第185話 デート


 直希からの突然の誘いに、あおいは動揺していた。

 入浴を済ませて部屋に戻ると、何を着ていこうかドレッサーと向き合い、気が付くと一時間が過ぎていた。


「駄目です駄目です、今日は早く寝ないといけないんです。明日は早起きして、ちゃんと準備しないといけないのです」


 今回の直希の誘いは、告白の返事をする為だと分かっていた。心の準備が出来てなかったあおいは混乱し、赤面して枕に顔を埋めた。


「直希さんもきっと……私が告白した時、こんな感じだったのですね」


 人から好意を向けられる。伝える側は心の準備をし、決意し、覚悟を決めることが出来る。しかし伝えられる側は、こんなにも狼狽してしまうんだと改めて思った。

 告白する側も大変だ。決意するまで、ずっと悩み続けなくてはいけないのだから。

 きっと自分に伝えるまで、直希も思い悩んだに違いない。そう思うとますます胸の鼓動が早まった。


 その時着信音が響き、あおいは慌てて携帯を手に取った。

 しおりからだった。


「姉様、こんばんはです」


「こんな時間になっちゃってごめんなさいね。中々仕事が片付かなくて」


「いえいえ、私の方こそメールしてすいませんでしたです」


「何言ってるのかしら、この子猫ちゃんは。あなたから連絡をもらえるなんて、私にとってはご褒美以外の何物でもないんですよ」


「ありがとうございますです、姉様」


「それで?どうかしたの?」


「はいです、その……実は明日、直希さんと出かけることになりましたです」


「それってまさか!デートってことなの!」


「いえいえ姉様、落ち着いてくださいです。告白の返事じゃないかと思ってますです」


 声を聞いただけで、あおいの不安な気持ちが伝わってくる。しおりは苦笑し、優しく言葉をかけた。


「しっかりやりなさい、あおい」


「はいです……でも」


「不安?」


「はいです……私はこれまで、男の人を好きになったことがありませんでした。姉様に言われた通り、勇気を持って直希さんに伝えました。でも……答えが出るんだと思うと、急に怖くなってきましたです」


「怖くなってしまう要素が、あなたにはあるということね」


「姉様?」


「全く……だからあの時、無理矢理にでも動くべきだったんです。あなた言ってたわよね、新藤直希に想いを寄せる人が、他にもいると」


「……」


「新藤直希はある意味、選ぶ立場にある。だからあなたは恐れている。選ばれなかったらどうしようと」


「直希さんは……選ぶとか選ばないとか、そんな風に私たちを見てはいないと思います」


「勿論、彼の中にそんな傲慢な気持ちはないと思う。でもね、結果的にはそうなるのよ」


「……ですよね」


「でもまあ、あなたは告白した。そしてあの時、自分の意思で答えを保留にした。既成事実も作らなかった。全部あなたが、あなたの意思で決めたこと。だからあおい、私から言えることはひとつだけよ。頑張りなさい」


「姉様……」


「恋愛はね、戦いなの。中には複数の相手と恋愛出来る人もいる。でもほとんどの人間はそうじゃない。たった一人の運命の相手を探し求める。

 新藤直希に想いを寄せる人が、どれだけいるのかは知りません。でもね、あおい。新藤直希はケーキじゃないの。みんなで分け合うことは出来ない。彼の隣の席はひとつだけ。だから頑張りなさい」


「姉様……はいです、頑張りますです」


「それにあなたにとっては、生まれて初めてのデートなんでしょ。楽しんでらっしゃい」


「はいです、ありがとうございますです」


「まあもし振られちゃったら、私が慰めてあげるから。いつでもこっちにいらっしゃい」


「はいです……って、姉様酷いです」


「ふふっ、しっかりね、あおい」


 電話を切ると、あおいは不思議なくらい穏やかな気持ちになっていた。


「そうです、私は頑張りますです。例えどんな結果になろうとも、私は私が出来る事を頑張るしかないのです」


 そう言って頬を叩くと、布団に潜り込んだ。





 次の日。あおいは直希の運転する車に乗っていた。


「すごいです、風が気持ちいいです」


 窓から見える景色は冬の海。車はずっと海岸線を走っていた。

 あおいは窓を開け、少しひんやりとした風を受けながら、潮の匂いに微笑んでいた。


「あおいちゃん、寒くない?」


「大丈夫です。私、この潮の匂いが大好きなんです」


「ははっ、そうなんだ」


「はいです。この街に来て初めて感じたもの、それがこの匂いだったんです」


「あおいちゃんの街にはないものだからね」


「私にとってはあおい荘の匂い、そして直希さんの匂いなんです」


「そうなんだ」


「はいです」


 そう言って笑顔を向けるあおいは、本当に幸せそうだった。


「でもあおいちゃん、本当にこんなのでよかったのかな。ほら、二人で出かけるっていったら、街でショッピングするとか、映画を観るとかあると思ったんだけど」


「私にとって、この海は特別なんです。この街に着いて、私はずっと海岸を歩いていました。海って本当に大きいんだなって思いながら、太陽さんにじりじりと焼かれてましたです」


「あの日は暑かったからね。あおいちゃん、街からあおい荘まで、ずっと歩いてきたんだもんね」


「あの時どうして海岸を歩いていたのか、よく覚えてませんです。ですがこの海の先に何かがある、そんな気がしてたように思うんです」


「海の先に?」


「はいです。そしてそれは本当にありました。この海のおかげで私は、あおい荘に出会えたんです」


「そうなんだ……うん、そうだよね」


「だから私はあおい荘に、直希さんに出会わせてくれたこの海が大好きです。そしてこの海がどこまで続いているのか、それが見たかったんです」


「どこまで続いているのか……いやいや、それは多分ずっとなんだけど」


「そうなんですけど、そうじゃなくて……この海が、私のこれから生きる道を教えてくれるような、そんな気がするんです。だから私は今日、直希さんに出会わせてくれたこの海を、直希さんと一緒に見たかったんです」


 そう言って微笑むと、後部座席から菓子を取って口にした。


「あおいちゃん、ひょっとして今日一日、ずっとこのままでいいのかな」


「はいです。勿論、直希さんがお疲れなら別ですが」


「いや、それはいいんだけど……お菓子の量、がね」


 後部座席に置かれた山積みの菓子を指差して、直希が笑った。


「はいです。旅のお供です」


 そう言って笑うと、直希の口に菓子をつまんで入れた。


「どうですか直希さん、おいしいですか」


「うん、おいしいよ」


「よかったです」


 二人が顔を見合わせて笑う。

 軽快なBGMが流れる中、車は海岸線を走り続けた。



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