第181話 東海林つぐみ


 考えてみた。

 自分の人生について。

 これまでのこと。そしてこれからのことを。





 私の人生には、物心ついた時からずっと直希がいた。

 初めて会った時のことは覚えていない。でも気が付けば、直希はいつも私の隣にいた。

 その頃直希のことを、私はどう思っていたんだろう。


 優しい子?

 一緒にいて楽しいおともだち?


 よく分からない。

 でもあの日。

 私のことを「べっぴんさん」と言ってくれたあの日から、私の中で直希という存在は大きくなっていった。

 直希のことを考えると、胸がドキドキした。顔が熱くなった。

 直希が私の手を握り、「つぐみちゃん大好き」と言ってくれた時のことを思い出すと、体中がむずがゆくなった。


 そして。

 私は直希と結婚した。

 二人で駆け落ちして、そこで生まれて初めてキスをした。


 あの時のことはよく覚えてる。

 私にとってあれは、早く大人になりたいという願望だったんだと思う。

 大人がしていることは全部したい、そう思ってた。

 そうすれば自分は大人になれるんだ、そう信じていた。

 直希のことは好きだった。

 男の子にいじめられる私を、いつもかばってくれた。

 喧嘩で傷だらけになっても、決して逃げなかった。

 嬉しかった。

 直希は大人ぶる私のことを、いつも褒めてくれた。

 だから私は、直希の前ではいつも大人ぶっていた。何でも知ってるふりをした。

 そうすればもっと私を好きになってくれる、そう信じていた。

 そんな自分勝手な理由で、直希に迷惑をかけてしまった。

 直希を泣かせてしまった。


 でもあの時。二人で雨宿りをしていた時に感じた安息感は本当だ。

 だから私は直希とキスをした。

 直希と結婚すれば、キスすればこの気持ちはもっと大きくなる、そう思った。

 そしてそれは本当になった。


 私は直希に恋をした。


 直希とずっと一緒にいたい、そう思った。




 直希のお父さんとお母さんが亡くなって。

 私も泣いた。大声で泣いた。

 そんな私を、直希は優しく抱き締めてくれた。

 自分の方がもっともっと悲しいはずなのに。

 直希は「ありがとう」、そう言ってくれた。

 その強さに心が震えた。また涙が溢れて来た。


 無口になってしまった直希。

 私は何とかしたかった。元の直希に戻って欲しかった。

 でもあの日以来、直希の顔から笑顔が消えた。


 私は思った。

 直希を救うのは私の役目だと。

 私にしか出来ないんだと。

 だから私は、毎日直希の家に行った。

 大変だった。

 栄太郎おじさんの家は、子供が通うには遠かった。

 でも私はやめなかった。

 直希の笑顔を見たかったから。


 そうしている内に、直希が笑うようになった。

 ぎこちない、どこか陰りのある笑顔。

 でも、それでも嬉しかった。

 嘘でもいい。

 笑い続けていく内に、いつか本当に笑えるようになる、そう信じた。




 卒業式の日。直希に告白した。


 ずっと自分の中で育てて来た想い。

 怖かった。膝が震えた。多分、声も震えていた。

 でも私は、この人が好きなんだ。だから今、私は想いを告げる。そして今日から、新しい一歩を踏み出すんだ、そう思った。

 それなのに。


 私は直希の闇に触れた。

 奏ちゃんという闇に。


 体中が震えた。全身の血が逆流した。

 この人はこんなにも重い十字架を背負っていたのか、そう思い泣いた。

 彼の口から、あるはずのない奏ちゃんとの今が語られている時、胸が張り裂けそうになった。


 だから怒鳴った。

 聞きたくなかった。

 そして後悔した。


 私は何て愚かなんだろう、そう思った。

 強がって見せた。でも心は打ちのめされ、ボロボロになっていた。

 初めての失恋の痛み。

 でもそれ以上に私は、直希の闇に気付けなかった自分を責めた。

 今まで私は、何を見て来たのだろう。

 直希の何も感じてなかった。

 そんな私が直希を愛しているなんて、馬鹿げてる。

 結局のところ私は、直希のことを何も分かっていなかった。

 ただ単に、直希といて居心地がいいだけだったんだ。

 自分の想いに酔い、そして彼との未来を夢想していたに過ぎないのだ。


 私は直希のことが好き。

 でもまだだ。

 私はもっと直希のことを好きになれる。

 彼の闇を知った今から、私の本当の恋は始まるんだ。

 だから彼に言った。

「私はもう一度、あなたに告白する」と。




 直希。

 直希。

 直希。


 大好きな直希。

 あなたが自分の道を見つけてくれた時、本当に嬉しかった。

 初めてあなたが、過去ではなく未来を見てくれた。

 そしてその目を見た時、心がどうにかなりそうになった。

 未来を夢見る直希は、こんなにも凛々しいんだ、そう思った。


 あおい荘がオープンして。

 何だか心の中にあった糸が一本切れたような気がした。

 そんな場合じゃない。これからが大変なんだ。

 これから私は直希と共に、このあおい荘を守っていかなくてはいけないんだ。

 あおい荘は直希の夢。直希そのもの。

 これからがスタートなんだ。

 分かってるのに。

 涙が止まらなかった。


 あおい、菜乃花、明日香さん。

 みんな大好きだ。大切な仲間だ。

 そして彼女たちもまた、直希に想いを寄せる人になった。

 正直焦った。

 直希とは一番付き合いが長い。いくらそう思っても、心が落ち着かなかった。

 みんな魅力ある女性だ。

 誰を選んだとしても、きっと幸せになれる。

 でも。それでも。

 隣には私が立っていたい、そう思った。

 だから動いた。

 私もあおい荘に住もうと。




 あおい荘での生活が始まって。

 毎日が騒々しくて、賑やかで。

 楽しい日々だった。

 入居者さんたちもいい人ばかりで、本当の家族みたいに思った。

 あおいたちもそう。

 私たちは家族なんだ。

 今の生活は心地いい。壊したくない。

 こうして毎日、楽しく穏やかに過ごしていけたらそれでいい、そう思った。

 それは彼女たちにしても同じだった。

 この幸せな時間がずっと続けばいい、そう願った。

 でも。


 それが夢だってことぐらい、私も分かっていた。





 菜乃花の告白。

 後で聞いたけど、明日香さんもプロポーズしたらしい。

 そして……あおい。


 あおいのおかげで、直希は過去の呪縛から解き放たれた。

 聞いた時、本当に嬉しかった。

 でも……私ではなかったことが悔しかった。辛かった。

 あの時、あおいは私を心配してくれた。

 この子も馬鹿だ。

 直希のことが好きな癖に、私のことを心配している。

 そんな場合じゃないでしょ、あおい。

 大好きな直希と一緒になりたいんでしょ。

 私のことなんか気にせず、頑張らないと。


 ずっと望んで来た。

 直希を救うこと。

 でもそれは、私の役目ではなかった。

 そう思った時、体中から力が抜けていくのが分かった。

 そして思った。

 私の役目は今、全部終わったんだと。


 直希は今、未来を見ている。

 幸せを恐れなくなっている。


 直希、よかったね。

 あなたが心から笑える日が来たのよ。

 私がどれだけ待ち望んでいたか。

 あなたの隣には今、誰が立っているの?

 その人のこと、大切にしないと。

 ほら、勇気を持ってちゃんと見なさい。

 あなたの隣には誰がいる?

 幸せから逃げて来たあなたが、一番にしなくてはいけないこと。

 それはその人を見つけることよ。

 そしてもう、答えは出ているはずよ。



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