第184話 私の役目


「……うん、分かった」


 数日後、須藤に連絡をしたつぐみは喫茶店に来ていた。この前の告白、そしてドイツ行の話を断る為だった。


「ごめんね、お兄ちゃん」


「いや、正直言うとね、僕も駄目だって分かってたんだ。でもまあ何て言うか、それでもちゃんと伝えておきたいって思ったから」


「お兄ちゃんが私のこと、そんな風に想ってくれてたなんて……ちょっとびっくりした」


「ははっ、そうだよね」


「それに、その……ドイツ行の話も、ありがとう。嬉しかった」


「つぐみちゃんに言ったこと、あれは本当だよ。君は立派な医者になれる」


「ありがとう」


「それにつぐみちゃん、君は君が思っている以上に魅力的な女性だよ。それは誇っていいと思う。今だから言うけど、君と初めて会った時からそう思ってた」


「そうなの?お兄ちゃん、あの頃からそんな風に想ってくれてたの?」


「だけど流石にね、ははっ、大学生が中学生の女の子に告白する訳にもいかないし、ずっと隠してた。意識もしないようにしてた」


「そうだったんだ……ごめんなさいお兄ちゃん。気付かなかったとはいえ、お兄ちゃんのことをいっぱい傷つけていたと思う」


「いやいや、それはいいんだよ。と言うか、そうでなかったら困るよ。だってあの時気持ちを抑えられてなかったら、僕は先生の娘さんに手を出す、恩知らずなロリコン野郎になってたんだから」


「ロリコンって……馬鹿」


「ははっ……それでなんだけど、つぐみちゃん。僕の誘いを断る理由、聞いてもいいかな。自分の中でけじめをつける為にも、ちゃんと聞いておきたいんだ」


「それは……」


「直希くんのこと、かな」


「……」


「あの頃もそうだったけどつぐみちゃん、本当に直希くん一途なんだね」


 そう言って笑うと、つぐみが照れくさそうにうつむいた。


「直希くんはつぐみちゃんの気持ち、ちゃんと分かってるのかな」


「どう、だろう……昔一度、私は直希に告白してるの。でもその時は振られちゃって」


「そうなのかい?」


「うん……それから私たちは、告白をなかったこととして過ごしてきた。私はその……正直言って、直希以外の人と一緒になる未来を描くことが出来なかった。それに直希は私だけじゃなく、誰ともそういう関係になることを望んでなかったから」


「なかったということは、今は違うのかい?」


「正直分からないの。直希は今、変わりつつある。過去の呪縛から解放されて、あいつは未来を見ることを恐れなくなった。でもあいつ、幸せ慣れしてないから混乱してるように見えるの。それに……」


「それに?」


「直希の中には、私じゃなく違う人がいる。そう思うの」


「それはあおい荘の女の子、かな」


「ええ……今更隠しても仕方ないわよね、あおいよ」


「あおい……ああ、あの面白い話し方をする女の子」


「面白いって、ふふっ、お兄ちゃん酷い」


「ごめんごめん、悪意はないんだ」


「そのあおいとの間にある空気がね、そうなんじゃないかって思えるんだ」


「それでつぐみちゃんは、どうするつもりなんだい」


「……人にはそれぞれ、役割があると思うの」


「……」


「私にとって、直希はかけがえのない大切な存在。それは今も変わらない。だからこれまでだって、ずっとあいつから離れなかった。あいつが悩んだ時、苦しい時、道に迷った時に力になりたい、そう思って来た。それがいつの頃からか、あいつを好きなんだって自覚するようになった。でもね……私がいくらそう思っていても、人の気持ちを変えることは出来ない。直希の心は直希だけのもの。そして直希は今、あおいを一人の女の子として意識している。

 私の役目はあいつを支えること、それはこれからも変わらない。私は直希を支え続けたい。でもそれは、あくまでも仕事のパートナーとして、そして幼馴染として……そんな気がするんだ」


「諦めるのかい?もう一度告白しないのかい?」


「私は……やっと直希が未来を見るようになった、幸せを恐れなくなった。そんな直希をこれ以上悩ませたくないの。苦しませたくないの」


「つぐみちゃん……」


「やっと直希が前を向いたのに、私がいつまでも過去のことに囚われて、あいつの歩みを止めたくないの。直希には……いつも笑っていて欲しいから」


 そう言ってうつむくと、テーブルに涙が落ちた。


「あ……ご、ごめんなさい、これはその、違うの」


「僕にまで強がらなくていいよ。それにつぐみちゃんの気持ち、直希くんへの想いは痛いほど伝わった。それでもなお、直希くんを支え続けたいという決意もね」


 須藤がハンカチを差し出すと、それを握り締めて涙を拭いた。


「もう……お兄ちゃん、私昔から言ってたわよね。ハンカチ、皺々じゃない……アイロンぐらいかけなさいよ……」


「ははっ、そうだったね、ごめんごめん」


「本当よ、馬鹿……」


 止まらない涙を拭いながら、つぐみが肩を震わせた。





「ただいま」


「おう、おかえり。浩正さんと会って来たのか」


「ええそうよ。お兄ちゃん、あさってドイツに帰るから。一応お別れの挨拶をと思ってね」


「そうか。浩正さん、もう帰っちゃうんだな」


「直希にもよろしくって言ってたわよ」


「そっか、ありがとう」


 つぐみが着替える為に部屋に戻ると、直希は大きく伸びをした。

 直希はつぐみの目が腫れていたことに気付いていた。

 何があったのかは知らない。

 ただつぐみが泣く時は、決まって自分に関係していることだと分かっていた。




「俺も……ちゃんとしないとな」




 着替えを終えたつぐみが部屋を出ると、直希が立っていた。


「どうしたの直希。何かあったのかしら」


「あ、いや……つぐみは明日、一日あおい荘の勤務だったよな」


「ええ、そうだけど」


「菜乃花ちゃんも確かいるよな」


「ええ……明日は直希の休みだから、あおいも出勤だけど」


「つぐみ、頼みがあるんだ」


「……聞いてからね、何かしら」


「明日、あおいちゃんにも休みをもらえないかな」


 その言葉につぐみは、心臓を鷲掴みされたような感覚を覚えた。

 しかし動揺する姿を見せまいと拳を握り、笑顔を向けた。


「いいけど……どうかしたの?」


「明日、あおいちゃんと出かけようと思うんだ。二人で」



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