第160話 罪と罰



 泣きじゃくる直希の頭を、あおいが愛おしそうに撫でる。

 直希の頭に落ちる涙。それはあおいの涙だった。


「……俺は、俺は父さん母さんを殺した」


「……そうなのかもしれませんね」


 あおいは直希の言葉を否定しなかった。それは全てを受け止める、そう言ったあおいの直希への敬意だった。


「そして俺は……妹も殺した」


 その言葉に、あおいは全身の血が逆流するような感覚を覚えた。しかしそれを表に出さず、直希の髪に指を通しながらうなずいた。


「あの時、母さんのお腹には妹がいたんだ……名前はかなで。生きていたらあおいちゃんより少し年下だった……

 俺は、奏の人生を踏みにじってしまった……奏は……奏はこの世界に生まれることも出来なかったんだ……俺が今感じていること、この世界が美しいこと、優しいこと、楽しいこと。その全てを感じることも出来なかったんだ……そして奏の幸せを奪ったのは俺……奏の兄ちゃんなんだ……」


「……許しますです」


 あおいが涙声でそう言った。

 その言葉に直希が大きく首を振った。あおいは直希を強く抱き締め、耳元で囁いた。


「直希さんの罪……それはとても重いです……お父様にお母様、そして奏さん……三人の命をあなたは奪いましたです」


「そうだ……俺はみんなの人生を踏みにじったんだ」


「ですが大丈夫です……今、あなたの罪は全て消えましたです」


「……」


「私が全てを受け止めましたです……その罪の重さは、今あなたが流している涙で分かります……ですがその罪は全て、涙と共に洗い流されましたです」


「あおいちゃん……」


「本当に苦しかったと思います。辛い日々だったと思います。私だったら、とても背負えなかったと思います……直希さん、今まで本当に頑張りましたです……よく頑張りました、偉いです」


「……」


「直希さんはきっと、いくら言葉で伝えても納得しないと思います。こんなことで自分の罪は消えない、そう思うと思いますです。でも、それでも私は言いますです。今、あなたの罪は消え去りました。直希さん、今までよく頑張りましたね」


「俺は……俺は……」




 あおいの言葉には、何一つとして説得力がない。直希がこれまで背負って来た罪が、こんなことで消える訳がない。

 それなのに直希の中で、その一つ一つが消えていくような気がした。

 背負っていた罪が軽くなっていくような、不思議な感覚に見舞われた。

 あおいが優しく頭を撫でるたびに。

 あおいが耳元で囁くたびに。

 そして、涙が流れるたびに。

 自分の罪が洗い流されていくような気がした。




「どうですか。荷物、軽くなった気がしませんですか」


 あおいが涙声でそう言って、笑った。


「は、ははっ……なんだよそれ……あおいちゃん、君はどれだけ大きいんだよ……」


 いつの間にか直希も笑っていた。

 涙はまだ流れていた。

 泣きながら笑っていた。

 直希の言葉にあおいも笑った。声を震わせながら笑った。

 いつしか部屋の中で二人、涙を流しながら笑っていた。





「……恥ずかしい姿、見せてしまったね」


「そんなそんなです。私がお願いしたことですし、その……直希さんのことがまた知れて、私は嬉しかったです」


 落ち着いた直希が、いつもの様子であおいに語り掛ける。


「でも……ありがとう、あおいちゃん。なんだろう……何て言ったらいいのかな。あおいちゃんに全部話して、本当に体が軽くなったような気がするんだ」


「よかったです」


「それで、なんだけど……あおいちゃん」


「はいです」


「さっきの話に戻るんだけど」


 そう言って、直希が煙草に火をつけた。


「駄目ですよ直希さん、煙草は控えないと」


「あ……はいそうですね、すいません」


「直希さんには、まだまだ元気でいてもらわないと困りますです。直希さんに何かあったら、私たちも困りますです。ですから……どうかお体、ご自愛くださいです」


「……だね、気を付けるよ」


 そう言って煙草を揉み消す。


「さっきのあおいちゃんの告白のこと、なんだけど」


「直希さんは今、大変な告白をしてくれましたです」


「あおいちゃん?」


「すごく疲れたと思いますです。そんな時にまで私のことを考えてくれる……私はそんな直希さんのことが、やっぱり大好きです」


「……ありがとう」


「ですが……自分で告白をしておいて申し訳ないのですが、直希さん。告白の返事、今はいいです」


「いいのかい?」


「はいです。それに今、無理に返事を聞こうとしたら直希さん、私の告白を受けざるを得なくなってしまいますです。直希さんは本当に優しくて、誠実な人ですから……でも、それはフェアじゃないと思いますです」


「……」


「返事は急ぎませんです。直希さんが落ち着いてから、ゆっくり考えてくれていいです。それに……」


「それに?」


「直希さんは今も、幸せになることを恐れていると思いますです」


「……分かる、よね」


「はいです。でもそれが直希さんなんだと思います。そういう人だから、私は好きになったんだと思います」


「ははっ、ありがとう」


「ですが直希さん、幸せになるのは直希さんの義務なんですよ」


 その言葉、つぐみにも言われたよ……直希が心の中で思った。


「亡くなった方たちの分まで、直希さんは幸せにならないといけないんです。生きている限り、人は幸せになる努力を続けないといけないんです」


「……」


「でも直希さんは頑固者ですから、いくら私が言っても聞いてくれないと思いますです」


「……お見通しなんだね、あおいちゃんには」


「はいです。直希さん、楽になった顔はしてますが、まだ前を向いてないですから」


「そうなのかい?」


「直希さんが前を向いている時の顔は、今までたくさん見てきましたです。私はあの顔が大好きです。でも今、幸せの話をした時の直希さんは、あの顔になってなかったです」


「そうなんだ」


「ですから私は、今から直希さんに呪いをかけますです」


「呪い?」


「間違えましたです、罰を与えますです」


「……あんまり変わってない気もするけど」


「直希さんの罪は今、全部消えました。これは間違いのない事実です。ですがそのことを直希さんが認めなければ、消えたことにはなりませんです。直希さんはきっと、その……罰がほしいんだと思いますです」


「……」


「直希さんはこれまで、ご両親と奏さんのことで苦しんできましたです。そしてその罪滅ぼしとして、今のような生き方をしてきたんだと思います。でも、それでも直希さんの罪は軽くならなかった。それはきっと、罰がなかったからなんだと思いますです」


「確かに……許すと言ってくれた人はいたけど、罰を与えてくれた人はいなかったな」


「ですから私が、直希さんに罰を与えますです。いいでしょうか」


「……分かった。全部聞いてくれたあおいちゃんなんだ。この罪に見合う罰を与えてくれると思う。どんな罰でも、俺は受けるよ……と言うか、俺は誰かに、そう言ってもらいたかったのかもしれない」


「では直希さん、罰を与えますです」


「……」




「直希さん、幸せになってください」




「え……」


「幸せになってくださいです。これが直希さんに与える罰です」


「幸せにって……いやいや、そんな罰ないだろ」


「いいえ、これは立派な罰です」


「……」


「直希さんにとっては、幸せになることが何より苦痛だった。そうではないですか」


「幸せが、苦痛……」


「三人の人生を踏みにじった自分が幸せになる、そんなことはあってはならない。そう思いながら、直希さんは今まで生きてきました。

 きっと直希さんは、幸せ恐怖症になってますです。少しでも幸せを感じたら、それを自分の中で否定して、打ち消そうとしていた。違いますか」


「……違わない」


「ですからこれは、直希さんにとって最大の罰になりますです。あなたはこれから、今まで見ないようにしてきた幸せと向き合って、幸せにならないといけないんです。そしてこれは罰なので、撤回出来ませんです」


「あおいちゃん……」


「直希さん、幸せになってくださいです。それが私の、そしてつぐみさん、菜乃花さんや明日香さん、みなさんの気持ちです。これまで目を背けて来た幸せと向き合い、幸せになるために頑張ってくださいです」


 そう言って笑顔を向けたあおいに、直希は再び涙ぐんだ。


「そうか……罰なんだな、これは……ははっ、罰だったら仕方ないな」


「そうです、もう逃げられませんですよ、直希さん」


「……ありがとう、あおいちゃん……俺、幸せになる為にこれから、少し頑張ってみるよ」


「それでこそ直希さんです。あおい荘の管理人さんです、私の大好きな直希さんです。私は、そんなあなただから愛しましたです。直希さん、幸せになってくださいです」


 あおいの微笑みに、直希も涙を拭って笑った。




「ありがとう、あおいちゃん」



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