第14章 初恋物語
第114話 こんにちは!
あおい荘の門をくぐった少年は、花壇の前で足を止めた。
穏やかな笑みを浮かべ、今日の点数2点追加だ、と、スマホのアプリに加点する。
「こんにちは!失礼します!」
玄関に立った彼、生田兼嗣の孫、兼太は元気いっぱいに声を上げた。
「おじいちゃんの……所?」
夕食の済んだ生田家。兼太の言葉に、父の兼吾が意外な顔をした。
「うん。俺、母ちゃんとの約束守って、期末試験も頑張った。手ごたえもあったし、これなら多分、学年10位以内は大丈夫だと思う」
「そうか、お前、頑張ってたからな……しかしなるほど、そういうことだったのか」
「あれから俺、じいちゃんの家に行きたくて、何度も母ちゃんに頼んでたんだ。でも母ちゃん、受験生がそんなことでどうするんだって、聞いてもくれなかった。でも俺、どうしてもじいちゃんに会いたくて……だから父ちゃん、駄目かな」
「いや……いいんじゃないか」
「よしっ!」
兼太が拳を握って嬉しそうに声を上げる。
「ちょっとあなた、勝手に話を進めないでもらえます?兼太、私は反対ですよ。試験が終わったぐらいで浮かれてどうするの。受験まで気を抜いてる暇なんてないんですからね。そんな覚悟で受かるほど、あなたの志望校は楽じゃないのよ」
「俺の志望校って言うより……母ちゃんの志望校だろ」
「まあまあ、兼太も仁美も落ち着きなさい。兼太、母さんの言うことも、分かってくれるよな。母さんはお前の為に、いつも嫌われ役になってくれているんだ」
「……分かってるよ、俺だって子供じゃないんだから」
「仁美、お前もだぞ。考えてもみなさい、兼太がお前の言葉をないがしろにしてることなんて、今まであったか?こいつはこいつなりに考えて、お前の言いつけを守ってる。だから……たまにはこいつの言うことも、聞いてやってくれないか」
「でも……」
「大丈夫だよ、兼太なら。お前が育てた息子なんだ。お前が気に病んでるようなこと、こいつは決してしないよ。それに……あの時のことで、兼太にも色々と心配をかけてしまったんだ。だから今回は、な。俺からも頼むよ。今回は兼太の好きにさせてやってくれないか」
兼吾がそう言って、仁美の手を優しく握る。仁美はその仕草にとまどい、少し頬を染めながら小さくうなずいた。
「あなたがそれでいいのでしたら……分かりました、今回は許します」
「ありがとう、母ちゃん」
「でも、試験休みの期間中だけですからね。終わる前に、ちゃんと戻ってくるんですよ」
「勿論。戻ってきたら前以上に勉強、頑張るからさ」
そう言って、アプリに3点を加算する。兼太の笑顔に仁美は、「紅茶、飲みましょうか」そう言って台所へと向かった。
「で……何だが兼太。お前、じいちゃんに会いに行くだけなのか、あおい荘に」
仁美に聞こえないように、兼吾がそう耳打ちした。その言葉に兼太が動揺し、慌てて父の顔を見る。
兼吾は意地悪そうに笑いながら、兼太を見つめていた。
「なっ……やめてくれよ父ちゃん」
「はははっ、やっぱりな」
「はい、どちら様でしょうか」
兼太の声に、菜乃花が姿を現した。
「あっ……こ、こんにちは!」
菜乃花の顔を見た途端、兼太の顔は見る見るうちに赤くなっていった。慌てて頭を大袈裟に下げる。
「お、俺は……こちらでお世話になっている、生田兼嗣の孫、生田兼太です。あ、あの……今日はその、じいちゃんに会いたくて来ました!」
「生田さんの……ああ、兼太さんですか、お久しぶりです」
「俺のこと……覚えてくれてたんですか」
「ええ、勿論」
そう言って菜乃花が笑う。その笑顔に、膝が震えるのを兼太は感じた。
「あ、その……髪、切ったんですね」
「え?あ、はい、その……色々ありまして、ちょっと気分を変えようかなって思って……と言うか兼太さんこそ、髪形まで覚えててくれたんですね」
「いえ、その……あのふわふわな綺麗な髪、すごく印象的でしたので」
「そう……ですよね。今はこんなに短くなってしまって、学校で友達からも、勿体ないことしたよねって言われてますし」
「あ、いえ、大丈夫です!今の髪形も、その……大人っぽい感じで、すごくいいと思います!」
兼太が真っ赤になりながら、そう声を張り上げた。その勢いに菜乃花も顔を赤くして、慌てて兼太の言葉を遮った。
「け、兼太さん、その……ここは高齢者の方たちが住まれてる所ですので、その……声は少し抑え気味で」
「あ……そ、そうですよね、すいませんでした。あはっ、あはははははっ」
「ふふっ……生田さんは今、お風呂に入られている所なんです。よければ少し、食堂でお待ちになられませんか」
「は、はい!失礼します!」
「あ、その……ですから声、もう少し抑えていただけると……」
「あ、すいません……気を付けます」
「ふふっ」
テーブル席に座った兼太に向かい、菜乃花が言った。
「兼太さんはコーヒーと紅茶、どちらがお好きですか」
「お、俺は……コーヒー!コーヒーでお願いします!」
「コーヒーですね、分かりました。すぐご用意しますね」
「出来ればブラック!ブラックでお願いします!」
「兼太さんはブラックで飲めるんですか。すごいですね……何だかもう、立派な男の子って感じで」
「いえ、そんな。あはははっ」
「私はその……味覚が子供って言うか、苦いものが苦手なんです。ですからコーヒーも飲めなくて。だからコーヒーの時は、お砂糖とミルクをいっぱい入れるんです」
「いえ、その……女の子はそれでいいと思います!なんて言うか、その……可愛くて素敵です、憧れます!」
「え……ふふっ、ちょっと待っててくださいね。すぐに出来ますから」
コーヒーメーカーからの、何とも言えない甘い香りが鼻孔をくすぐる。よし、これならいける……そう兼太が思った。
「はい、おまたせしました」
「あ、ありがとうございます!」
兼太の返事に微笑みながら、菜乃花が兼太の前に座った。
そして自分で驚いた。
(あれ……私、自然に男の人と同じテーブルに座っちゃった……どうしてだろう、いつもなら怖くて、すぐにカウンターに逃げてしまうのに……生田さんが出て来るまで、間が持たないって思ってしまう所なのに……兼太さんといても私、全然緊張してない……)
コーヒーにたっぷりミルクと砂糖を入れる菜乃花に見惚れながら、兼太がコーヒーを口にした。
「ぶっ……」
甘い香りからは想像もつかなかった苦みが、口いっぱいに広がった。そのギャップの大きさに、兼太が思わず咳き込んだ。
「げほっ、げほっ」
「あ、兼太さん、大丈夫ですか」
「だ、大丈夫、大丈夫です……その、あんまりおいしいので、びっくりしちゃって」
「は、はあ……」
「ははっ……本当、おいしいですね、このブラックコーヒーは」
そう言って涙目でコーヒーを口にする兼太に、菜乃花がこらえきれなくなって笑った。
「ふふっ……兼太さん、無理しなくてもいいですよ。ほらこれ、入れてください」
砂糖とミルクを差し出す。その仕草までも可愛くて、兼太の顔がまた赤くなった。
「どんな物でも、おいしくいただかないと。誰が何を言ったっていいじゃないですか。自分らしく、肩に力を入れず……自然体が一番いいと思いますよ」
そう言って優しく微笑む。
その笑顔に動揺し、うつむきながら兼太が、
「はい……すいませんでした、いただきます……」
そう言って、照れくさそうにスプーンを持った。
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