第188話 意外な来訪者
「誰か来てるのかな……って、まさかとは思うけど」
あおい荘に戻って来た直希とあおいの目に、正門前に止まっている黒塗りの高級車が映った。
車から降りた直希は反対側に回り、扉を開けてあおいの手を取った。
「すいませんです直希さん、まだちょっと膝が震えてまして」
「気にしなくていいよ。ほら、肩を貸すから。しっかりつかまって」
あおいの手を肩に回し、ゆっくりと歩いていく。
「ただいま」
玄関で声を上げると、菜乃花が慌てて姿を現した。
「おかえりなさい、直希さん、あおいさん……って、大丈夫ですかあおいさん」
「あ、あははははっ、大丈夫です菜乃花さん。ちょっとだけ膝が笑ってまして」
あおいの力ない笑みに、菜乃花は何があったのか聞くのをやめた。
――あの時の私と同じだ、そう思った。
「それで菜乃花ちゃん、前に止まってる車なんだけど」
「そうでした直希さん。実はその」
「やっと戻ってきましたね、新藤直希さん」
聞き覚えのある声が聞こえる。直希が緊張気味に顔を上げると、食堂からスーツ姿のしおりが現れた。
「ね、姉様?」
「姉様、じゃありませんよ、全く……いつまで経っても帰って来ないから、今夜はもう会えないかと思いましたよ」
しおりの姿に、あおいは慌てて直希の肩から手を離した。しかし膝の震えは止まらず、その場にしゃがみ込んでしまった。
「……」
あおいの姿に状況を理解したしおりは、やれやれと言った顔であおいに近付くと手を差し出した。
「しっかりしなさい。ほら立って」
「……申し訳ありませんです、姉様」
あおいが恐縮してその手を握ると、しおりは力任せに腕を引っ張りあおいを立たせた。
「しおりさん、突然すぎて驚いてるんですが、その……今日はどういったご用件で」
「可愛い妹の大切な日だったのです。気になって当然だと思いますが」
分かり切ったことを聞かないでほしい、そう言わんばかりの顔でしおりが言った。
「それに……来て正解だったようですし」
そう言ってあおいの頭を優しく撫でた。
「あと、新藤直希さん。待たせてもらってる間に、あおい荘の中を少々拝見させていただきました」
「あおい荘の中を、ですか」
「ええ。共同経営の件はなかったことになりましたが、それでも私共はあなたのことを、そしてこのあおい荘のことをパートナーだと思っております。いい機会でしたので、こちらの小山菜乃花さんにお願いして、色々と見させていただきました」
「菜乃花ちゃん、そうなのかい?」
「あ、はい……すいません、直希さんの許可ももらわず勝手に」
「いやいや、今日は菜乃花ちゃんとつぐみに任せてたんだ。菜乃花ちゃんがそう判断したんだから、俺から何も言うことはないよ」
「やはりこういう物は、自分の目で確かめなければいけないと改めて思いました。この施設の至る所に新藤直希さん、あなたの思いが感じられました。それにこの懐かしい雰囲気。ここでならきっと、利用者さんたちも穏やかに過ごせると思いました」
「ありがとうございます、しおりさん」
「私共の施設でも、これに倣って導入したい物がいくつかありました。あなたの許可さえいただければ、是非実行に移そうと思ってます」
「いやいやいやいや、許可なんて大袈裟な。お互いにいいと思った物はどんどん取り入れていくべきです。どうか気になさらないでください。と言うか、しおりさんの目に留まったものがあっただなんて、こちらこそ光栄です」
「ありがとうございます。それに利用者さんたちとも、色々とお話させていただきました。本当にここは……いい所ですね。みなさん本当に楽しそうで、私まで楽しい気分にさせてもらいました」
「ありがとうございます」
「それでなんですけど、新藤直希さん。しばらくあおいをお借りしてもよろしいでしょうか」
「あおいちゃんをですか」
「ええ。姉として、妹に少しでも元気を与えたいのです」
「勿論です。というかすいません、こんな時間まで待たせてしまって」
「私も明日早いので、そんなに時間はかけません。では少しの間、あおいをお借りします。それと……小山菜乃花さん、でしたね」
そう言ってしおりが名刺を取り出し、菜乃花に差し出した。
「改めまして、私はあおいの姉、森園しおりと申します。同じ世界に生きる者として、今後ともよいお付き合いが出来れば嬉しいです」
「え……あ、は、はい!私の方こそ、その……よろしくお願いします!」
名刺を受け取った菜乃花が、恐縮した様子で大袈裟に頭を下げた。
「じゃああおい、行くわよ」
「はいです、姉様……それでは直希さん、菜乃花さん。少しの時間、失礼しますです」
「うん。気を付けてね」
「はいです」
そう言って力なく微笑むと、しおりと共に車へと向かっていった。
車を見送ると直希は、名刺を手に緊張した面持ちの菜乃花に向かい言った。
「ごめんね菜乃花ちゃん。しおりさんの相手、大変だっただろ?」
「あ、はい……来た時は本当に驚きました。それにその……ちょっと怖かったです」
「だろうね。あの人のオーラ、半端じゃないから」
「でも、その……入居者さんたちと話をしてるしおりさんを見てたら、そんなに怖い人じゃないのかなって思いました」
「ははっ、そうなんだ……入居者さんたちは大丈夫だった?」
「はい、みなさんあおいさんのお姉さんだと分かると、一気に歓迎ムードになっちゃって……栄太郎さんたちも自分からあおい荘のことを語りだして、それを聞きながらしおりさんも笑って……楽しかったです」
「そうなんだ」
「それでその……直希さん、つぐみさんなんですけど」
「何かあった?」
「あ、はい……つぐみさん、夕食が終わった後で、実家に泊まるから直希さんに言っておいてほしいって」
「実家……東海林医院に泊まるってことだよね」
「はい。色々調べたいこともあるからって」
「そっか……」
「直希さん、それでどうするんですか」
「菜乃花ちゃん?」
「しおりさんでなくても、私にだって分かります。直希さんが今日、あおいさんとどんな話をしたのか」
「……」
「つぐみさんもきっと、そうなんだと思います。多分つぐみさん、どんな答えであれ、それを受け止める勇気がなかった。だから実家に帰ったんだと思うんです」
「菜乃花ちゃん……」
「あおい荘のことは大丈夫です。だから直希さん、つぐみさんのところに行ってあげてください」
菜乃花が手を握り、直希を見つめる。
「つぐみさん、きっと辛い思いをしてます。怖い思いをしてます。そして……寂しがってると思います。直希さんがどんな答えを出したのか、これからどうしたいのか。つぐみさんに会って、ちゃんと伝えてあげてください」
菜乃花の真剣な眼差しに、直希は苦笑した。
「菜乃花ちゃんの前では、もっと頼りがいのある大人でいなくちゃいけないのにね……ははっ、どっちが年上なのか分からないね」
「直希さん」
「行ってくるね、菜乃花ちゃん。それから……ありがとう」
「はい。いってらっしゃい、直希さん」
菜乃花が微笑むと直希はうなずき、車へと向かった。
直希の後姿をみつめながら、菜乃花は「頑張ってください、直希さん」そうつぶやき、笑った。
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