第115話 菜乃花さんと兼太くん


「それでその、他の方たちは」


「一人は生田さんの見守りで、お風呂場にいます。覚えてませんか、あおいさんって言うんですけど」


「あおいさん……ああ、覚えてます。確か風見さん、ですよね。あの時じいちゃんに、自分のことも名前で呼んでほしいって言ってた、ちょっと面白い話し方の」


「面白いって、ふふっ……そうですね、あおいさんの口調、ちょっと面白いですよね」


「ああでも、馬鹿にしてる訳じゃないんです。何て言うか、あのお姉さんにぴったりの話し方だなって思って」


「そうですね。あおいさんって言ったらあの話し方、ですよね。ふふっ……あと、直希さんとつぐみさんは、ご存知でしたよね」


「はい。お二人とは、ここに初めて来た時に挨拶させてもらってます」


「二人は入居者さんの付き添いで、病院に行ってるんです」


「病院って、何かあったのですか」


「あ、いえ、そういう訳ではなくて……新しく入って来られた入居者さんなんですけど、最近調子がよくなってきましたので、確認の意味で検査に」


「そうだったんですね、よかった」


「……それでその、兼太さんはこんな時期にどうして?今日は金曜ですし、学校もまだ」


「うちの学校、今試験休みなんです」


「え?まだ11月なのに」


「はい。うちは進学校なので、色々と普通の学校とはスケジュールが違ってて。今月いっぱいが休みで、12月からはまた授業が始まるんです」


「私の所はまだ二週間先です。それが終わったら、試験休みと合わせてそのまま冬休みで」


「普通はそうですよね」


「試験休みの後で、まだ一か月授業なんて。大変ですね」


「いえ、俺にとってはそれが普通なので、特には。それに……どうせ家にいても勉強してますし、そんなに変わらなくて」


「兼太さんは、その……進学先は、もう」


「はい、一応は。医者になることを目指してますので、国立の医学部に」


「お医者さんですか。じゃあ成績の方も」


「いえ、そんな大したことは……うちは母ちゃんが厳しくて、俺の将来のことまで、子供の頃から計画を立ててたんです。そのことに何の疑問も感じないまま、気が付いたらこの年になってたので」


「じゃあ……お医者さんになるっていうのは、兼太さんの夢では」


「でも俺、そのことに対して不満もないんです。今では俺にとって、医者になることが夢になってます。何て言うか……母ちゃん、確かに人の目が気になるみたいで、俺のことも、自分が自慢したい為にそんな未来図を作ったんだと思います。でも俺は、自分が頑張って結果を出した時に、母ちゃんたちが喜んでくれるのが嬉しいんです。それに……確かに人が描いた将来ですが、今となってはそれが俺自身の夢でもあるんです」


「そうなんですね。でも兼太さん、すごいと思います」


「そうですか?」


「そう思います。私は、その……最近まで、自分の将来のことなんか考えたこともなかったので」


「そんなことないと思いますよ。と言うか、中学生でそこまで考えている人なんて、そんなにいないですよ」


「…………え?」


「ああその、決して中学生だからって、馬鹿にしてる訳じゃないですよ。何と言っても君は、その……まだ中学生なのに、ここでこんなに頑張ってる。大丈夫、きっと素晴らしい未来が待ってると思います」


 その言葉に、菜乃花がうつむいて小さく息を吐いた。


「あ、あれ?どうかしましたか、その……」


「……菜乃花……小山菜乃花です」


「小山菜乃花ちゃん……よかった。あの時俺、菜乃花ちゃんの名前だけちゃんと聞き取れなくて、いつ聞こうか悩んでたんですよ。何ていうかその……他の方たちの名前は覚えてるのに、菜乃花ちゃんの名前だけ知らないって言うのも失礼だなって思ってて。菜乃花ちゃん……うん、君にとっても似合ってる、可愛い名前だと思うよ」


 そう言って笑顔を見せる兼太とは対照的に、菜乃花の肩が小さく震えた。


「菜乃花……ちゃん?」


「……その菜乃花ちゃんって言うの、やめてもらえませんか、兼太くん」


「兼太くんって……え?ま、まあ、いきなり距離が縮んだみたいで嬉しいんだけど……でも……菜乃花ちゃん?なんでそんなに震えて……それに、ちゃん付けが駄目って」


「だから……ちゃん付けしないでもらえるかな」


「ちゃんは駄目って……ああ、そういうことね。子供呼ばわりされてるみたいで嫌なんだ。大丈夫、俺は菜乃花ちゃんのこと、そんな風に思ってないから。何て言うか菜乃花ちゃん、中学生なのに大人びてるし、俺なんかと違ってもう働いているし、本当すごいと思ってるんだ。それにその……菜乃花ちゃんって響きが、すごく菜乃花ちゃんに似合ってていいなって」


「だから菜乃花ちゃんって呼ばないの!兼太くん!」


 声を荒げてそう言うと、菜乃花が勢いよく立ち上がった。


「菜乃花……ちゃん?」


「兼太くん。私のこと、何歳いくつだと思ってるのかな」


「え……だから菜乃花ちゃん、中学生で」


「わ・た・し・は!私は18歳、高校三年生!来年卒業する、あなたの1個上の先輩なんです!」


「……」


 菜乃花の言葉に、兼太の頭が真っ白になった。




「今日もいいお風呂をいただけたよ、ありがとう」


「そんなそんなです。でもそう言っていただけて嬉しいです。あ、菜乃花さん、生田さんのお風呂が終わりましたです。飲み物の用意、お願い出来ますですか」


 そう言って、あおいと生田が食堂に姿を現した。


「あれ?菜乃花さん?」


「……兼太……なのか?」


 二人が見たもの。

 それは、カウンターの中で腕を組み、口をとがらせてそっぽを向いている菜乃花と、菜乃花に向かい、「すいません、すいません」と頭を下げて謝っている兼太の姿だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る