第116話 兼太の決意


「やってしまった……初手でいきなり、やってしまった……」


 生田の部屋。

 アプリに-5点を入れ、兼太が頭を抱えていた。

 そんな孫の様子に苦笑しながら、生田が声をかける。


「確かに……菜乃花くんは少し幼く見えるかもしれないが……それにしても中学生は酷すぎたな、兼太」


「じいちゃん、追い打ちかけないでくれるかな」


「ははっ。だが、いきなりお前が来たものだからな、かなり驚いたぞ。今日は学校、休みだったのか」


「ああ、うん。今試験休みだから」


「そうか……試験はどうだったんだ?手ごたえ、あったのか」


「あったと思う……さっきの菜乃花ちゃんとのやり取りに比べれば、それはもう遥かに」


「そ、そうなのか……それで、せっかくの休みだと言うのに、どうしてあおい荘に……あ、いや……聞くまでもないか」


「いやいやじいちゃん、誤解してるから。じいちゃんの所に来たかったのは本当なんだから」


「……そうなのか?」


「うん……そうだ、さっきのがあったからすっかり忘れてたよ。じいちゃん、この前はその……母ちゃんが変なこと言って、本当にごめん」


「なんだお前、まだ気にしてたのか。あの時にも言ったはずだぞ。お前が謝ることなんてないんだ」


「でも、その……俺のせいでもあるんだよ」


「どういう……ことかな」


「俺が母ちゃんに言ったんだよ。いつまでじいちゃんを放っておくつもりなんだって」


「……」


「家族は大切だって、母ちゃんいつも俺に言ってた。実際母ちゃん、身内に対しての愛情はすごく持ってる。でも……それなのに母ちゃん、じいちゃんに対してだけはそうじゃなかった。ばあちゃんが死んだ時だって、俺はじいちゃんと一緒に住もうって言ったんだ。なのに、じいちゃんが一人で住みたいって言ってるんだから、仕方ないって」


「……お前が気にすることじゃないさ」


「なのに実はじいちゃん、そんなこと一言も言ってなくて、単に母ちゃんがじいちゃんのこと、苦手に思ってるってことが分かって」


「わしがもう少し、愛想のいい年寄りならよかったんだがな」


「でも俺、そんなじいちゃんが好きなんだ」


「兼太……」


「だから俺、初めて母ちゃんに逆らったんだ。このままじいちゃんを放っておくんだったら、大学になんか行かないって」


「……」


「そうしたら母ちゃん、泣いちゃってさ。でも丁度その時、祥子おばさんからも言われてたみたいで……それで母ちゃん、覚悟を決めたみたいなんだ」


「そうだったのか」


「でも俺、じいちゃんがここで楽しく暮らしてるなんてこと、知らなかったんだ。だからその……ごめん、じいちゃん。じいちゃんの気持ちも考えずに俺、勝手に暴走しちゃって」


「いいさ。それもお前の優しさから来たことなんだ。お前に対して、感謝こそすれ責めるなんてこと、ある訳がないさ」


「……ありがとう、じいちゃん」


「それで……最近どうなんだ、父さんと母さんの様子は」


「……それもちゃんと報告しないとって、そう思って来たんだ」


「と言うと、やはり何かあったのか」


「あの後、父ちゃんと母ちゃん、家でいつも喧嘩してた」


「……」


「母ちゃんに黙って従ってただけの父ちゃんが、あの日から少しずつ変わっていったんだ。まずじいちゃんの件について、自分の親のことをそこまで悪く思われて、正直気分が悪いって言い出して」


「兼吾が……父さんがそんなことを言ったのか、あの仁美さんに」


「そりゃ……父ちゃんだからね、かなりビビりながらだったけど」


「ははっ、そうか」


「でもそれでも、その時から父ちゃん、変わっていったと思う。俺の成績や進路のことにでも、口を挟んでくるようになった。母ちゃんは全部自分でしたい人だから、いちいち口を挟んでくる父ちゃんが気に入らなかったみたいで、かなりストレスがたまっていったみたいだった」


「……」


「そしてついに爆発。一週間ほどだったけど、家で毎日のように言い合ってた」


「兼吾が……あの兼吾が仁美さん相手に……」


「母ちゃんも驚いてたよ。それでも母ちゃん、いつもみたいに父ちゃんに大声で怒鳴って、父ちゃんの心をへし折ろうとした。でも父ちゃん、それでも負けなくて。理路整然と、正論で母ちゃんの言葉をひとつひとつ潰していったんだ。結構面白かったよ。母ちゃん、目を白黒させながら動揺して」


「兼吾はああ見えて、かなり頭がいいからな」


「それである日、母ちゃんがついに泣いちゃって」


「……」


「私はみんなの為を思って、今まで頑張ってきた。あなたは私の言葉に対して、反対もしなかったけど、何一つとして協力もしてくれなかった。だから私はたった一人で、この生田家を守る為頑張るしかなかった。なのにみんなで、私を否定するんだって」


「……」


「それで次の日、冷や冷やしながら起きたんだけど、二人共すごい笑顔で話をしてたんだ。そして俺の顔を見て、『おはよう兼太。今まで悪かった。これからは父さんと母さん、二人で協力しあって、お前の為に頑張るから』って言ってくれたんだ」


「……そうか」


「後で聞いたんだけど、父ちゃんが母ちゃんに謝ったそうなんだ。『俺は今まで、お前の強さに甘えていたんだと思う。でも父さんに久しぶりに叱られて、本当に俺はこのままでいいのかって考えたんだ。そして分かった、決意したんだ。これからは俺もお前の為、そして兼太の為、頑張ってみる。今まで本当にありがとう。辛かっただろう、寂しかっただろう。お前は本当に、俺の誇りで、最高の妻だ』って、言ったんだって。そしたら母ちゃん、わんわん泣いて父ちゃんに抱き着いたんだって」


「……そうか……よかった、本当によかった……」


「じいちゃんが叱ってくれたおかげだよ」


「……誉め言葉にも聞こえないがね」


「今は二人共、じいちゃんの金がない物として色々計画を立ててる。その計画に俺も参加させられるんだけど、とにかく二人の雰囲気がその……見てられなくてさ」


「どういうことかな」


「アツアツなんだって、二人共。年頃の息子を前にして、よくもあれだけ、イチャイチャ出来るもんだよ、全く」


「ははっ、そうか。でもまあ、両親の仲がいいのは、お前にとっても嬉しいことだろう」


「そりゃあ、まあ……ね。うん、嬉しいよ」


「ははっ」


「で、俺も今まで、ぼんやりとしかしてなかった、医者になる夢についても考えるようになったんだ」


「……」


「今までは俺、母ちゃんを怒らせたくない、悲しませたくないって気持ちでその夢を見てた。追ってた。でも俺、そんなんじゃ駄目だ、そう思うようになったんだ。そんな気持ちで医者になったとしたら、医者になることを夢見て頑張っている人たちに対して、失礼だって」


「そうか……お前も兼吾たちのおかげで、一皮むけたんだな」


「それで俺の出した結論。これからは自分の意思で、医者になることを目指す。病や怪我で苦しんでいる人たちの為に、俺が出来ることで頑張って支えていきたい、そう思ったんだ」


「……男の顔になったな、兼太」


「そう……かな、ははっ。ちょっと照れくさいな」


「恥ずかしがることはないさ。お前もこれで、自分の夢に向かって走ることが出来るんだ。恐らくは、これまで以上に走れるはずだ。何と言っても、それはお前が目指す夢なんだからな」


「ありがとう、じいちゃん」


「それで?今日は泊まるつもりなのかな」


「うん。出来れば今日明日と、泊めてほしいんだ」


「今日明日か、分かった」


「今回の試験、そのことだけを目標に頑張って来たんだ。大丈夫、父ちゃんと母ちゃんの許可ももらったし」


「そうか……だが兼太、それだけ苦労してつかんだチャンスだと言うのに、初手でやらかしてしまったな」


「え?な、なんのことかな」


「今更隠しても仕方あるまい。と言うか、隠せてるつもりなのか?お前、わしに会いたいなどと言っているが」


「いやいや、じいちゃん本当、本当だから。俺は本当に、じいちゃんの家に泊まってみたかったんだって」


「その言葉は嬉しいものだ。そんな風に孫から言ってもらえる、それだけでもわしは幸せ者だと思う。しかし兼太、それだけじゃないな」


「……」


「本当に、それだけなのか?」


 生田の意地悪そうな笑みに、兼太が参りましたとばかりに頭をかいた。


「……半分、くらいかな、理由としては」


「半分以上だな、その答え方は」


「ははっ」


「はははっ……それなのにお前は、出だしからつまずいたと」


「……やっぱりそうだよなぁ……はあっ……」


「しかし、お前が菜乃花くんをね……巡り合わせとはいえ、面白いえにしだな」


「なあじいちゃん、脈はあるかな」


「さて、どうだろうな。菜乃花くんはあの通りの美しい少女だ。勿論、心もね。そんな彼女に惹かれる男がいても、何の不思議もないだろう」


「菜乃花ちゃん……付き合ってる人とかいるのかな」


「いや……前に話した時には、そんなことは言ってなかったな。ただ……」


「ただ何!じいちゃん、教えてくれよ!」


「あ、いや……菜乃花くんのプライバシーだ、私が言う訳には」


「じいちゃんの目の前には、じいちゃんの可愛い孫がいる。そしてその孫が、生まれて初めて心奪われた女の子のことで悩んでるんだ。じいちゃん、じいちゃんなら分かってくれるよね」


「お前……かなりずるい言い方だぞ、それは」


「じいちゃ~ん」


「分かった、分かったからそう甘えてくるんじゃない……菜乃花くんにも、気になっている人はいるようだった」


「気になってる人……か……」


 兼太が目を閉じて考える。そしてしばらくして、「よし!」と顔を上げた。


「俺、頑張るよ。初めてのこの気持ち、ぶつけないときっと後悔する。じいちゃん、手を貸してくれとは言わない。俺も男だ、一人で頑張ってみる。だから……俺の戦い、見届けてほしい」


「……ははっ、いいだろう。兼太らしく、誠実にぶつかってみるといい。頑張ってみなさい」


「うん。じゃあじいちゃん、そういうことで3日間、よろしくお願いします!」

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