第177話 竹馬の友


「おっ、やっと来たな。こっちだ、こっち」


 クリスマスパーティが終わったあおい荘。日付が変わってしばらくした頃に、庭に生田と西村がやってきた。


 迎えたのは栄太郎。


「新藤さん、こんな時間にどうしたんですか」


 宴会が終わりに近づいた頃、栄太郎は生田と西村に、後でここに来るようにと耳打ちしていたのだった。


「いやな、たまには野郎三人で、こうしてゆっくり話したかったもんでな」


「嘘、ですね」


「嘘なもんか。何と言ってもわしらは、若い頃からよくつるんでた仲なんだ。まあ西村さんは、ちょっとばかり年を食ってからの付き合いだがな」


「それで?本当のところは」


 栄太郎の昔話に耳も貸さず、生田が厳しい表情で言った。


「いや、ははっ……なあ生田さんや、わしもあんたとは、随分長い付き合いだ」


「まあ、確かに……私が高校の頃からですから、かれこれ60年ぐらいですね」


「そうか、もうそんなになるのか。西村さんとは、40年ぐらいだな」


「ほっほっほ。わしはなんじゃ、仕事をやめてからになるからのぉ。それぐらいになるかな」


「それでだ。わしらにもな、色々あったと思うんだ。時には喧嘩もした。本気で怒鳴り合いもした。だが……今ではそれもいい思い出だ。わしはあんたらに出会えたこと、天に感謝してる」


「新藤さん。あんたがその目をしてる時は、碌なことがなかったように記憶してる。何をたくらんでるんですか」


たくらむだなんて、人聞きの悪いことを言わんでくれ。わしはただ、心の友たるあんたらに、ちょっとした頼みごとをしたいだけなんだ」


「やはりね……それで?どんな頼みごとなんですか」


 生田が、やれやれといった表情で腕を組む。栄太郎は苦笑し、頭を掻きながら小声で言った。


「煙草……なんだがな、最後に一本だけ、めぐんでほしいんだ」


「煙草って……何を言ってるんですか新藤さん!」


「声、声がでかいって」


「あ、ああ、すまない……全く、こんな時間に何かと思えば、またとんでもないことを」


「ははっ、全くだ」


「いやいや、これはあんたに言ってることなんだが」


「ほっほっほ。やはり未練が残っとるんかいのぉ」


「そうなんだな、これが。直希に頼んでも却下されたし、それにあいつの顔を見てると……吸ってはいけないと思っとる」


「でしたら」


「でもな、わしも煙草とは長い付き合いだったんだ。生田さんとの付き合いよりも長いんだ、そう簡単に未練は断ち切れん。だが、わしは直希の為にやめると決めた。その決意は変わらん。わしはもう二度と、あいつのあんな顔を見たくない」


「なら、この話に意味がないことぐらい、分かりそうなものじゃないですか」


「だけど、だけどなんだよ生田さん。別れにはほら、それなりの儀式ってのがいるだろ?長い間、わしのストレスを背負ってくれた煙草に、敬意を持って別れを告げたいんだ」


「全く……直希くんも駄目だと言ったんですよね」


「ああ、その一本が罠なんだって言ってな」


「私も同じ意見です。この話は聞かなかったことにしますので、部屋に戻りましょう」


「待ってくれ、待ってくれって生田さん。西村さんも、生田さんを止めてくれ。わしはな、直希が言ってることも分かってるつもりだ。二度と吸わないという決意もしてる。わしの望みはただ一つ、今ここで、最後の一本を吸いたいだけなんだ」


「あんたにはこれからも、長生きしてもらわないと困るんだ」


「生田てめぇ……こっちが下手に出てたらいい気になりやがって。お前まさか忘れてないよな、ガキの頃の万引き、見逃してやったろうが!」


「なっ……おい新藤っ、それは言わない約束だろうが!」


「ほっほっほ、真面目が売りの生田さんにも、そういう過去があったんじゃのぉ」


「おうよ西の字。こいつはな、親への反発か何だか知らんが、若い頃はかなりやさぐれてたんだ。そんである時、わしの所に出入りしてた若いもんの本屋でな、万引きをして取り押さえられたんだ。そこにたまたま通りがかったわしが、前途ある若者のちょっとした出来心なんだ、許してやれって言ってやったんだ。おい生田、あん時あのまましょっぴかれてたらお前さん、果たして警察に入れてたんかな」


「それは……いやいや、それと煙草は関係ないだろうが」


「うるせいこのクソガキがっ、大体お前に女を教えてやったのもわしだったよな。あの時の借りもまとめて、今ここで返してもらおうじゃないか。四の五の言わずに、黙って一本寄越しやがれ!」


「くっ……」


 生田が恨めしそうに栄太郎を睨みながら、懐から煙草を取り出した。


「西村さんにもやってくれ」


「ああ……どうぞ、西村さん」


「ほっほっほ、これはすまんのぉ」


「しかし……新藤さん、あんた本当に煙草、やめるんだろうな。これがきっかけでまた吸い出したなんてことになったら、わしは直希くんたちに顔向け出来ないぞ」


「安心してくれ、大丈夫だ。わしはな、直人と約束したんだよ」


「直人くんと」


「ああ。直希があおいちゃんの家に行った日だったかな、直人が夢の中に出て来たんだ。あいつ、夢の中でまでクソ真面目でな、相変わらずだと思ったもんだ」


「それで、直人くんは何と」


「直希がようやく、自分のことを見つめるようになった。自分の幸せについて、考えるようになった。本当に嬉しい、そう言って笑ってたよ」


「直人くんがそんなことを」


「そしてこう言ったんだ。自分たちには見守ることしか出来ない。だから父さん、悪いけどもうしばらく、そっちで元気でいてほしい。そして自分たちの分まで、直希のことを支えてやってほしいってな」


「……そうですか」


「ただの夢だと思ってたよ。だがその後で直希と会って、びっくりしたんだ。夢で直人が言ったこと、あれは本当だったんだって思った。直希の目には幸せを恐れない、未来を見る決意が宿ってた。だからわしも、直人に約束したんだ。これからも健康で、直希の為に生きるってな」


「そうでしたか……そんなことが」


「だから心配することはない。わしはこの一本で、煙草とはきっぱり縁を切る。酒も飲まん。そしていつか、直希の子供をこの手で抱く」


「……分かりました。そういうことならこの生田兼嗣、最後の一本に立ち会いましょう」


「ありがとう、生田さん」


「じゃが……新藤さんや、なんでわしらに声をかけたんじゃ?最後の一本が吸いたいんじゃったら、わざわざわしらに言わんでも、一人で隠れて吸えたじゃろうに」


「煙草ってのはな、西村さん。酒と同じで、気の合うやつと楽しんでこそなんだよ。わしはこの最後の一本を、あんたと生田さん、三人で一緒に楽しみたかったんだ」


「新藤さん……」


「ほっほっほ、そんな大役を頂けるとは、光栄の至りじゃて」


「狭い街とはいえ、縁があって長い時間、あんたらとは過ごしてきた。そして今では、こうして一つ屋根の下で生活をしている。あんたらはわしにとって、大切な仲間なんだよ」


「新藤さん……どうぞ」


 生田が火を差し出すと、栄太郎が目を細めてうなずき、煙草を近付ける。西村も生田も顔を近付け、一緒に火をつけた。


「……うまい!人生最後の一服、我が煙草人生に悔いなし!」


「ほっほっほ」


「……いい……夜ですね」


 星空に三人の吐いた白い息が優しく舞う。


「来年も……いい年にしたいものだな」


「ええ、そうですね」


「大丈夫じゃろ、あおい荘じゃからな。ほっほっほ」





 三人に気付かれない様に息をひそめていた直希は、涙で霞んだ目で、その光景を見ていた。


「ありがとう、じいちゃん……」



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