第174話 けじめ


 少し落ち着いた頃に、つぐみたちを呼んでほしい、そう菜乃花が言った。

 兼太は一瞬とまどったが、やがて笑ってうなずくと、彼女たちを呼びに部屋を出て行った。


 今すぐにしなければいけないことがある。

 これまでずっと、自分の弱さに甘えて逃げて来た。

 でももう、そんな自分じゃ嫌だ、そう思った。

 周囲の人たちは皆、自分の弱さを知っている。だから何があっても許してくれた。うやむやにしてくれた。

 そのせいで自分の中にも、知らない内に甘えが生まれていた。

 そんな殻を破りたい。そしてそれは今しかない、そう思った。





「……入るわね」


 つぐみがそう言って扉を開ける。つぐみに続いてあおいも、そして集配に来ていた明日香も入ってきた。


「じゃあ俺、食堂に行ってるから」


 そう言った兼太を、菜乃花が呼び止めた。


「あ、でも……俺はいない方が」


「いいの、兼太くんはここにいて。いて欲しいの」


「……分かった」


 そう言って扉を閉めると、促されるままに菜乃花の隣に座った。つぐみたちも菜乃花を囲むように腰を下ろす。


「大丈夫ですか、菜乃花さん」


「はい、大丈夫です。その……さっきまではそうでもなかったんですけど、今は落ち着きましたので」


「そうですか、それならいいのですが」


「兼太くんのおかげです」


 そう言うと、兼太は照れくさそうに頭を掻いた。


「それで、あの……みなさんにはちゃんと、報告した方がいいと思いまして」


「報告って、何かしら」


 つぐみの声に、菜乃花が肩をビクリとさせた。


「あと……菜乃花。話をするなら、ちゃんとこっちを向きなさい」


「つ、つぐみさん、ちょっとそれは」


 あおいが慌てて口を挟んだ。しかしつぐみはそれを制すると、菜乃花に向かって優しく言った。


「出来るわよね、菜乃花」


「……はい、出来ます」


 そう言って、菜乃花がゆっくりと顔を上げた。

 腫れた瞼に、あおいも明日香も言葉を失った。しかしつぐみは、菜乃花の瞳に宿る光を見逃さなかった。




「私……たった今、直希さんに振られました」


「……」


「それはもう、二度と告白出来ないぐらい、強い調子で……以前告白した時は、これからだ、これからが始まりなんだ、そう思ってました。期待もしました。これから変わっていく私を見て、直希さんの気持ちも変わっていくかもしれない……そう自分に言い聞かせることが出来ました。でも、今回は……そんな期待を二度と抱くことが出来ないぐらい、はっきりと振られてしまいました」


 そう言って力なく笑うと、また涙が流れた。


「そう……なのね」


 つぐみがそう言って静かに目を閉じる。

 あおいも明日香も、どう言葉をかければいいのか分からず、つぐみと菜乃花を交互に見ることしか出来なかった。


「頑張ったわね、菜乃花」


 言葉と同時に、つぐみが菜乃花を抱き寄せた。

 突然の抱擁に驚いたが、肩の力が抜けていくのが分かった。

 やかでその安息感は、また失恋の痛みを思い出させた。




 ――私の初恋は今、終わったんだ。




「つぐみさん……私、私……直希さんのこと、本当に好きでした……好きだったんです……」


「いいのよ菜乃花。しっかり泣きなさい」


 菜乃花の頭を優しく撫でる。その温もりに、菜乃花の感情は揺れた。


「直希さんに……直希さんにこうしてほしかった、好きだって言って欲しかった」


「そうね」


「でも、でも……直希さんの隣に立つのは私じゃなかった……私がどれだけ頑張っても、君を好きになることはないんだって……はっきり言われました」


「……」


「私、私……つぐみさん、私は直希さんのこと、直希さんのことを」


「そうね。菜乃花はずっと、直希のことが好きだったもんね」


「直希さん、直希さん……うわああああああっ」


 号泣する菜乃花を、つぐみが優しく抱き締める。

 そんな二人を見て、あおいと明日香、そして兼太の目にも涙が光った。





「……取り乱してすいませんでした」


 兼太からもらったハンカチで涙を拭きながら、菜乃花が頭を下げた。


「それで、その……失恋のこともですけど、みなさんに来てもらったのは、その……あおいさんが戻って来た日のことを謝りたくて」


「そんなのいいってば。なのっちったら、今はそれどころじゃないでしょ。全くあんたってば、失恋でいっぱいいっぱいだってのに、ほんと真面目さんなんだから」


「そうですそうです。私も気にしてませんです」


「聞かせて頂戴、菜乃花」


「ちょっとつぐみん」


「そうですよつぐみさん。何も今、そんなことを言わなくても」


「いいから。二人共お願い、菜乃花が謝りたいって言ってるの。ちゃんと聞きましょう」


 つぐみの強い調子に、二人は言葉を飲み込んだ。


「……あおいさん。あの日、あおいさんは実家で大変でした。詳しいことは分かりませんが、あおいさんは家出して、あおい荘で新しい生活を始めました。実家にばれないように、息をひそめるようにして……でも居場所がばれてしまって、連れ戻されて……辛かったと思います。

 でも実家に認めてもらって、ようやくここに戻って来れたのに……私が直希さんに告白して、空気を壊してしまいました。ごめんなさい、許してもらえませんか」


「そんなそんな、頭を上げてくださいです。確かにびっくりしましたけど、私は全然気にしてませんです」


「それでその……よければこれからも、仲良くしてもらえたらって」


「勿論です。私こそこれからも、よろしくお願いしますです」


「ありがとうございます、あおいさん……それから明日香さん、ごめんなさい。明日香さんが直希さんのことを好きって言うのは、その……みなさん知ってることです。でもそれでも、あんなこと言っちゃって……本当にすいませんでした」


「あ、あははははははっ。いいっていいって。前にも言ったでしょ。あたしはいつでも不知火明日香。何があっても動じないし、何とも思ってないからさ」


「ありがとうございます……それからその……つぐみさん……」


「……」


 菜乃花がつぐみを真っ直ぐに見つめる。つぐみも視線を外さずに菜乃花を見る。


「失礼なこと、いっぱい言ってしまいました。言い訳になりますけど、私はその……あんな風になってしまったら止まらなくなるって言うか……思ってもないことまで、どんどん口から出てしまって……その、直希さんのこととか、須藤先生のことまで言ってしまって」


「そうね。まあ、直希のことはいいとしても、お兄ちゃんまで出したのはね」


「だからつぐみん、もうちょっと優しく」


「……でもまあ、そんな風に思われてしまう私にも、問題があったんだと思ったわ。何より直希のこと、全員知ってたことの方がショックだったわ」


「……つぐみん、ひょっとして隠せてたって思ってたの」


「思ってたわよ!それはそれはもう、完璧なぐらいにね」


「つぐみん……はぁ、駄目だこりゃ」


「何よ明日香さん、その反応は」


「あははははははっ。でもまあ、これですっきりしたんじゃない?もう隠す必要がなくなった訳だし」


「そういう問題じゃないでしょ、全く」


「あの、その……つぐみさん、許してもらえるなんて思ってません。でも……本当にすいませんでした」


 頭を下げる菜乃花。その菜乃花につぐみが、


「顔を上げなさい、菜乃花」


 そう言った。


「はい……」


 顔を上げた菜乃花の頬を、つぐみが思いきり張った。

 つぐみの突然の行動に、あおいも明日香も、そして兼太も自分の目を疑った。


「ちょ……ちょっとちょっとつぐみん、いくらなんでもそれは」


「菜乃花」


 つぐみはそのまま、もう一度菜乃花を抱き締めた。


「つぐみ……さん……」


「今回の件は今のでおしまい。多分菜乃花にとっても、その方がよかったんじゃないかしら。私が何もせずに許しても、きっと菜乃花はあの時のこと、ずっと気にし続けると思う。だからね、菜乃花。今ので全部おしまい。お互い、水に流しましょ」


「つぐみさん……でも私は」


「私がいいって言ってるんだから、もう言わないの。それとね、菜乃花。あなたはもう少し、自分の気持ちを出していった方がいいと思う。周囲のことを気遣って、言いたいことがあっても我慢して……そんなことをしてるから、ああいう時に爆発してしまうんだと思う。だからね、これからはもっと、肩の力を抜いていきましょ。お互いに」


 つぐみがそう言って笑うと、菜乃花の口元にも笑みが浮かんだ。


「そう……ですね、ほんとだ……私今、とっても楽になった気がします。ありがとうございます、つぐみさん。それからその……本当にすいませんでした」


「私こそ、いっぱい叩いちゃってごめんね。菜乃花も痛かったでしょ」


「は、はい……あんな風に喧嘩したこと、なかったですから」


「私もよ、ふふっ」


 そう言って抱き合う二人を、あおいが抱き締めた。それを見た明日香も、続けて抱き締めてくる。


「兼太っちはこないのかな」


「ええっ、俺も?」


「そうです兼太さん。この流れは兼太さんの抱擁で締めになるんです」


「まあ……別にいいけど」


「兼太くん」


「う、うん……」


「私もその……一緒がいいな」


「菜乃花ちゃん……分かりました。ではお姉さん方、失礼します!」


 そう言うと、兼太が勢いをつけて飛び込んで来た。

 勢いに四人がバランスを崩して倒れると、兼太が慌てて頭を下げる。

 そんな兼太を見て四人が笑う。


 部屋が笑い声に包まれ、それを扉前で聞いていた小山と山下も、嬉しそうに笑っていた。





「まだかな、栄太郎さん」


 時折吹く風に身を震わせながら、菜乃花が笑顔でそう言った。


「もうすぐだと思うよ。街からここまで10分ほどだし」


 そう言って自分のマフラーを外し、菜乃花にかける。菜乃花は恥ずかしそうにマフラーに顔を埋めた。


「早く帰ってこないかな。今日は退院祝いとクリスマスパーティ。ふふっ、嬉しいことが二つもあるなんて、すごく贅沢な感じ」


 そう言って微笑むと、兼太は赤面してうつむいた。


「ちょっと兼太くん、私の話、ちゃんと聞いてる?」


「ええ、は、はい!ちゃんと聞いておりますです!」


「兼太さん兼太さん、私と同じ話し方になってますです」


「あ、ほんとだ」


「なになに兼太っち、あんた、アオちゃんに弟子入りでもするつもり?」


「あ、いや、明日香さん、からかわないでほしいです」


「兼太さんが私に弟子入り……いいですよ兼太さん、いつでもその件、お受けしますです。修行の道は険しいですよ」


「修行がいるんだ、この話し方」


 そう言って苦笑すると、菜乃花も幸せそうに笑った。



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