第163話 新しい朝


「あおいちゃん、疲れてない?」


「はいです。昨日はその……少しだけ姉様と夜更かししましたが、でも大丈夫です。今日も風見あおいは元気です。あおい荘に戻ったら、今まで以上に張り切ってお仕事したいと思いますです」


「そう、よかった。でも頑張るのも、ほどほどにね」


 そう言って、流れる景色を二人みつめた。





 次の日、着替えた直希が部屋を出ると、あおいとしおりが迎えてくれた。

 風見家に向かった直希は、そこであおいの両親、そして兄の幸一郎と対面した。

 想像以上の歓迎を受けた直希は戸惑ったが、幸一郎、そしてしおりと連絡先を交換し、これからもお互い、いい付き合いをしていくことを約束しあったのだった。


 帰り際、父の信一郎から「これからも娘のこと、よろしくお願いします」と頭を下げられて恐縮したが、娘を思う父の愛情を感じ、「こちらこそよろしくお願いします」そう言って頭を下げたのだった。




 列車で二人は隣同士の席に座り、一時間余りの旅を楽しんでいた。

 直希は朝目覚めた時、体が軽くなっていることを感じていた。

 それが昨夜あおいに全てを打ち明け、受け入れてもらえた、そして許してもらえたからだと思い、感謝したのだった。


 そしてあおいの言った言葉。


「あなたに罰を与えます。あなたへの罰、それは幸せになることです」


 その言葉が直希の中に、生まれて初めてと言ってもいい「希望」を芽吹かせていた。

 どのようにすれば幸せになれるのか。それは分からない。

 何しろ自分はこれまで、幸せという物から逃げ続けて来たのだから。

 しかし昨夜、あおいから罰として、その幸せにならなければいけなくなった。

 そう思った時、胸躍っている自分がいるのが分かった。

 これからの自分がどうなっていくのか。そのことに期待している自分を感じていた。

 今日、そして明日がどんな一日になるのか。

 どんな景色が見れるのだろうか。

 笑顔を浮かべながらそう思っていると、あおいが顔を覗き込んできた。


「何……かな、あおいちゃん」


「直希さん、笑ってますです」


「笑ってる……俺が?」


「はいです。とても幸せそうに笑ってますです」


 そう言って嬉しそうに微笑むあおいを見て、直希は赤面した。


「もしそうなら、それはきっと、あおいちゃんのおかげだよ」


「私ですか?」


「うん。今まで俺は、ずっと誰にも言えない気持ちを持ち続けて来た。まあその、つぐみにだけは言ってたけど」


「つぐみさんは本当に、直希さんにとって大切な人なんですね」


「付き合いが長いからね。幼馴染だし」


「幼馴染……私にはいませんでしたので、ちょっと羨ましいです」


「つぐみに話した時にも、色々言われたよ。それにその……その時だけじゃなくてもね。あいつはいつも、本当に俺のことを心配してくれた。俺が悩んだ時、壁にぶつかった時だって……あいつはいつも俺を励ましてくれた。勇気を与えてくれた……昨日話したこと。父さん母さんや奏のことを話した時だって、あいつは懸命に俺のことを励ましてくれた。応援してくれた。でも」


「……」


「俺の中から十字架が消えることはなかった」


「どうしてですか」


「多分……そうだな、あいつが言ってくれたことと、昨日あおいちゃんが言ってくれた言葉。実はそんなに変わらないんだ」


「いえいえ、きっとつぐみさんの方が、直希さんのことをいっぱい励ましたと思いますです」


「あおいちゃんの言葉と何が違って、今こんなに心が軽くなってるのか……考えてたら、気付いたんだ」


「何でしょう」


「つぐみは俺の罪を、罪だと認めなかった。罪だと思っている俺の考えが間違ってる、そう言った。罪じゃない、そう言ってくれた。

 でもあおいちゃんは何も言わずに、俺の罪を罪として受け入れてくれた。そして許すと言ってくれた」


「気持ちは同じだと思います」


「勿論そうだよ。だからつぐみに感謝してる。そして申し訳なくも思ってる。そんなつぐみの気持ちに反して、俺はずっとあいつに迷惑をかけていたからね」


「つぐみさんは、そんな風に思ってないと思いますが」


「そして一番の違い。あおいちゃんは俺に、罰を与えてくれた。

 俺はずっと、罰が欲しかったんだと思う。罰がないのに罪が消えるなんてこと、ないんだからね。勿論、どんな償いをしたところでこの罪が消えるなんてこと、ないのかもしれない。でも……それでも昨日、あおいちゃんから罰を与えてもらって……それだけのことなのに今、心がすごく軽くなってるんだ」


「直希さん」


「だからあおいちゃん、本当にありがとう。あおいちゃんを助ける為に向かったはずなのに、俺の方があおいちゃんに助けられちゃったよ」


「そんなそんな、恥ずかしいです直希さん。私の方こそ、今までずっと、直希さんに助けていただいてばかりでしたです。ですからその……今の直希さんの笑顔を見れて、私は本当に嬉しいです」


「ありがとう、あおいちゃん」


 そう言って、直希が笑顔を向けると、あおいも嬉しそうに微笑んだ。





「そろそろ……着く時間よね」


 あおい荘の玄関先で、つぐみと菜乃花、明日香に入居者たちみんなが二人の帰宅を待っていた。

 生田は落ち着かない様子で、庭で何本も煙草を吸っていた。その姿に菜乃花や節子たちが笑い、生田も照れくさそうに頭を掻いていた。


「あの、その……つぐみさん、結局あおいさんは、ここに戻って来てくれるんでしょうか」


「詳しいことは帰って話す、心配するな。直希からはこれだけだからね、どんな話になったのかは分からないわ。全く……報告するにしても、これじゃ何も分からないじゃない」


「つ、つぐみさん、落ち着いて」


「でもね、あいつが心配するな、そう言ってくれた。そしてあおいを連れて帰ると言ってくれた。だから……私は何も心配してないわ」


「つぐみさんは、その……本当に直希さんのこと、信頼してるんですね」


「付き合いが長いだけよ。菜乃花だって直希のこと、信頼してるでしょ?」


「それは……そうなんですけど」


 そう言って頬を染める菜乃花を見て、つぐみは苦笑した。

 菜乃花は本当に、直希のことが好きなんだな……そう思った。

 そして私と同じく、恋のライバルとも言えるあおいの為、直希が動くことを応援した。そのことが嬉しかった。


 いつか私は、直希に想いを告げる。直希に告白して断られたあの日、直希に言った言葉。


「私は必ず、もう一度あなたに告白する」


 その気持ちは今も変わっていない。


 そして今、隣にいる菜乃花とはその時、どんなことになるのだろうか。

 そう思うと不安にもなった。

 でも、つぐみは菜乃花のことを信じていた。

 私たちの関係は、そんなことで変わったりしない。

 お互い正々堂々と戦いましょう、そう思っていた。


 つぐみが菜乃花の手を握る。


「……つぐみさん?」


「なんでもないわ。菜乃花、私、やっぱりあなたのこと、大好きよ」


「つぐみさん……」


 つぐみの手の温もりに、菜乃花も頬を染め、「私も、ですよ……」そうつぶやいた。



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