第156話 二人の時間


「あおいちゃん……」


「お久しぶりです、直希さん。一日ぶり、ですね」


 そう言って笑うあおい。温泉からあがったばかりなのか、頬は上気してほんのり赤くなっていた。

 浴衣姿の艶めかしい雰囲気に、直希は赤面して視線を外した。


「直希さん?」


「あ、いや……本当、久しぶりだね、あおいちゃん」


「はいです、私もそう思いますです。風見家を出てからの半年、私はずっと直希さんのそばにいましたです。だから……こんなに長い時間会えなくて、少し寂しかったです」


 そう言って小さく笑うと、あおいは直希の隣に座り、ビールを勧めた。


「今回のこと、本当にすいませんでしたです。それから、その……ありがとうございました」


「あ、いや……ありがとう」


 あおいにビールを注がれ、直希が照れくさそうに笑った。


「もう二度と会えないのかもしれない……そう思って絶望しましたです。だから本当に……こうしてお会いすることが出来て嬉しいです。随分長い間会ってなかったような、そんな気になりましたです」


「だね。俺もそうだよ」


 そう言ってビールを手にし、あおいにも勧める。あおいは嬉しそうに微笑み、グラスを持った。


「じゃあ……再会に」


「はいです。再会に」


 そう言ってグラスを重ね、二人がビールを口にした。





「しかし……何度見てもすごいな、この料理」


「お料理長さん、頑張ってくれましたです」


「それにこの部屋だって、ここで一番豪華な部屋なんじゃないのかな」


「いえ、この旅館では二番目か三番目の部屋になりますです」


「この部屋より上があるんだ……なんか、とんでもない所に俺は泊まってるんだな」


「確か一番いいお部屋には、天子様がお泊まりになられたことがあるそうです」


「天子様ねえ……ってそれってまさか、天皇陛下ってこと?」


「はいです、陛下さんです」


「マジか……」


「直希さん?」


「ああいや、ごめん……改めてあおいちゃんの家が、とんでもなくすごいんだなって思って」


「私にはよく分かりませんです。だって私はこれまで、風見家しか知らなかったのですから」


「そうなんだね」


「でもでも、このお部屋も素敵ですが、私はあおい荘のお部屋の方が好きです」


「部屋って、あおいちゃんの部屋?」


「はいです。私はあのお部屋が大好きです。早く戻って、ゆっくり落ち着きたいです」


「そう言って貰えて嬉しいけど、何だか複雑な気分だね。あの部屋、六畳一間だし」


「座って半畳、寝て一畳」


「あおいちゃん?」


「諺です。昔姉様に教えていただきましたです。私たちがどれだけお金を持っていても、どれだけ権力を持っていたとしても、所詮は人の身なんだ。座れば半畳分、寝ても一畳分の大きさでしかない。身の程をわきまえて、奢らず謙虚に生きていきなさいと言ってくれましたです」


「……しおりさんって、本当何物なのかな。あおいちゃんの話を聞いていると、とんでもなく大きな存在に思えるよ」


「はいです、姉様は素晴らしい方です。でも私にとっては、直希さんもその……同じぐらい素晴らしい方なんです」


「あ、いや……褒めてくれるのは嬉しいけど、それはちょっと褒めすぎかな」


「そんなことはありませんです。現に直希さんは姉様と会われて、私があおい荘に戻る為に頑張ってくれましたです。あの姉様を説得出来るだなんて、直希さんはやっぱり凄い人です」


「いやいや、そんなことないから。と言うかしおりさん、俺に会う前から答えを出してたようだし」


「でも、それでもです。もし直希さんが姉様の期待にそぐわない方だったら、この話はなかったことになってましたです」


「確かにそういう空気、感じてたけどね。何と言うか、あまり出会ったことのない人だったというか、経験したことのない圧を感じたというか」


「その姉様が直希さんのことを、これ以上にないぐらい評価されていましたです。姉様が他人のことを、あそこまで評価されるなんて、今までありませんでしたです」


「まあ、俺の屁理屈に呆れてたのもあると思うけどね」


「直希さんはもっと、ご自分のことを評価してもいいと思いますです。でないとその……直希さんがかわいそうです」


「ははっ、ありがとう、あおいちゃん。確かにその……天下に名高い森園グループの人に、そう言って貰えて嬉しいよ。でもね、本当、俺にそこまでの値打ちはないよ」


「いいえ、そんなことはありませんです。私は今までずっと、直希さんを見て来ましたです。直希さんは、直希さんはその……私にとって、心から尊敬できる素晴らしい方なんです」


 あおいが熱を込めて語る。その言葉に照れくさそうに笑いながら、直希が箸を手にして言った。


「まあなんだ、折角のご馳走なんだ。食べながらゆっくり話さない?あおいちゃんもお腹、空いてるだろ?」


 そう言ってあおいに箸を渡す。指先が触れ、あおいが頬を染めてうつむいた。


「は、はいです。確かに……少しだけ、本当に少しだけですがお腹、空いてるかもしれませんです」


 言葉と同時に、あおいのお腹がかわいい音を立てた。


「ひゃんっ」


 音にあおいが耳まで赤くした。


「ち、違いますです直希さん。今のはその……とにかく違うんです」


「何も聞こえてないから安心して。それよりほら、一緒に食べよう。俺もお腹、空いてるから」


「何も言ってないのに聞こえてないとか……やっぱり聞こえてますです、直希さん」


 そう言いながらも、直希の気配りに嬉しそうに笑いながら、テーブルに向かって座り直した。


「いただきます」


「いただきますです!」





 それからしばらく、二人は料理に舌鼓したづつみを打ちながら、今日一日にあったことを語り合った。

 お互いに肩肘を張らず、言葉を恐れず、全てをさらけ出して語り合った。

 そして話は半年前にまで遡り、これまで互いに口に出来なかったこと、辛かったこと、苦しかったこと、もどかしかったこと、嬉しかったこと。たくさんの言葉を紡ぎ合い、重ね合いながら、二人の間に出来た絆を確かめ合った。


「……本当に私は、直希さんに出会えて幸せです」


「それは俺のセリフだよ。あおいちゃんがいたからこそ、俺は今まで頑張って来られた。前に進もうと思えたんだ」


「私は……そんな直希さんのことを……」


「……あおいちゃん?」


 料理を食べ終えた二人は、ビールを酌み交わしていた。

 あおいは頬を染めながらうつむいていた。


「大丈夫かい、あおいちゃん。顔が真っ赤だよ。酔いがまわった?」


「いえ、酔っている訳ではありませんです。大丈夫ですので安心してくださいです。そうではなくて、その……私、直希さんに伝えたいことがありますです」


「いいよ、ここまで色々話したんだ。俺もなんていうか、あおいちゃんに聞きたかったことなんかもいっぱい聞けて、胸の中がすっきりした感じなんだ。だからあおいちゃんも、この際だ。俺に言いたいことがあるなら、遠慮せずに言ってほしいな」


 その言葉にうなずくと、あおいは嬉しそうに微笑んだ。


「私は……風見あおいは……」


 そう言って顔を上げ、真っ直ぐに直希を見つめる。


「あなたのことが好きです」



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