第94話 大西節子
あおい荘の正面玄関に、一台のタクシーが止まった。
「着いたようね、直希」
「ああ。じゃあみんな、玄関までお迎えに行こう」
「はい!」
スタッフ会議の翌日、直希たちは入居者を集めて、大西節子の入居に関しての説明を行った。
プライバシーを損なわないよう気を付けながら、直希は丁寧に大西の状態を伝えた。話を聞いていく中で、山下や小山、そして栄太郎も複雑な表情を浮かべていた。
「それで、なんですけど……みなさんの中で、例え一人でも大西さんの入居に反対ということであれば、この話はなかったことにしようと思ってます。今の話を聞いた上で、みなさんの正直なお気持ちを聞かせてほしいのですが……と言っても、ここで反対というのは言いにくいと思いますので、後でお一人ずつ、俺の方から答えを聞きに行こうと思います」
そう言って締めくくろうとした直希に向かい、生田が声を上げた。
「私は……直希くん、それにスタッフのみなさんが出した答えなら、構わないと思う。ここは確かに、自立した高齢者の為に作られた物かもしれない。しかし私たちだって、いつその方のようになるかも知れない。だがそうなったと言っても、君たちは私たちを無下に退去させてしまったりしないだろう。そういう意味で直希くんたちは、あおい荘が次のステージに上がれるか、それを見定めようとしているように思えるんだ。
それに……私はこのあおい荘が、人を選別するような場所になってほしくないと思っている」
「生田さん……ありがとうございます」
「直希ちゃん、私も同じ意見よ」
「山下さん……」
「話を聞いて、本当は少し怖いの。でもね、直希ちゃんたちが私の為に、いつも真剣に向き合ってくれてることを思い出したら……そう思ってしまう自分が恥ずかしくなってしまったわ。ここはあおい荘、私たちの大切な家なの。新しい家族が増えるんだもの、嬉しいことに決まってるわよね。それに直希ちゃんたちなら大丈夫、きっといい方向に向かうと思うわ」
「ありがとうございます、山下さん」
「だが……直希、本当に大丈夫なのか」
「じいちゃん、心配してくれてありがとう。でも俺、さっき生田さんが言ってくれたように、人を選別してここを守っていく、そんな風に考えたくないんだ。勿論、自立されてる方ってのは基本だけどね。
じいちゃんばあちゃんには心配ばっかかけるけど、俺のわがまま、聞いて欲しいんだ」
「ナオちゃん、私も賛成よ」
「小山さんも……ありがとうございます」
「考えてみたら、私はこのあおい荘に入る資格がなかった」
「おばあちゃん、そんなこと」
「うふふふっ、ありがとう菜乃花。でもね、ここが自立した高齢者向けの施設である以上、車椅子生活の私はそうなってしまうのよ。
でもね、ナオちゃんはそんな私と、何度も何度も面会を重ねてくれた。そして私が、車椅子を必要としない生活に戻れるって信じてくれた。まだね、一人で歩くのはちょっと難しいけど……でも介助があれば、自分の足で歩けるようになってきたの。だからその……大西さん、という方のことも、ナオちゃんの中で可能性を感じたんだと思うわ。だから私も賛成よ」
「わしもじゃな。反対する理由はないじゃろて」
「西村さん」
「ほっほっほ。ここに
「また西村さんは、そんな適当に」
「山下さんは本当、厳しいのぉ」
「でもまあ、今日は許してあげるわ」
「ほっほっほ」
「ナオちゃん」
「ばあちゃん……どうかな」
「私が心配するのは、あなたたちのことだけよ。あなたがそう決めて、行動する。そこに口を挟むなんてこと、私がする訳ないでしょ。だからね、ナオちゃん。それからつぐみちゃん、あおいちゃん、菜乃花ちゃん。無理だけはしないでおくれ。困ったことがあったら、いつでも私たちに言っておくれよ」
「文江おばさん……ありがとうございます」
「ありがとうばあちゃん。みなさんも本当に、ありがとうございます」
タクシーから降りた娘の安藤美智恵が、車内に手を差し伸べる。その手を握って出て来た大西節子は、外に出ると同時に娘の腕にしがみついた。
「さあ、お母さん。着きましたよ」
そう言ってあおい荘の門をくぐる。大西は安藤がうまく歩けないほどにしがみつき、うつむいていた。
「こんにちは、節子さん。それに安藤さんも、お久しぶりです」
「節子さん?」
あおいが、直希の口から出た名前呼びに思わず声を出した。
「ああ、言ってなかったね。大西さんはね、苗字で呼ばれることが好きじゃないみたいなんだ。だから特例で、大西さんに対しては名前で呼んであげて欲しいんだ」
「そうなんですね、分かりましたです」
「こんにちは、新藤さん。この度は母のこと、本当にありがとうございます。ご迷惑をかけることになると思いますが、どうかよろしくお願い致します」
「こちらこそ、よろしくお願い致します。節子さん、あおい荘にようこそ」
そう言って直希が手を差し出す。その動きに大西は一瞬とまどったが、直希の顔を見上げると、娘から手を離し、直希にしがみついた。
「ははっ……よろしくお願いしますね、節子さん」
「……」
その様子を見てあおいたちは、直希が言っていたほど大変なことはなさそうだ、そう思った。
確かに新しい環境に怯えているようだが、直希にしがみつく姿に、微笑ましさを感じた。
「……そばにいて」
「ええ、大丈夫ですよ。今日からここが、節子さんの新しい家です。俺たちもここに住んでます。だからみんな、一緒ですよ」
「そばにいて」
「ええ、そばにいますよ」
「節子さん、初めましてです。私は風見あおいと申しますです、どうかよろしくお願いしますです」
「あ、その……小山菜乃花です。よろしくお願いします」
二人が節子の前に跪き、笑顔を向けた。
その時だった。
「きゃっ……痛い、痛いです節子さん」
「あ……あおいさん!」
節子があおいの髪をつかみ、力任せに引っ張った。
「節子さん痛い、痛いです。お願いです、離して下さいです」
「お、お母さん、落ち着いて」
安藤が節子に声をかける。菜乃花も慌てて間に入り、手をほどこうとした。
そして節子の顔を覗き込んだ菜乃花は、ぞっとした。
――節子は、まるで仇でも見ているかのような顔で、あおいを睨みつけていた。
「せ……節子さん、とにかく手を……」
そう菜乃花が訴えた瞬間、節子はあおいの髪から手を離し、菜乃花の頬を力いっぱい張った。
「……え……」
つぐみが慌てて、節子から菜乃花を引き離した。
菜乃花は涙ぐみながら、ひりひりと痛む頬に手をやる。
あおいは呆然とした眼差しで節子を見ている。
「直希……これは思ってた以上に大変よ……」
「……だな」
母の暴挙にとまどい、何度も頭を下げ「すいません、すいません」と謝る安藤の声が虚しく響く中、節子は直希の腕をつかんだまま、無言であおいと菜乃花を睨みつけていた。
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