第166話 盛り上がる元老たち


「しかしあおい荘も、本当に賑やかな場所になりましたな」


 栄太郎がそうつぶやくと、生田も静かにうなずいた。


「確かに……オープン当初には、こんな賑やかになるだなんて、思いもしませんでした」


「最初の入居者は私とばあさん、それに生田さんの三人だけだった」


「あの日の夕食の雰囲気は、今でもよく覚えてますよ」


「私もですよ。だだっ広い食堂に、私たち三人。まあ、初日は東海林さんとつぐみちゃんも一緒に食べてくれたが」


「つぐみちゃん、ずっと泣いてたわよね。それをナオちゃんがからかって」


「つぐみちゃんが泣いていたんですか」


 山下の問いに、生田が静かにうなずいた。


「ええ。彼女、つぐみくんは私たちがあおい荘に足を踏み入れた時、感極まって号泣したんです。あまりに泣くもので、私も何が起こったのか、どうしていいのやら分からなくなってね……かなり動揺しました。

 そんな彼女に新藤さんたちが声を掛けて、そして直希くんが肩を抱いてね、からかってました」


「つぐみちゃんは本当に、ナオちゃんのことが大切なのね」


 そう言って小山が穏やかに微笑んだ。


「彼女は……子供の頃からずっと、直希くんのことを支えてきました。あおい荘の立ち上げにも、かなり奔走していたと聞いています」


「そう……ですね。つぐみちゃん、ナオちゃんが生まれて初めて、過去ではなく未来を見ている、そのことが嬉しいんだって、私にも言ってましたから」


「ばあさんや、それはわしらも同じだったろう」


 そう言って文江の手を握ると、文江も笑顔でうなずいた。


「あの子は……ナオちゃんは色々あって、自身の幸せというものを放棄していました。ただただ毎日を無駄に生きていた、そんな気がします。でもある日、私たちに言ったんです。『じいちゃんばあちゃん。俺、自分が生きる道をやっと見つけられた気がする』って」


「それが介護、だったんかね」


「節子さん……ええ、そうです。あの子が何を見て、そう決意したのかは分からない。でもあの時の目は確かに、未来を見ていたと思います。私も嬉しかったので、よく覚えています。

 それからナオちゃん、介護の勉強を始めました。そしてゆくゆくは、自分で施設を立ち上げたい、そう言ってました」


「未来を見る……確かにそれまでの直希くんからは、そう言った気持ちを感じることはなかったね」


「わしもじゃな。わしもナオ坊のことは、子供の頃から知っておった。よく一緒に遊んだもんじゃが」


「西村さん、ご自分で言ってて変だとは思わないのかしら。子供だった直希ちゃんたちと遊んでるおじさん。外から見てるとかなり変ですよ」


「ほっほっほ、本当に山下さんは厳しいのぉ」


「西村さんはある意味、直希くんより楽しそうに遊んでましたな」


「東海林先生まで、そんなことを言いなさるかな、ほっほっほ。じゃがわしは、こんなくたびれた大人より冷めた目をしてる、そんなナオ坊のことがずっと気になっとったんじゃよ」


「で、それを言い訳に、直希ちゃんたちと遊んでいたと」


「本当、山下さんの突っ込みは辛辣じゃて」


「でも……確かにそうですね。ナオちゃん、いつも笑顔なんだけど、どこか寂しそうというか、哀しそうな目をしてたから」


 小山がそう言うと、生田が優しく笑みを浮かべた。


「みなさん、直希くんのことを心配してくれて嬉しいです。私も勿論、思いは同じでした」


「そうさね……私もどうしてか、あの子のことを考えると、どうにかしてやらないとと思ったもんさね」


「節子先生もですか」


「私は前の施設に入れられて、どうも薬漬けにされていたらしいが、その辺のことはよく覚えてないさね。でもある時、娘と一緒に来たあの子の顔を見て、すぐに感じた。この子の目は、過去しか見ていないとね」


「あの頃の節子先生は、ご自身の方が大変だったと聞いております。そんな節子先生ですら、直希くんの悲壮感を感じたのですか」


「……ある意味私と同じ、いや、ひょっとしたらこの子は、私以上の地獄を経験してる。そう思うとね、この子を何とかしたい、そう思ったもんさね」


 しみじみと語る節子の手を、文江が握った。


「節子さん……孫のこと、そんな風に思ってくれていたんですね。ありがとうございます」


「私がそうしたいと思っただけさね。あんたらが頭を下げる必要なんてないさね」


 そう言って節子が笑うと、再び病室が穏やかな笑いに包まれた。


「で、その日はお通夜の様な晩餐会だった。つぐみちゃんは泣いている。東海林先生は私たちに気を使って、無理矢理話を振ってくる。しかし生田さんは……例のごとく、『ええ』としか返さない」


「あ、いや……新藤さん、勘弁してください」


「はははっ、すまんすまん……しかしそれから、山下さんが入って来て、西村さん、小山さんも入ってきた。少しずつだが、あおい荘は賑やかになっていった」


「ですね。私も新しい方が入ってくると聞くたびに、なんだか嬉しくなっていきました。また一人、私たちの家族が増える……そう思うと、楽しくて仕方がありませんでした」


「文江さん、それは私たちの方ですよ。初めての施設、本当に不安でした。でも、そんな私たちを温かく迎え入れてくれて、本当に感謝してますわ」


「私もですよ、文江さん」


「山下さん、小山さん……ありがとうございます」


「まあ、節子さんの入居の時は、少し様子が違ってたがね」


 栄太郎が意地悪そうにそう言うと、節子が照れくさそうに笑った。


「そしてもう一つ。我々と時を同じくして、明日香ちゃんや菜乃花ちゃんがやってきた」


「そしてあの夏の日、あおいくんがやってきた」


 生田の言葉に、皆が懐かしそうに微笑んだ。


「賑やかになったもんだ、あおい荘も」


「確かに……そうですね。私は妻が死んでからも一人で暮らしていたので、介護施設のお世話になったことがない。だからどういうものなのかもよく知らなかった。だが……少なくともあおい荘は、我々が知る介護施設とは違う、そんな気がしていました」


「そうですね。毎日毎日賑やかで、騒動が絶えない。あおいちゃんが来てからは、その賑やかさに拍車がかかりましたね」


「小山さんもそう思われますか」


「ええ、それはもう……何と言っても、それまで均衡を保っていた、ナオちゃんを巡る戦いの中に、あんな大きな石が投げ込まれたんですから」


「ははっ、確かにそうかもしれません。社会で必要なくなった我々の様な者が、最後の時を迎える為の場所。そんな場所にあるはずのない、女性たちの戦い……直希くんはともかく、彼女たちを見ていると本当に面白い」


「だが、その均衡がついに崩れてしまった。菜乃花ちゃんの一言によってね。私たちが今日、ここで話し合わなければいけないこと。それはこれからのあおい荘を、どのように見守っていくかなんだ」


 栄太郎の言葉に、皆がうなずいた。

 しかしどこか、楽しそうでもあった。



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