第176話 クリスマスプレゼント


「え……あ、明日香さん、今なんて」


「結婚してほしいんだ、あたしと」


 突然のプロポーズに、直希は手にしていた煙草を落として固まった。


「あたしね、その……前に一度、ダーリンにプロポーズしたつもりだったんだ。みぞれとしずくの父親になってほしいって。でも、ダーリンってば鈍感だから、言葉通りに受け止めちゃって。一世一代の告白だったのに、うまく誤魔化されちゃってさ。だからね、もう一度はっきりと言おうって、ずっと思ってた。

 あたしは今も昔も、ダーリンのことが好き。愛してる。でもダーリンは、あたしって言うか、女のことになるといつも逃げ腰でさ。つぐみんやなのっち、アオちゃんにアピールされても、いつもうまくとぼけてた」


「それはその……あ、いや、とぼけてた訳じゃなくて」


「分かってる。ダーリンはちゃんと、相手の気持ちを理解してた。少なくとも、あたしやなのっちのことはね。ただダーリン、本当にそういうことになると臆病だから、鈍感な振りをして誤魔化してた」


「……ははっ、お見通しだったんですね」


「でもね、あたしはそれもいいかって思ってた。毎日が本当に楽しかったから。あおい荘が出来て、なのっちやアオちゃんもやってきて、毎日賑やかに笑いながら、みんなでダーリンのことを取り合って。本当、楽しかった。

 無理にあの日のことを掘り返して、今の幸せを失いたくない、そう思ってた。でもね、楽しい時間もそろそろ終わり……そんな気がしたんだ」


「明日香さん……」


「アオちゃんの家から帰って来て、ダーリンを見た時に感じたんだ。ダーリンの中で、何かが変わったって」


「……」


「ダーリンが自覚してるかどうかは分からない。でもね、あの時あたし、本当にそう思ったんだ。あたしはバカだからうまく言えないけど、ダーリン、未来を見ることを恐れなくなった。そう思ったんだ。

 いつも感じてた、ダーリンの中にある闇。それが何なのか、あたしは知らない。でもダーリン、その何かに囚われていた。そしてそこから抜け出そうともしてなかった。

 ダーリンはいつもみんなの幸せを考えて、その為にならどんなことでもやってきた。あたしはそんなダーリンに惚れた。だけどダーリン、自分の幸せとなると極端に臆病になってた」


「よく……見てくれてたんですね、明日香さん」


「惚れてるからね。そんなことぐらい、朝飯前だった。だけどあの日のダーリンを見て、何かが変わったと思った。そしてそれが……なのっちを動かした」


「……」


「みんな黙ってるけどね、多分同じことを感じてたと思う。そしてそれが、ダーリンと一緒にいたアオちゃんに関係があることも分かってた。

 でもあたしは大人だからさ、流石になのっちみたいに、あのタイミングでは言えなかった。まあ、あれが若いってことかって、ちょっとだけ羨ましかったけどね」


「……俺もあの時の菜乃花ちゃん、羨ましかったです」


「だからね、ダーリン。あたしは今、もう一度ダーリンにプロポーズする。ずっと胸の奥で育てて来た想い。あたしは今夜、ダーリンに答えを出して欲しいの」


「明日香さん……」


「それがクリスマスプレゼント。今ここで、ダーリンから貰いたいんだ」


 そう言って両手を広げて笑った明日香に、直希の胸は高鳴った。


「ダーリン……好き。愛してる」


 その言葉は直希にとって、あまりにも重い言葉だった。


 これまで罪を背負い、未来から目を背けて生きて来た自分を、彼女はずっと見守ってくれていた。愛してくれていた。

 そして今、彼女は自分への想いを口にして、答えを求めている。

 それがこれまでの関係を壊してしまうかもしれない、そんな恐怖と戦いながら。




「明日香さん……」


「は、はい……」


 明日香が怯える子供の様な目で直希を見る。


「ありがとうございます。俺も明日香さんのこと、大好きです。でも……すいません。俺は明日香さんの想いに応えられません」


 そう言って頭を下げた。


「俺は……俺には好きな人がいます。明日香さんが言うように、これまで俺は、そういうことから目を背けて生きてきました。その結果、たくさんの人を傷つけてきました。

 俺は人を愛してはいけない、その資格がないんだって思ってました。でも……あおいちゃんと実家で会って、色んな話をして……いや、違いますね、俺の様な人間に、たくさんの人がずっと言ってくれてました。お前は幸せになってもいいんだって。だけど俺は、その言葉を拒絶してきました。

 でもあの日、あおいちゃんと話をしていく中で、俺の背負っていた物が少しずつ軽くなっていくことを感じました。

 幸せになってもいいんだろうか、人を好きになってもいいんだろうか……そんな風に思えた時、本当に嬉しかった」


「そうなんだ。やっぱりアオちゃんってすごいんだね」


「俺もそう思います。何て言ったらいいんでしょう、あおいちゃんの言葉のおかげで、突然目の前が明るくなったような……そんな気がしたんです」


「そっか」


「俺は明日香さんのこと、本当に大好きです。もしも巡り合わせが違ってたら、俺はきっと、明日香さんのことを誰よりも愛してた。明日香さんの生き様、笑顔、優しさ、おおらかさ、ぬくもり……全部大好きです。

 でも……申し訳ありません。俺には好きな人がいます。受け入れてもらえるかは分からない。でも、それでも俺は……その人のことを愛し続けたい、そう思ってます」


 そう言って直希は頭を下げた。


「……」


 明日香が直希の頬に手をやる。直希が見上げると、明日香は優しく笑っていた。


「ダーリン……プレゼント、確かに受け取ったよ」


「え……」


 そう言うと、明日香は直希の胸に顔を埋めた。


「ずっとね、このままじゃいけないって思ってたんだ。でも、あんまり心地いいもんだからさ、ついつい先延ばしにしちゃって……こんな関係もいいかなって思ってた。でも、それじゃ駄目なんだよね。そろそろあたしも、新しい一歩を踏み出さないと。だってダーリンが踏み出したんだから。

 だからね、ダーリンから答えが欲しかった。ううん、違うな、踏み出す勇気を貰いたかった。背中を押してほしかった」


 囁くように言葉を続ける明日香。その肩は震えていた。

 やがて言葉は途切れ、震える声は嗚咽へと変わっていった。


「ダーリン、ダーリン……好き、大好き」


「ごめん……ごめん、明日香さん……」


「あたし、ダーリンを好きになったこと、絶対に後悔しないよ……だってダーリンは、亮平以外で初めて、本当のあたしを見てくれた人なんだから」


 直希の目にも涙が光る。

 愛おしそうに明日香の髪を撫で、何度も何度も「ごめん」そう言った。


「ダーリン……愛してる!」


 言葉と同時に顔を上げた明日香が、直希と唇を重ねる。


「……」


 月明かりが、唇を重ねる二人を優しく照らす。

 そしてゆっくりと唇を離すと、明日香は涙を流したまま笑みを浮かべた。


「やっと奪えたよ、ダーリンの唇」


「明日香さん……」


「よしっ!これで思い残すことはない!」


 吹っ切るように声をあげる。


「そろそろ中に戻ろうか。あんまり遅いと、またつぐみんに怒られるからね」


 背中を向け、涙を拭う。直希は神妙な顔つきで答えた。


「そうですね、違いない」


「ところでさ、ダーリン」


 背を向けたまま、明日香が言った。


「あたし、なのっちと違って大人なんだよね」


「そう……ですね。はい、確かに明日香さんは大人です」


「大人ってさ、時々子供には理解しがたいこと、したりするんだよね」


「……言ってる意味がよく分かりませんが、まあ確かに、そういうところもあると思います」


「で、あたしは結婚したこともあるし、子供もいる」


「明日香さん?何が言いたいのか、よく分からないんですけど」


「ダーリンは今、生まれて初めて恋をしている。そしてそれはあたしじゃなかった」


「……」


「でもあたし、まだダーリンのこと、好きなんだよね、あはははっ」


 そう言って振り返ると、意地悪そうな笑みを浮かべた。


「あの、その……それってどういう」


「だからね、ダーリン。ダーリンのお嫁さんになるのは諦めてあげる。ダーリンが大好きなその人に、その椅子は譲ってあげる。でもね、ダーリン。お嫁さんにはなれなくても愛してもらう方法、大人のあたしは知ってるんだよねー」


「……それってまさか」


「あたし、ダーリンの愛人になる!」


 そう言うと明日香が再び駆け寄り、直希を思いきり抱き締めた。


「え?え?あ、明日香さん、それってどういう」


「だーかーらー、あたしのこれからの目標は、ダーリンの愛人になることなの。あ、でも心配しないで。修羅場にならないよう、ちゃんと立場をわきまえて行動するから。ダーリンたちの愛の巣を壊さないよう、ちゃんと自制するからさ」


「あ、明日香さん?それってその、今とあんまり変わってないような」


「なーに言ってるんだか。あたしは新しい一歩を踏み出すって言ったでしょ」


「だからそれは、さっきお断りを」


「うんうん、ちゃーんと聞こえたから大丈夫だよ。だからこれからは、愛人の座を射止める為に頑張るから」


「いやいやいやいや、それっておかしくないですか」


「聞こえなーい。あたしバカだから、ダーリンの言ってること分かんなーい」


 そう言って頬にキスをしてくる。


「勘弁……してくださいよ、明日香さん……」


 子供の様にはしゃぎながら抱き着いてくる明日香。

 そんな明日香にとまどいながらも、直希もいつの間にか笑顔になっていた。


「ダーリン、だーいすきー!」



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