第92話 相談


 その日の夜、直希の部屋にてスタッフ会議が行われていた。

 テーブルを囲んでつぐみ、あおい、菜乃花が座り、直希の言葉を待つ。


「ごめんね、いきなり呼び出しちゃって」


「いえいえ、直希さんはいつも忙しそうにされてますです。こういう時でないと、私たちもゆっくり直希さんとお話することが出来ません。どうかお気になさらずに……って、直希さん直希さん、ひょっとしてまた私、何かしましたですか」


「いやいや、あおいちゃんのことじゃないから、心配しなくていいよ」


「そうですか……よかったです」


「と言うか、最近はあおいちゃん、ミスなんて全くないと思うけど。ここに来た頃と比べても、すごい成長だよ。あおい荘の業務、ほとんど安心して任せられるようになったんだから」


「料理以外は、だけどね」


「こらこらつぐみ、そこで茶々を入れないの」


「はいはい、ふふっ」


「それで……なんだけどね、実はここしばらく、色々と動いていたんだけど」


「そう言えばそうでした。直希さん、よく外出されてましたです」


「やっぱりその……あおい荘に関係あることだったんですね」


「うん。実はね、あおい荘に新しい入居者さんを入れようと思ってるんだ」


「新しい」


「入居者さん」


「うん。みんなに黙って動いてたのは悪いと思ってる。でも今回の入居者さんは、ちょっと今いる入居者さんとは傾向が違うと言うか……だから俺なりに色々調べてたんだ。後、東海林先生にも」


「つぐみさんのお父さんに……ですか」


「うん。だからまあ……つぐみは知ってるんだけどね」


「そうなん……ですか……」


 菜乃花がつぐみを見る。つぐみは直希の言葉に小さく息を吐くと、あおいと菜乃花を見て言った。


「二人にだけ黙っててごめんなさい。今回はちょっと特殊なケースだったし、もしお父さんも反対したら、直希も諦めるって言ってたの。だからある程度の目処が立つまでは、二人にいらない心配をかけたくなくて言わなかったの」


「決して、あおいちゃんと菜乃花ちゃんをのけ者にしようとした訳じゃないんだ。それは信じてほしい」


「分かってますよ、直希さん、つぐみさん」


 そう言って菜乃花が笑った。


「私たちと直希さんたちとでは、背負ってる物も責任も違います。勿論立場も違います。何から何まで私たちに相談してたら、前に進む物も進まなくなってしまいます。つぐみさんもその……気にしないでくださいね」


「ありがとう、菜乃花……」


「ですです。私と違って直希さんやつぐみさんは、たくさんのことを考えなくてはいけないのです。私たちに余計な気苦労をかけないようにとの心遣い、感謝こそすれ嫌な気持ちになんてならないです」


「ありがとう、あおいちゃん」


「それで、その……新しい入居者さんのことなんですが、何か問題でもあるんですか?東海林先生に相談されたということは、何かご病気でも」


「菜乃花、それにあおい。先に言っておくけど、今回の会議は報告じゃないの。あくまでも二人への相談。だからもし反対なら、遠慮せずに言って欲しいの。直希はね、あおい荘の中で一人でも反対な人がいれば、この話はなかったことにするって言ってるから」


「直希さん、それ……本当なんですか」


「うん。今日の会議までに、色々悩んだんだ。つぐみとはそれこそ、喧嘩にもなった。俺が今回入れようとしている人は、それぐらい判断が難しいんだ。だからつぐみが言ったように、全員の賛成がなければ、俺も諦めるつもりでいる」


「介護度が高いとか、そういうことなんでしょうか」


「いや、特にそういうことじゃないよ。ここはあくまでも高齢者専用の集合住宅で、基本的にADL(日常生活動作)がしっかりされてる方の入居しか受け付けてないから」


「じゃあ……何が問題なんでしょうか」





「大西節子さん、74歳。ADLは完全に自立していて、基本ご自分で何でも出来る。家族構成は娘さんが一人。旦那さんは既に亡くなられている。

 娘さん、安藤美智恵さんには子供さんがいるけど、成人して独立されている。安藤さんにご主人はいなくて、大西さんと母娘で一緒に生活されていた」


「……されていた、と言う事は、今は違うのですか」


「うん。今はグループホームに入られている」


「と言うことは、認知症の方」


「そこの判断が難しくてね、色々と調べていたんだ。それと東海林先生の診察と、判断を仰いでいたんだ。

 症状があるのは間違いない。でも俺が会った限りでは大西さん、そこまで深刻な認知症ではないと感じた。半年ほど前、突然支離滅裂なことを言う様になって、娘の安藤さんがパニックになった。慌てて病院に連れて行ったんだけど、脳の血管に異常が見つかった」


「脳に……ですか」


「うん。簡単に言えば、血が詰まっちゃったってことかな。それで大西さん、その時から性格が変わっちゃったんだ。元々穏やかな人だったらしいんだけど、誰に対しても暴言を吐くようになって、言い方は悪いけど、人が変わったように凶暴になってしまった。そして異食。自分の排泄物を口にすることもあったようだよ。突然そんな風になってしまった母親を見て娘さん、かなりショックを受けたみたいなんだ。

 入院している時も、医者や看護師に対して暴力を振るうこともあってね、やむを得ず入院中は、娘さんの許可を得て拘束せざるを得なかったようなんだ」


「そんな……」


「退院してからも状態は安定せず、娘さんは家から出ることが出来なくなってしまった。家の中で、不穏な状態の母親と生活を続けていた。でも、そんな生活が長続きするはずがない。やむを得ず娘さん、グループホームへの入所を決意されたんだ。それが三ヶ月前の話」


「……」


「でもね、グループホームでも大西さん、スタッフや他の入居者さんと馴染めずに、問題ばかり起こしていたらしい。暴力を振るうこともあったようだ。そんなある日娘さんが面会に行った時、大西さんの姿に驚いたんだ」


「何が……あったんですか」


「顔がかなり浮腫むくんでいたようだよ。何でも話によると、薬の副作用らしい」


「副作用?」


「簡単に言えば、精神安定剤の過度な投薬。それで暴れる大西さんを抑え込んでたみたい」


「精神安定剤……まさか、施設の方が勝手にですか」


「いやいや、流石にそれはないよ。今までそういった薬を服用してなかったんだから、当然娘さんの方に連絡がいった。その時は娘さん、施設に迷惑をかけているのを知っていたので、少しでも落ち着いてくれるならと、了承したみたいなんだ。でもいざ会ってみたら、顔も手もパンパンに腫れ上がっていて、呂律ろれつもまわってなかった。要するに施設は、薬の了解を得たものだから、大人しくさせるためにかなりの量を服用させてたみたいなんだ」


「そんなこと……許されるのですか」


「菜乃花、辛い話でごめんなさいね。でもね、施設によってはそういう方針の所もあるの。何と言っても共同生活で、他にも入居者さんはいる。その人たちの生活を守る為に、そういう判断をすることもあるの。ただ私は……余り好きじゃないけどね、そのやり方」


「私もその……ちょっと違う気がします。話を聞いていると何だか、薬で大人しく、と言うか眠らせているだけのように思います。それって、介護施設として違う気がします」


「……以前にも言ったと思うけど、介護の世界は本当に広くて、奥が深い。そして何より、闇の部分もあるんだ。悲しいことだけどね。みんながみんな、入居者さんの笑顔の為に頑張ってるとは言い難い、そんな施設があることも事実なんだ。それに……スタッフも人間なんだ。例え仕事とは言え、毎日毎日暴言と暴力にさらされて、それでも笑顔で入居者さんの為に頑張る、なんてことが難しい時もあるんだ。スタッフを守る為に、そういう決断をする施設があるのも事実なんだ」


「……」


「それで娘さん、かなりショックを受けてね、別の施設を探し始めたんだ。そうしてたどり着いたのがここ、あおい荘」


「よく……見つけられましたよね。あおい荘って、ホームページはありますけど、特に宣伝してる訳でもないですし……」


「たまたまこの街に立ち寄ったことがあってね、人の話から知る事になったみたいなんだ」


「そうなんですね……なんだか、不思議な感じです。まるで」


「あおい荘に入ってくることを運命づけられてた、みたいな?」


「あ、はい……」


「俺もそんな気がしたんだ。それにここは介護施設じゃない。なのに娘さん、安藤さんはここにたどりついた。何度か近くまで来て、ここの様子を見てたみたいなんだけどね、毎朝庭でやってるラジオ体操やリハビリ、そして何より、入居者さんたちが仲良く笑いながら生活しているのを見て、どうしてもここにお母さんを住ませたいって思ってくれたんだ」


「それで、その……東海林先生はなんて」


「それは私から説明するわ。と言うかあおい、大丈夫?さっきからずっと黙ったままだけど」


「……」


「あおい?」


 つぐみが肩に手をやると、あおいは体をビクリとさせた。


「あ……ごめんなさいですつぐみさん。なんでしょうか」


「あなた……大丈夫?顔色、少し悪いわよ」


「い、いえ……大丈夫です。ごめんなさいですみなさん、どうか続けて下さいです」


「……」


 あおいの様子に違和感を感じながら、つぐみは言葉を続けた。

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