第183話 決意


 夕食を終えた直希は、庭の喫煙ブースにいた。

 花壇の花を見つめ、持って来たコーヒーに口を付けて白い息を吐く。


「……」


 無意識の内にポケットから煙草を取り出し、口にくわえる。そして火をつけようとした時、背後から声が聞こえた。


「煙草はやめなさいって言ってるでしょ」


「わたったったっ」


 その言葉にライターを落とし、慌てて振り返る。

 そこにいたのは、意地悪そうな笑みを浮かべている菜乃花だった。


「なんだ、菜乃花ちゃんか……つぐみかと思ったよ」


「ふふっ、驚きました?」


 菜乃花がそう言って笑い、ライターを拾い上げた。


「直希さん、寒いのが苦手だって言ってるのに、煙草の為だったら我慢出来るんですね」


「ああいや、それは……ははっ、面目ない」


「そんなに震えながらでも吸いたいなんて、私にはよく分かりません」


 直希の隣に腰を下ろすと、慣れない手つきでライターに火を灯す。直希は苦笑しながら、「ありがとう」そう言って煙草に火をつけた。


「直希さん、本当に変わりましたね」


「俺が?いや、どうだろう……自分ではよく分かってないんだけど、そうなのかな」


「はい、そう思います。私はその……去年の暮れぐらいから、直希さんに何があったのか、何も知りません。その……あおいさんとの間に何かがあった、そのことは感じました。でもそれからの直希さんを見てて、何て言ったらいいのかな……それだけじゃない、何かが直希さんの中で変わった、そんな風に思ってました」


「そうなんだ」


「何より直希さん、よく笑うようになりました」


「そう……かな」


「はい。直希さんはその、いつも優しくて穏やかで、私や他の人に対しても笑顔で接してくれていました。でもその笑顔は、私たちを安心させる為って言うか……うまく言えないんですけど、私はそんな風に思ってました。でも、直希さん自身が楽しい、嬉しいと思って笑っているところを、あんまり見た記憶がないんです。

 でも、その……最近の直希さんは、すごく自然な笑顔をするようになったと思います。無理して笑ってるのではなくて、心から笑ってる……そんな気がしてました」


「そんな風に感じさせていたんだ。ごめんね」


「それぐらい今の直希さん、肩に力が入っていない自然な感じで、いいなって思ってました」


「……ありがとう、菜乃花ちゃん」


「でも」


「でも、何かな」


「……直希さん、何か迷ってますよね」


「……」


「ずっと感じてた悲壮感みたいなもの、それはないです。でも最近の直希さんは何かに迷い、答えを見つけようとしている。そんな風に思ってました」


「……本当に俺のこと、よく見てくれてるんだね。それに気を使わせて。情けないな、こんなんじゃ」


「直希さんが迷ってるのって、その……以前私に言ってくれた、好きな人のこと、なんですよね」


「……」


「ごめんなさい、私が聞くようなことじゃないんですけど」


「いや……菜乃花ちゃんにだから、正直に言うよ。確かに俺は今、ずっとそのことを考えてる」


「考えてるだけですか?行動に移さないんですか」


「タイミングを見てるというか……いや、違うな。たった今正直に話すって言ったんだ、ちゃんと言わないとね。

 俺は今まで、そういうことから目を背けてきた。そしてつい最近まで、それが死ぬまで続くんだって思ってた。でも今、俺の中には一人の女性がいる。そのことに戸惑って……どう行動に移せばいいのか分からなくなってるんだ。そしてそんな自分が情けなくて、もういっそこのまま、何もしないのもありなんじゃないかって思ったりもしてるんだ」


「……」


「ごめん。菜乃花ちゃんに話すようなことじゃないよね。言ってからそう思ったよ」


「ですね。何と言っても直希さん、その好きな人がいるんだから、私とは絶対に付き合えないって言ったんですから」


「……ごめん」


「本当ですよ、全く……ふふっ」


「菜乃花ちゃん?」


「心配しないでください、私はもう気にしてませんから。あれだけはっきりと振られたんです。辛かったし哀しかった。でもおかげで私は、新しい気持ちで新しい年を迎えることが出来たんです。勿論、その……完全に気持ちの整理がついた訳ではないですよ。私にとって、大切な初恋だったんですから」


「……ごめんね」


「だから謝らないでくださいって。私が言いたいのはそうじゃなくて、そこまで言って私を振ったのに、今更告白することに躊躇してるのは違うんじゃないですかってことなんです」


「……だね、確かにそうだ」


「だから直希さん、頑張ってください。悩むのもいいと思います。でも直希さんが好きなその人が、直希さんから離れてしまう前に動かないと。でないと後悔しますよ」


「ありがとう、菜乃花ちゃん……ははっ、何て言ったらいいのかな、菜乃花ちゃんがお姉さんみたいに思えてきたよ」


「そうですよ。私は子供じゃないんです。今年の春からは専門学校生、もう立派な大人なんですから」


 そう言って笑う菜乃花を見て、直希も笑顔を見せた。




「いい雰囲気になったもんさね、あんたらも」


 声に振り返ると、節子が笑顔で歩いてきた。


「節子さん駄目ですよ、外は寒いんですから。風邪でもひいたら大変です」


「たまにはこうして、夜風にも当たらんとね。いつも甘やかしてると、体にもよくないさね」


 そう言って笑うと、菜乃花の頭を優しく撫でた。


「……節子さん?」


「あんたもいい女になったもんさね。今のあんたなら、この子もちょっとは惚れるかもしれん」


「勘弁してくださいよ、節子さん」


「照れることはないさね。菜乃花嬢はあんたに恋をして、いい女になった。私が見てる限り、今のあんたよりずっと強く見えるさね」


 節子の言葉に、菜乃花は照れくさそうに頬を染めた。


「次はあんたの番さね。あんたは菜乃花嬢と違って男さ。しっかりきばって動かんと」


「そう……ですね、確かにその通りです」


「私から見れば、あんたも菜乃花嬢もまだまだ子供さね。あんたたちはこれから、今よりもっとたくさんの物を見て、聞いて、経験していくことになる。楽しいこともある。辛いこともある。その全てがあんたらの血肉となって、あんたらを豊かにしていく。そうさね……あんたが今悩んでること。それはそういう意味では、その第一歩になるのかも知れん」


「第一歩……」


「だからしっかり悩むといい。考えるといい。でもね、菜乃花嬢の言った通り、あんまりもたもたしていたら駄目だ。幸せなんてもんは、すぐに目の前から消えてしまうもんさね。つかみ損ねないようにせんとね」


「……ありがとうございます、節子さん。それに菜乃花ちゃんも、ありがとう」


 煙草を揉み消し、直希が大きく背伸びした。


「みんなにいっぱい心配をかけてきた。そしてやっと、自分で決めたことなんだ。ちゃんと動いて、答えを出さないとね」


「はい、その意気ですよ」


 菜乃花が立ち上がり、直希に手を差し出す。

 直希がその手を握ると、力強く引っ張った。


「頑張ってください、直希さん」


「うん。頑張ってみるよ、俺」


 そう言って笑顔を見せると、菜乃花も節子も嬉しそうに笑った。



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