第167話 元老院の結論
「菜乃花くんがあの場で、誰もが触れなかった問題を口にした」
生田の言葉に、栄太郎が苦笑する。
「ある意味、誰もがそう思ったのではないですか」
そう聞かれ、皆がうなずく。
「つぐみくんにあおいくん、菜乃花くんに明日香くん。あの子たちは直希くんのことを愛し、その想いをずっとあたためていた」
「じゃが……ほっほっほ、行動には起こせなかった。なぜならそれは、自分たちにとって居心地のいい場所の空気を壊すことになるからの」
「あら西村さん、たまにはまともなことを言うじゃないですか」
「ほっほっほ」
「でも確かに……そうですね、その通りなんだと思います。彼女たちにとって、あおい荘は本当に楽しい場所なんだと思います。その大切な場所を、自分の気持ちを出すことで失いたくない……そう思っても仕方ないと思います」
「山下さん、あおい荘の空気を壊したくない、その一点においては私も同意見です」
栄太郎の言葉に、山下が複雑な笑みを浮かべた。
「そしてそれは、直希にとっても同じだったと思います。直希はその……鈍感なところはありますが、それでも彼女たちの気持ち、気付いてない訳ではなかった。あおいちゃん以外、ですけどね」
「だが……あおいくんが帰ってきた時、二人の間には、今までなかった絆のようなものが生まれていた」
「そうなんだと思います。私はその場にいなかったが、菜乃花ちゃんの取った行動を思えば、容易に想像出来る」
「少なくとも、二人はまだ契ってないさね」
「せ、節子先生……少し表現が」
「いいさね、これぐらいは。我々は
「それは……そうなのですが」
「あの二人はまだ契っていない。でも何かがあった」
「皆が感じていた。だがあの時は、それよりもあおいくんが戻って来たことを喜びたい、そう思った」
「でも……ごめんなさいね、新藤さん。二人の関係の変化は、菜乃花の中にあった何かを壊してしまった」
「謝ることはないですぞ、小山さん。菜乃花ちゃんも、覚悟の上での行動だったはずです。それに焦ったのかも知れません」
「そうなのかも知れませんね。何と言っても、菜乃花はまだ高校生。体は成長しているけど、その成長に心が追い付いていない。それに……あの子はあの通り、人との関りをずっと避けて生きてきました。だからああいった時、どうすればいいのかよく分かっていないんです。まだまだ子供なんですよ、あの子は」
「思春期にはよくあることさね」
「ですが……おかげであの日、あおいちゃんの為に開いた夕食会も、散々な空気になってしまって」
「それも青春さね。確かに居心地は悪かったと思う。でもそれも、人生の楽しい出来事だと思ってるさね」
「ありがとうございます、節子さん。でも菜乃花ったら、言わなくてもいいのに興奮しちゃって、明日香ちゃんのことや、ずっと隠してきたつぐみちゃんの想いまで口にしてしまって」
「つぐみくん、泣いてましたね」
「東海林先生、本当にすいません」
「ああいや、小山さん、どうか頭を上げてください。確かに娘は、直希くんのことをずっと想ってきました。そしてそれを悟られないように隠してきた」
「全く隠せていなかったがの」
西村が意地悪そうに笑った。
「ですがそれでも……ああいった形で、しかもみなさんの前で言われてしまって」
「いや、菜乃花ちゃんが悪い訳ではありませんぞ」
栄太郎が、重くなってきた空気を壊すように、語気を強めて言った。
「一番の問題は私の孫なんです。あいつがもっとしっかりしていれば、こんなにこじれることはなかったんです」
「新藤さん」
「あいつはこれまで、色んな闇を背負って生きて来た。そして一番の闇、それは幸せから逃げていることだった。そのことで何度か叱ったこともあったが、それでもあいつは聞かなかった。
ただ最近、あいつの中でそのことが揺らぎ始めていた。あおい荘での生活が、確実にあいつの何かを変えていった。私は嬉しかった。本当に嬉しかった。
そして振り返った時、直希を見ている女がいた。それも四人も。ある意味あいつにとっては、幸せから逃げることより、厄介な問題だったはずだ。
子供の頃からずっと寄り添ってくれたつぐみちゃん、プロポーズされた明日香ちゃん、菜乃花ちゃんにあおいちゃん。
みんないい女だ。あの中で一人を選べと言われても、私だって困ってしまう。それぐらいいい女だ。直希のやつも、困ったことだろう」
「おじいさん、本音が漏れてますよ」
文江がそう言って太腿をつねると、栄太郎は苦笑した。
「だがそれでも、あいつも男なんだ。決めなければいけないのなら、決断しなくちゃいかん。そうだな……何なら全員、モノにするのもありだが」
「おじいさん」
「いたたたたたっ……ばあさん、少し加減をだな」
「ナオちゃんはあなたとは違うんです。あの子はおじいさんみたいに、複数の女性を好きになることなんて出来ないんです」
文江の辛辣な言葉に笑いが起こった。栄太郎は、照れくさそうに頭を掻きながら言葉を続けた。
「だが真面目な話、もう
「あと……生田さん、ごめんなさいね」
「どうして小山さんが」
「いえ、その……兼太くんのことを考えたら、どうしてもね」
「ああなるほど……小山さん、どうか気になさらないでください。確かにうちの兼太は、菜乃花くんと交際したいと思ってる。
しかし小山さん、それは兼太の問題です。あいつが菜乃花くんのことを想い、行動した。今も色々と頑張ってはいるようですが、それでも恋愛である以上、相手あってのことなんです。兼太の想いが菜乃花くんに通じなかったとしても、それは仕方のないことなんです」
「ありがとうございます、生田さん」
「勿論、あいつは私のかわいい孫です。兼太が幸せになることを、私は誰よりも望んでいる。応援はしますけどね」
生田と小山、二人が恐縮し合って頭を下げる。
「しかし……節子先生、今回の菜乃花くんの行動は、ある意味夏目漱石の『こころ』と似ていますね」
「さすがさね、生田くん。確かに『先生』の取った行動と似ているとも言えるさね」
「それと私は、武者小路実篤の『友情』も読み返したくなりました」
「生田くんは本当にいい子さね。その作品が浮かぶことからも、とても純粋な心を持っておるように思うさね」
そう言って節子が頭を撫でると、生田は照れくさそうに微笑んだ。
「東海林さんや、あんたにもその……色々と迷惑をかけるな」
「いやいや、新藤さんが謝ることじゃありません。勿論、親として私はつぐみの幸せを望んでいます。あの子が想いを遂げることが出来たなら、それは本当に嬉しいと思います。ですが、恋は戦いなんです。直希くんと結ばれたい、ならそれは、つぐみが悩み、行動しなくてはいけないことなんです。仮に無残な結果に終わろうとも、それもまた、つぐみの人生なんです」
「流石、他の男から奪い取っただけのことはありますな」
「ええっ、そうなんですか、東海林先生」
「新藤さん……勘弁してください。山下さんも、食いつかないでほしいのですが」
「うふふふっ、ごめんなさいね。でも東海林先生のイメージと重ならなくて」
「東海林さんはな、結婚していた女に惚れてしまったんだよ」
「新藤さん、本当勘弁してください。過去の傷跡をえぐらんでください」
「ははっ、すまんすまん」
「話が少し脱線してきましたね。それにそろそろ面会時間も終わりそうです。ここらで決を採りたいのですが」
「そうだな。それであんたらは、この後あおい荘に戻るのかね」
「いや、それなんだが……新藤さんすまない。我々はこの後、近くで夕食でもと思っているんだ」
「なん、だと……おいおい生田さん、今のが一番こたえたぞ」
「ははっ、すまないね。だがこういう機会でもなければ、中々出来ないからね」
「わしは今から、精進料理とも呼べないようなまずい病院食を食う訳だが」
「新藤さんとは、また別の機会に設けるよ。その時は、豪勢に退院を祝おうじゃないか」
「……仕方ないな」
「さあ、それではみなさん。あおい荘元老院として決を採りたいと思います。今回の菜乃花くんの行動について、我々はどうするべきか」
「何もしないに一票」
「わしもじゃな。傍観するべきじゃ」
「年寄りが口を挟むのは、無粋というもんさね」
「……みなさん、同じ意見のようですね」
そう言うと、生田が笑顔で会議を締めくくった。
「では……今回の一件、全て直希くんたちに任せることとします。勿論、助言を求められれば拒むことはありませんが、若い者の悩みは若い者たちの力で乗り越えてもらう。そういうことで第一回元老会議、終了したいと思います」
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