第173話 何度でも言うよ


 12月24日、クリスマスイブ、快晴。

 あおい荘のスタッフ、入居者たちが玄関先に集まっていた。

 待ちに待った、栄太郎の退院日。

 皆がそれぞれの思いを胸に、栄太郎の帰還を待っていた。


 スタッフの中に、兼太と共に笑っている菜乃花の姿もあった。

 あの日から一週間が経っていた。





 兼太に支えられてあおい荘に戻った菜乃花は、そのまま部屋へと戻っていった。

 散々泣き疲れたせいか、足元もおぼつかず、歩いて10分ほどのところを30分もかけて戻って来たのだった。


 玄関口で兼太が、「……じゃあ、これで」と言って帰ろうとしたのだが、その兼太の袖をつかみ、「お節介焼くんだったら、最後まで責任持ちなさいよ」と力なく言われ、そのまま部屋に入っていったのだった。

 菜乃花の顔を見た小山は複雑な表情を浮かべたが、後ろで立っている兼太に気付くと、「ちょっと山下さんの所に行ってるわね」そう言って部屋を出たのだった。




「……」


 菜乃花は部屋の隅に腰を下ろすと、膝に顔を埋めて肩を震わせた。

 こういう時、どうするのが正解なんだろう。そんなことを思いながら入口で立っていると、菜乃花が無言で隣に座る様、畳を叩いた。


「お邪魔……します」


 決まり悪そうにそう言うと、兼太が静かに腰を下ろす。


「……兼太くんは」


 重い空気を破って、菜乃花が口を開いた。


「今の私を見て、どう思ってるのかな」


「どうって……俺の気持ちはもう、伝えたはずだよ。何も変わってない」


「何よそれ……答えになってない」


「俺は……菜乃花ちゃんのことが好きだ。これからだって、ずっとそのつもりだよ。菜乃花ちゃんは俺にとって大切な人で、その……いつか付き合うことが出来ればって思ってる」


「こんな無様な姿を見ても?」


「無様って……そんなこと思ってないよ。だって菜乃花ちゃんは、直希さんのことが大好きで、勇気を振り絞って想いを告げたんだ。想いは届かなかったかもしれない。でも俺は……今の菜乃花ちゃんを見て、すごいと思ってる。人として尊敬してる」


「……馬鹿だね、兼太くんは」


「馬鹿かもしれない。でも、本当の気持ちなんだ」


 そう言って笑う兼太の手を取り、菜乃花が自分の肩に乗せた。


「え……な、菜乃花ちゃん?」


「好きな女の子が泣いてるの。多分人生で一番落ち込んでるの。こうして慰めてくれてもいいじゃない」


 相変わらず、顔は膝に埋めたままだ。


「……」


 震える肩に手を乗せられた兼太は、その肩を優しく撫でた。


「俺は……菜乃花ちゃんのこと、本当に好きだよ。菜乃花ちゃんが泣いていて、慰めてほしいって思ってるのなら……いつだって飛んでくるよ」


「嘘」


「嘘じゃないよ。俺にとって菜乃花ちゃんは、それぐらい大切な女の子なんだ。でもね、でもさ……今、こうするのは違うように思うんだ」


「どうして?」


「だってこれじゃ、失恋した菜乃花ちゃんを慰めて、ポイント稼いでるみたいだろ」


「……じゃあ、今日のポイントは10点だね」


「うん……マイナス10点」


「……兼太くん?」


「だって今日は……俺にとっても失恋なんだから」


 そう言って、兼太が自嘲気味に笑った。


 その言葉に、菜乃花の中で失恋の痛みとは違う、別の何かが生まれた。

 そうだ……その通りだ。


 私は今、直希さんに振られた。想いを完全に拒絶された。

 長い時間育ててきた想いが届くことはないんだと、はっきり言われた。


 でも今、私の隣で慰めてくれている兼太くんは、こんな私のことを好きだって言ってくれた。

 直希さんのことが好きな私を、好きだって言ってくれた。

 そんな兼太くんの想いを知っておきながら、私は彼の気持ちに応えることなく、直希さんに再び告白した。

 それは兼太くんにとって、失恋以外の何物でもないんだ。




 菜乃花の脳裏に、兼太に告白されてからの日々が蘇ってきた。

 毎日のようにメールした。電話した。

 日常の些細なことを報告し合い、笑った。

 相談もたくさんした。あおい荘のこと、将来のこと。

 そして直希のこと。

 菜乃花にとって、穏やかで楽しかった日々。

 彼はいつも、自分を支えてくれた。笑顔にしてくれた。


 しかし自分は、彼の気持ちに向き合おうとせず、今また、直希に告白した。

 彼は今、どんな気持ちでここにいるのだろう。

 何を思っているのだろう。

 そう思うと、また涙が流れて来た。




 私は……私はどれだけ残酷なことをしているんだろう。




「……ごめん……なさい」


「菜乃花ちゃん?」


「ごめんなさい、ごめんなさい兼太くん……私、酷い女だ」


「待って待って。どうやってそんな答えになったのか分からないけど、菜乃花ちゃんは酷い女なんかじゃないから」


「ううん、違うの……兼太くんはずっと、私のことを好きだって言ってくれてた。なのに私は、そんな兼太くんの気持ちを知りながら今日、直希さんに告白をしたんだ。私は気付かない内に、兼太くんの気持ちを踏みにじっていたんだ」


「気にしない気にしない。菜乃花ちゃんが直希さんのことを好きだってことは、分かってたことなんだから。俺はそれを分かった上で、菜乃花ちゃんに告白したんだ」


「でもね、それでもね……そんな兼太くんに私……自分のことばかり考えて、この世界で一番不幸な人間だなんて思って……私より傷ついてるかもしれない兼太くんに、慰めなさいなんて言って……ごめん、ごめんなさい」


「菜乃花ちゃん、ちょっとこっち向いて」


 兼太はそう言って、菜乃花の両肩に手をやった。

 拒絶しようとしたが、顔が自然と兼太の方を向いた。


「菜乃花ちゃん。まだ分かってくれてないみたいだからもう一度言うよ。俺は菜乃花ちゃん、君のことが好きなんだ」


「兼太くん……」


「恋愛ってのは、本当にすごいと思う。今まで見えてなかった景色がたくさん見える。何とも思ってなかった物を見ても、キラキラ輝いて見える。それに気付かせてくれたのは菜乃花ちゃん、君なんだ。

 そりゃあ、想いが届けば最高だと思うよ。でもね、どれだけ自分が想ってても、それが相手に通じるとは限らない。俺も今日の直希さんみたいに、今まで女の子を振ってきた訳だし。

 でもね、菜乃花ちゃん。それでも俺は、君のことが好きなんだ。今のような状況でこんなこと言うのは、ルール違反だって分かってる。それでも菜乃花ちゃんに、俺の気持ちまで否定してほしくない。俺の大好きな菜乃花ちゃんのこと、否定されたくない。

 確かに俺も今日、菜乃花ちゃんに振られたよ。それでも俺の中で、菜乃花ちゃんへの気持ちは何も変わってない。だって今の菜乃花ちゃん、すごく綺麗だし」


「綺麗って……何よそれ。今の私、涙で顔はぐちゃぐちゃだし、何度も何度も鼻をすすってるし……自分でもこんな顔、見たくないのに」


「綺麗だよ、菜乃花ちゃん」


 そう言って笑う兼太を見て、菜乃花の目からまた涙が溢れて来た。




 なんでこの人、こんなに馬鹿なの。


 なんでこの人は、私なんかに恋したの。


 私なんかより、もっともっと素敵な人、いっぱいいるのに。


 そう思うと、全身が震えてきた。止まらなかった。

 兼太の前で、何も取り繕うことが出来なくなってきた。


 彼は年下。私はお姉さんとして、凛として彼に接しないといけない。


 そう思っていたはずなのに。

 そう思ってるはずなのに。


 こんな無様な姿を見せている。


 もっと見てほしい、本当の私を。


 そう思った。抑えられなくなっていた。


 都合がよすぎる。


 たった今、失恋したばかりなのに。


 でも今、私は彼の温もりを求めている。


 止まらない。気持ちが止まらない。


 私と同じ、馬鹿なこの人のことを、私は求めてる。


 そして彼は、そんな私を今、まっすぐに見つめてくれている。




 菜乃花は兼太の胸に顔を埋めて泣いた。声を震わせて泣いた。


「ごめんなさい、ごめさんなさい、兼太くん」


「いや、だから……謝らないでって、言ってるのに。ははっ」


 そう言って笑う兼太の目にも、涙が光っていた。



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