第171話 幸せと言う罰の重みに
つぐみと菜乃花の喧嘩を治めた後、二人はあおい、明日香に連れられて部屋へと戻っていった。
一人残された直希は、仕方なく部屋に戻り、布団に寝転んで天井を見つめていた。
本当なら、あおいを送り届けた後で、栄太郎の様子を見に行くつもりだった。
しかし、それどころではなくなってしまった。
栄太郎のことも心配だったが、大丈夫だと言ってくれたつぐみの言葉を信じ、今日はあおい荘のことだけを考えようと思った。
そして夜。
様々なことが頭に浮かび、さながら脳内は、これまでの半生を振り返るイベントの様相を見せていた。
そして……
考えれば考えるほど、これまでの言動に嫌気がさしてきた。
昨夜、あおいに告白された。
卒業式の日、つぐみに告白された。
みぞれとしずくの父親になってほしい、そう明日香に言われた。
そして今日、菜乃花から二度目の告白を受けた。
これまで、罪人である自分にそんな資格はないと、彼女たちの想いを拒んで来た。しかし昨夜、あおいからその罪を許され、そして罰を受けることになった。
幸せになるという罰を。
もう、今までのような言い訳は出来ない。
彼女たちの想いと向き合い、結論を出さなくてはいけない。
そう思うと、自分でも驚くぐらい混乱するのが分かった。
ある意味、十字架を背負っていた時の方が楽だと思えるぐらい、彼女たちの気持ちが重くのしかかってきた。
「なんだよ、それ……」
どれだけ自分は、不幸に依存してきたのか。
不幸を望んでいるが故に、バランスを保っていた自分。そんな自分が滑稽に思えた。
そして今、自身の出す答えが誰かを傷つけることになると思うと、頭が痛くなった。吐き気がしてきた。
誰も不幸にしたくない。みんなに笑顔でいてほしい。
自身を顧みず、人の幸せを望むことがどれだけ楽な生き方だったかを、思い知らされているようだった。
「あおいちゃん……これは確かに、俺にとっては罰だよ」
そう呟き、苦笑した。
あおいちゃんの顔を思い浮かべると、胸が高鳴る。昨夜、浴衣姿の彼女に見つめられた時、自分の中で彼女が女として存在していたことを思い知らされた。
彼女に触れたい、彼女を感じたい。
彼女の笑顔が見たい、もっと彼女の声が聞きたい。
そんな思いを強く強く感じた。
何より彼女は、自分がこれまで背負って来た罪を認めてくれて、そして消し去ってくれた。
未来を見て生きることを肯定してくれた。
そんな彼女から、俺は告白されたんだ。
明日香さんにプロポーズされた。
「あれって冗談だったんですよね」そう言って誤魔化したが、あの時の明日香さんの顔は忘れられない。
いつも明るく、子供たちの為に前を向いて走り続ける彼女。
そんな彼女に告白されて、本当に嬉しかった。
いつも大袈裟なスキンシップで誘惑してくるが、時折見せる切ない表情に、何度も何度も心を奪われそうになった。
何物にも束縛されない生き方に、自分は心から憧れている。そんな彼女の隣に立つことが出来たなら……俺はきっと幸せだ。
台風の夜、菜乃花ちゃんに告白された。そして今日、二度目の告白を受けた。
どれだけ勇気がいっただろう。
つぐみの言う通り、あのタイミングで言うべきことじゃないのかもしれない。
それでも俺は、彼女の勇気に心が震えた。
そして同時に、高校生の彼女が勇気を出したというのに、大の大人である自分がうろたえ、何も言えなかったことが情けなかった。
彼女の方がずっと強い。
あの時見せた、自分を見つめる強い視線は、確かに俺の心を貫いた。
愛するということは、ここまで人を強くするのかと思った。
俺はそんな彼女の想いに今、答えを出さなくてはいけない。
もう逃げられない。逃げてはいけない。
つぐみ。
菜乃花ちゃんの口から出た言葉に、ある意味俺は、菜乃花ちゃんの告白以上に動揺した。
つぐみはまだ、俺のことを想ってくれていた。
つぐみはずっと、俺を支えてくれていた。
何かにつけ、口を挟んでくる。時にはそれが面倒臭くも思っていた。
しかしそれが、彼女の思いやりから来てることだと理解していた。
でも、あの告白からもう10年になる。
その間ずっと、つぐみは俺のことを見ていたのだろうか。
そう思うと、いくら幸せから目を背けていたとはいえ、自分の鈍感さに嫌気がさす。
そして菜乃花ちゃんが言った、浩正さんのこと。
あの時、更に動揺した自分がいた。
つぐみが自分から離れて、浩正さんの元へ行く。
そんな未来を思い浮かべ、混乱した。
なんて勝手な男なんだろうか。
彼女の想いを断っておきながら、それでも寄り添ってくれる彼女の想いに気付きもせず、浩正さんと同じ景色を見ているつぐみを思い浮かべ、身が引き裂かれるような気持ちになる。
馬鹿だ、俺は。
そして身勝手だ。
ひとつため息をつくと、直希はゆっくりと立ち上がった。
玄関を出て庭先に向かうと、寒さに身を震わせた。
持って来たホットコーヒーを口にして暖を取ると、煙草に火をつけた。
「……」
また脳内に、「煙草はやめなさいって言ってるのに」との、つぐみの言葉が浮かび苦笑する。
「これってこれから、吸うたんびに聞こえるのかな」
そう言って白い息を吐く。
夜空に浮かぶ星空を眺めながら、直希は一つの決意をしていた。
「父さん母さん、奏……俺、頑張ってみるよ」
「……」
菜乃花は石段に座り、海を見ていた。
指定された時間より、一時間も前からこの場所に来ていた。
直希から来たメールに、心臓が止まりそうになった。
生まれて初めての恋に今、答えが出されようとしている。
そう思うと、じっとしていられなくなった。
学校が終わるとあおい荘に戻らず、そのままこの場所に来てしまったのだった。
あの日から一週間。あおい荘は、表向きには平静を保っていた。
不思議なことに、スタッフよりも入居者たちの方が、いつも通りに過ごしていた。
と言うより、栄太郎の見舞いに行った頃から、入居者たちの関係が深まっているように菜乃花は感じていた。
スタッフたちはあの一件以来、ぎこちない生活を続けている。
特につぐみと菜乃花は、表向きにはいつも通りを装っていたが、明らかに心がすれ違っているのが見て取れた。
いつもならそんな二人を見て、入居者たちは動揺していた。
この空気を何とかしないと、そういった気持ちが痛いほど伝わってきた。
しかし今、スタッフよりも入居者たちの方が、そんな空気に動じることもなく、いつもの穏やかな日常を続けている。
入居者たちに何があったのだろうか。
そう考えを巡らせていた時に、菜乃花はふと、両親と過ごしていた時のことを思い出した。
そうだ……この感覚。家にいた時と同じだ。
お父さんやお母さんは、私が悩んでいた時、いつも黙って見守ってくれていた。
私が何か訴えれば、相談にも乗ってくれた。でも、私が触れて欲しくないと思い悩んでいる時は、気付かない振りをしてくれた。あの時の空気と同じ。
「あ……」
今のあおい荘は、あの時と同じ空気なんだ。
入居者さんたちはみんな、私たちが悩んでいることを知っている。
でも、私たちがそれを口にしない限り、何も言わずに見守ってくれている。
見て見ぬ振りをしている訳でもなく、その空気すらも日常として、日々を過ごしているんだ。
「これってまるで……本当の家族みたいじゃない……」
そう思うと、自然と口元がほころんだ。
長い時間をかけて、様々な騒動を乗り越えて今、あおい荘は本当の家族になってるんだ。
そしてそんな場所にいる自分が嬉しくて、帰ったら一人一人を抱き締めたい、そんな思いに胸躍った。
「菜乃花ちゃん、おまたせ」
背後から聞こえた直希の声。
この半年、ずっと憧れていた優しい声。
菜乃花は目を閉じ、この瞬間の気持ちを胸に深く刻み込んだ。
そして小さく息を吐くと立ち上がり、笑顔で振り返った。
「直希さん、ただいま」
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