第169話 胸の内


「久しぶりの実家はどうだった?」


 うなだれているあおいを元気づけるように、つぐみが話題を変えた。


「あ、はい……みんな元気そうでほっとしましたです。それにその……私が思っていたよりも、ずっと私のことを心配してくれてましたです」


「そうなんだ。やっぱり離れていても、家族は家族なのね」


「私もそう思いましたです。何より嬉しかったのは、みんな私のこれからについて、本当に悩んでくれていたことです。私が幸せになる為にどうすればいいのか、ずっと考えてくれてましたです。ですのでその……つぐみさんたちには申し訳ないのですが、私は今回、実家に帰ることが出来てよかったと思ってますです」


「どうしてそこで謝るのよ。今まであなたは、帰りたくても帰ることが出来なかった。ううん、違うわね。自分の居場所を悟られない様に、息をひそめて生活していた。だから私は、こうなってくれて本当に嬉しいのよ」


「つぐみさん……」


「直希とはどうだったのかしら」


「直希さんと……ですか」


「ええ、直希と。菜乃花の言葉じゃないけど、あなたたちの間に何かがあった、私もそう思ってたわ。

 直希の雰囲気もね、少し変わったような気がしたし」


「……」


「あおい。直希と何があったか、教えてもらえないかしら。勿論、言いたくないならいいんだけど」


「そんなこと……はいです、分かりましたです。直希さんとどんな話をしたか、言わせていただきますです」





「……そうなんだ」


「はいです。直希さん、その後で眠ってしまって……疲れたんだと思いますです」


 あおいは直希の懺悔を、時間をかけて丁寧に説明した。しかし、直希に告白したことはあえて言わなかった。

 いつかは打ち明けなければいけない、でもそれは今じゃない。そう思ったからだった。


「ありがとう、あおい」


「え……」


 顔を上げると、つぐみの笑顔がそこにあった。瞳が涙で濡れている。


「直希、本当の意味でやっと、ご両親や奏ちゃんと向き合うことが出来たのね」


「……はいです、そう思いましたです」


「あいつは今まで、ずっとそこから逃げてきた。ある意味、奏ちゃんたちを殺したのは自分だ、それを言い訳にして、死んだ事実からも目を背けていた。ふふっ、祐太郎さんの死を受け入れてなかった山下さんと同じね。

 でもあおい、あなたのおかげで直希は、やっとその苦しみから解放された。今直希は、本当の意味で奏ちゃんたちの死を受け入れることが出来た。私がずっとあいつに言ってきたこと……でもその役目は私じゃなく、あなただったのね」


「そんな……そんなことはありませんです。つぐみさんだって、ずっと直希さんの為に頑張ってきましたです。この半年、私はずっとお二人を見て来ました。つぐみさんがいなければ、直希さんは今よりもっと苦しんでいたはずです。迷っていたはずです」


「ありがとうあおい。でも……やっと分かったわ。帰ってきた時のあいつ、私が知っている、子供の頃の直希に戻ってた。本当に純粋で、真っ直ぐに前を向いていた頃の直希に」


 つぐみが幸せそうにそう語る。その顔を見てあおいは、つぐみの中にある直希の存在の大きさを感じた。


「だからね、本当にありがとう、あおい。あなたのおかげで直希は、やっと過去の呪縛から解放された。そして未来を見ることを決意した。幸せになることを恐れなくなった。それがまさか……ふふっ、罰を与えることだったなんてね。しかもその罰が、幸せになることだなんて、私には考えもつかなかったわ」


「でも直希さん、言ってましたです。言葉は違えども、つぐみさんもずっと、自分にそう言ってくれてたって。だからその……直希さんがその事実を受け入れる時が、あの時だったんだと思います。これまでつぐみさんが、ずっと直希さんに寄り添って励ましていたこと。そのひとつひとつがあの時、花開いただけなんです。私はたまたま、その場に居合わせただけなんです。ですからその……直希さんが元気になれたのは、つぐみさんのおかげなんです」


 つぐみの目を見つめ、あおいが熱く語る。その無垢な眼差しに、つぐみは嬉しそうに笑った。


「これでやっと、私も前に進めるわ」


「つぐみ……さん?」


「私はあいつに、生きる希望を持ってほしかった。幸せになってほしかった。そうね……直希の言葉を借りるなら、それが私にとっての呪いだったのかもしれない。だからね、あおい。今、私も体が軽くなった気がするの。私が歩んで来た道は間違ってなかった。それをあおいが証明してくれた」


 そう言って笑顔を向けるつぐみに、あおいは動揺した。

 何かを決意したその目は強く、そして優しかった。


「私の役目は……」


 囁くつぐみの言葉は、聞き取ることが出来なかった。

 しかし聞き返すことが出来なかった。遠くを見つめているつぐみの目が、それを拒絶しているように感じた。


「あおい。こっちにいらっしゃい」


「え……」


 つぐみがあおいを抱き締める。突然の抱擁にあおいは驚いた。


「あおい。あなたに出会えて、本当によかったわ。あなたはあおい荘の前で倒れていた。お腹を空かせてね……ふふっ、想像したら笑ってしまうわね。その時のあなた、見てみたかったわ。

 でもね、その奇跡のような偶然に、私は感謝してる。あなたは直希だけでなく、私のことも救ってくれた。あなたがいてくれたから、たくさんの人たちが笑顔になった。生田さんや山下さん、節子さんだってそう。

 あなたには無限の可能性がある。そんなあなたの可能性を引き出すこと、それが私の役目と思ってた」


「そんな……そんなそんなです。私はまだ何も出来てませんです。それにつぐみさんがいてくれたから、みなさんが支えてくれたから、私はまたこの場所に戻ってくることが出来たんです。ここで頑張ろうって思えたんです。

 つぐみさん、私は今、とても不安な気持ちになってますです。つぐみさんは私の前から、いなくなったりしませんですよね」


「勿論よ。あなたたちに教えていないこと、まだまだたくさんあるんだから」


「本当ですか」


「でも……いつかそういう日は来ると思う」


「え……」


「私は直希の力になりたくて、ここにやってきた。これまでずっと、そう思ってやってきた。でもね、あおいと菜乃花。今ではあおい荘に、二人も優秀なスタッフがいる。私の今の仕事はね、あなたたちを一人前のヘルパーにすること、それだけなの」


「じゃあ、もしそうなってしまったら」


「その時は病院に戻るわ。知ってるでしょ、私の本業は医者なの。私は将来、東海林医院でお父さんの跡を継ぐ。その為に今まで頑張って来たんだから」


「そんな……じゃあ私は、つぐみさんとずっと一緒には」


「あおい。この世界に永遠なんてものはないのよ。心地よい関係も、幸せな時間も、立ち止まってなんかくれない。だって人は、前に進んでいくものなんだから。

 現に私が一番望んでいた、直希の問題が解決しようとしている。絶対に変わらないんじゃないか、そう思っていた直希が変わりつつある。それって、そういうことでしょ?人は成長していくものなの。

 だからあおい、あなたも前を向きなさい。辛いこともあると思う。寂しくなる時もあると思う。でも、笑顔でそれを乗り越えなさい。あなたにならきっと出来る。

 それにここを出ても、東海林医院がここの専属病院だということは変わらない。だから私たちの関係は終わったりしない。ただ、今と少し違う関係になるだけのこと。勿論、その為にはまず、あおいと菜乃花、二人が一人前になることが前提なんだけどね」


「そんな……それじゃあ私は、一人前になんかならないです!ずっとこのまま、半人前でいますです!」


「人は前に進まなくてはいけない。たった今言ったばかりよ」


「でも、でも……嫌です。つぐみさんと、ずっとこのままでいたいです」


「全く……あなたって、なんでそう……でもありがとう、あおい」


 あおいを抱く手に力を込めて、つぐみが囁く。

 あおいはつぐみに包まれたまま、「嫌です、嫌です……」そう何度も言って泣いた。



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