと?複数の女から一人を選ぶ、直希も偉くなったものね」
「違う、そうじゃない」
「何も違わないでしょ。菜乃花だって明日香さんだってそう。あなたずっと、選びたい放題の環境にいたじゃない」
「俺にそんな余裕なんてねえよ。出来れば好意を持ってほしくない、その好意が俺にとっては辛いんだってこと、お前なら分かるだろ」
「……」
「ずっとそうだった。罪人である俺にそんな資格なんてない、それとも……これが罰なのか、好意が苦痛なんだから、ひょっとしたらそうなのかって思ってもみた。
確かに俺は、あおいちゃんの言葉で気持ちが楽になった。これまで背負ってきたものが、軽くなっていくのを感じた。でもな……もしお前がいなかったら、お前がずっと傍にいてくれてなかったら、俺はそもそもこの世界にはいなかった」
直希の目にも涙が溢れる。
「口うるさくてお節介で、一人でいたいのに一人にさせてもくれない……そんなお前がいたから、そんな幼馴染が寄り添ってくれたから、俺は笑うことを思い出した。死ぬってことを考えないようになっていった。お前にも言ってなかったけど、父さん母さんがいなくなってから、俺は死ぬことばかり考えていた」
その言葉に、つぐみが反射的に直希の頬を張った。
肩を震わせ睨みつける。
直希は「ごめん」、そう言って言葉を続けた。
「……まだ子供だったから、どうやったら死ねるのかも分からなかった。布団の中で息を止めて見たり、罰を受けようと神様の悪口を言ってみたり……そんなこと、何度も何度もやったよ。でも駄目だった。
そんな時、お前が毎日会いに来てくれた。励ます訳でもなく、ただ俺のことを見守ってくれた。最初の頃は正直、そうされることも苦痛だった。でも……お前の顔を毎日見ていくうちに、他愛もない言葉をかけてくれるうちに……知らないうちに、俺の中で死を望む気持ちが薄れていった。もっとお前と話したい、こうして触れ合っていたい、お前の笑顔がみたい……そう思う気持ちの方が強くなっていった。
俺は自分勝手な男だ。だからあの日、お前に告白された時、俺は断った。でもあの時だって、本当は……何も考えずにお前のこと、抱き締めたかった。キスしたかった。でもそれは出来ない、俺はしてはいけないんだ、そんな気持ちが俺にブレーキをかけた。でも、それでも……お前が俺の元から離れないって言ってくれて嬉しかった。ほっとした」
「……本当、勝手な男よね」
「ああ、そう思う。お前の気持ちは受け入れない癖に、傍にいてほしい……そんな風に考えた俺は最低だと思う」
「最低ね、ほんとに……あの日、私がどれだけ泣いたかなんて知らないでしょ。次からどんな顔で会ったらいいんだって悩んでたことなんて、知らないでしょ」
「……だな」
「なのにあなた、次に会った時も平気な顔で、何もなかったように笑顔を向けてきて……どれだけ腹がたったことか」
「……全くだ」
「でも私は、そんなあなたのことが好きだった。ずっと傍にいたい、そう思ってきた」
「俺は……お前が言うように、あおいちゃんのおかげで少し前を向けるようになった。でも、信じてもらえないかもしれないけど、あの時確かに、俺の中にはお前がいたんだ。あおいちゃんと一緒になって、お前が俺の心を動かしてくれたんだ。お前がずっと俺の傍にいて、俺のことを守ってくれた。これまでお前が言ってくれた言葉、そのひとつひとつが俺の中で声を上げてくれた。生きろ、笑え、前を向けって」
「……」
「俺はお前のことが好きだ。誰かと一緒に未来を見る、そう思った時俺の中には、お前しかいなかったんだ。
つぐみ、愛している。俺と、俺と一緒に……これからも生きてほしい」
そう言って直希がつぐみの手を握った。
強く、強く。
長い時間、沈黙が続いた。
波の音だけがあたりを支配する。
直希はつぐみを見つめ、言葉を待った。
やがてつぐみは小さく息を吐くと、直希の目を見つめて言った。
「嫌よ」
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