第113話 想いの先には、いつもあなたが


 クリスマスの飾り付けの準備をしながら、つぐみは先日のミーティングを思い出していた。


 節子や山下の一件を通じて、つぐみはあおいと菜乃花の成長を強く感じていた。二人共、何度も何度も心が折れそうになったことだろう。彼女たちを励ましていた自分でさえ、袋小路に迷い込んだような気になり、挫けそうになった。だが彼女たちは、そんな自分の言葉に奮起し、立ち上がってきた。


 介護に正解はない。


 なぜなのか。対象となる相手によって、対応が違うからだ。

 介護職の対象は、あくまでも人間。機械が相手なら、マニュアルを作りそれに沿って作業すればいい。だが人となると、そうはいかない。

 この人が成功したからといって、別の人にも通用するとは限らない。そういう意味では自分もまた、あおいたちと同じく、試行錯誤を繰り返すしかなかったのだ。違う点があるとすれば、彼女たちよりも経験が長く、それなりに対応策を心得ているということぐらいだった。


 それでも自分も人間、心が折れそうになる時もある。

 しかしそういう時、つぐみの前には必ず直希がいた。

 直希も自分と同じ無力な人間だ。だが直希はそんな中でも、いつも希望を捨てず、自分の理想に向かって走り続けている。

 自分の手が届かない所にまで、直希が行ってしまわないように。そう思い、つぐみは歯を食いしばって直希の後を追い続けた。


 ――直希がいたからこそ、今の自分もあるんだ。


 そう思った時、再びつぐみの脳裏に、あおいを愛おしそうに見つめ、抱きしめている直希の姿が蘇った。


「はぁ……」


 大きなため息をつき、つぐみが手を止めた。


 あおいは本当に強くなった。元々楽天的で明るく、物事を諦めない芯の強い子だと思っていた。

 しかし彼女は、絶望的な状況からも逃げることなく、そして節子の信頼を勝ち取った。

 今回の件は、あおいの尽力がなければ、とてもじゃないが解決出来たとは思えなかった。


 その原動力は何なのか。


 そこまで考えて、つぐみは自虐的な笑みを浮かべた。

 決まっている。直希の存在があったからだ。

 恐らくあの日の涙は、節子の問題で答えが見つからず、直希に弱音を吐いてしまってのことだったのだろう。

 そこで直希から、あおいが一番欲しいと思っている言葉をもらえた。

 だから彼女は、もう一度頑張ろうと思えたのだろう。


 あの日を境に、あおいの直希を見る目が変わったように感じる。

 これまでよりも更に強く、深く直希のことを信頼している。そして……


「あれは恋する乙女の目よね……」


 そう言って、またため息をついた。

 あおいが直希に好意を持っているのは分かっていた。しかしそれは、恋心というより憧れに近い物のように思えていた。

 しかし最近のあおいは、明らかに直希を意識している。

 そして直希もまた、あおいのことを……

 そして自分は……


「駄目駄目、ちょっと気分転換でもしよう。こんなんじゃ、いい飾り付けも出来ないわ」


 頭を振って立ち上がると、靴を履いて庭へと足を向けた。




「……」


 冷たい風が心地よかった。

 空を見上げると、真っ青に透き通った空が広がり、少しだけ気持ちが落ち着くような気がした。


「あおいはあおい、私は私。私は今、自分に出来ることを精一杯頑張る。だってこれは、直希の心の問題なんだから……私がいくら悩んだって、どうしようもないことじゃない」


 自分に言い聞かせるようにそうつぶやき、つぐみは両手を広げると、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


「気持ちいい……」


 暗い顔をしていると、物事もそういう方向に向かって行く。笑顔でいると、自然と物事も楽しい方向へ向かって行く。


 そう思い、つぐみは空に笑顔を向けた。


「私らしく……さあ、もうひと踏ん張り」





 学校の帰り道。


 川合美咲と別れた後で、菜乃花は一人、電車の中で考えていた。

 直希とあおいのことを。


 節子の問題がひと段落した頃から、菜乃花はずっと考えていた。

 二人に何があったのかを。

 最近の二人は、前にも増して親密になっているように感じていた。

 特に何が、という訳ではない。他の人が見れば、何も感じることはないだろう。

 しかし菜乃花は二人の間に、自分が入り込めないような強い絆が生まれていることを感じていた。


 言葉にしなくとも分かり合える関係。


 直希もあおいも、お互いに何を求めているのかを察知し、それをあらかじめ準備している。仕事でもプライベートでも。それは余りにも呼吸が合っていて、自然な動きになっていた。


「なんだかもう……夫婦みたいだよね、直希さんとあおいさん……」


 流れる景色を眺めながら、菜乃花がため息をつく。




 直希に告白して、二か月が過ぎようとしている。

 あの日、勢いとはいえ、生まれて初めて異性に告白をした。

 だが、菜乃花が心の中で大切に育ててきたその想いは、直希に届くことはなかった。


 あの日、直希の前で強がって見せたが、心はボロボロになっていた。

 告白しなければ、その想いは自分だけのものだ。誰に侵されることも、否定されることもない。

 だが告白してしまえば、その想いに答えが言い渡される。

 そして結果、自分の想いは直希によって否定された。

 はっきりと、直希の横に立つのは自分ではないと否定された。

 それがどれだけ残酷な事実だろうと、受け入れるしかなかった。そしてそう思うと必ず、なぜ告白してしまったんだと、あの日の自分を恨めしく思った。


 直希の中にいる、気になる女性。

 それが誰なのかは分からない。でも今、あおいとの親密な関係を見ていると、もう答えが出てしまっているのではないか、そんな風に考えてしまう自分がいた。


 でもまだ、自分は諦めた訳じゃない。

 諦められない。

 このままじゃ終われない。私の初めての恋、これだけは誰にも譲れない。

 そう思い再び窓に目をやると、難しそうにしている自分の顔が映っていた。


「……」


 こんな顔をしていたら駄目だ。こんな顔だと、やってくる幸せも逃げてしまう。


「駄目だよ菜乃花、弱気になっちゃ駄目。まだ終わってない、終わらせない……私は直希さんのこと、諦めないんだから」


 そう言って窓に向かい、大袈裟に笑顔を作った。





 あおいは一人、海に来ていた。

 静かな海を見つめながら、時折吹く冷たい風に身を震わせる。


「直希さん……あおいは……風見あおいは、あなたのことが大好きです……」


 白い息を吐き、両手を擦り合わせる。


「でも……直希さん……私なんかが直希さんのこと、好きになってもいいんでしょうか……私は半人前のヘルパーで、そして……風見の家から逃げているだけの、ただの家出少女なんです……

 でも……でも……直希さん……私は……風見あおいは、どれだけ考えても……あなたのことが大好きなんです……あおい荘に……あなたのそばにずっといたいです……

 直希さん……あなたを愛しても……いいですか……」

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