第12章 大いなる試練
第91話 新たなる同盟
「毎度―っ、不知火でーす」
あおい荘の玄関先で、明日香の元気な声が響き渡った。
「明日香さん、お疲れ様です」
その明日香を、食堂から菜乃花が迎えた。
「なのっちもお疲れ」
「なのっちー、こんにちはー」
「こんにちはー」
「みぞれちゃんとしずくちゃんも、こんにちは。お母さんのお手伝い?」
「そうー。お手伝いー」
「お手伝いー」
「偉いね。二人共、もう立派なお姉ちゃんだね」
そう言って二人の頭を撫で、菜乃花が笑った。
「今、なのっち一人なのかな」
「あ、はい。直希さんはお出かけで、あおいさんは入浴の見守り中。つぐみさんは東海林医院で、もうすぐ帰って来るかと」
「そうなんだ。いやしかし……なのっちが一人でお留守番とは、いやはや成長したもんだよね」
「ええ?そうですか」
「以前のなのっちなら、残念だけど一人でお留守番、なんてのは無理だったんじゃないかな。一人でいる間に誰かが来たらどうしよう、そんなことを考えながらビクビクと……なんて絵が浮かんじゃったんだけど」
そう言って意地悪そうに笑う明日香に、菜乃花が恥ずかしそうに頬を膨らませた。
「何ですかそれ、明日香さんったら」
「あはははっ、ごめんごめん。それよかさ、今一人なんだよね。それじゃあちょっとだけ、お邪魔してもいいかな。久しぶりにお姉さんと、お話ししない?」
明日香の誘いに、菜乃花は嬉しそうにうなずいた。
「こらこらあんたたち、あんまりはしゃがないの」
「はーい」
「はーい」
「全く……聞いちゃいないんだから」
「はい、明日香さん。お茶、置いておきますね」
「ありがとう、なのっち。しっかし何だね、アオちゃんたちがいないと本当、ここって静かだよね」
「そうですね、私も高齢者専用住宅だってこと、忘れてしまいそうなぐらい、ここはいつも賑やかですから」
「だよねー。最初にここに来た頃には、こんなに賑やかになるなんて思いもしなかったよー」
「本当、そうですよね」
「それで?ダーリンはどこに行っちゃってるのかな」
「それが……私たちも知らないんです。ただその、最近よく出かけてて……近い内に説明するって言ってくれてはいるんですが」
「そうなんだ……ダーリンのことだから、仕事のことか、あるいはまた自分から厄介事をしょいこもうとしてるのか」
「厄介事……ですか?」
「そう、厄介事。ダーリンってば、わざわざそういうお荷物を回収してくる所、あるからね」
「確かに……そう言われてみると、ちょっと不安になってきます」
「でもまあ、そこがダーリンのいい所でもあるんだし。何て言うのかな、困ってる人がいると助けないと死んでしまう、みたいな?それでそういう所に、あたしたちは惚れたんだしさ」
「そうですね……って、明日香さん?」
「ふっふーん。お姉さんは何でもお見通しだよ。なのっちあんた、ダーリンと何かあったでしょ」
「え?え?何でそんな」
「そんなの見てたら分かるよー。だってなのっち、あの頃より綺麗になったし、何といっても生き方が前向きになったもん」
「そう……でしょうか」
「それでそれで?ほんとの所はどうなのよ。ダーリンに告白の一つぐらい、ぶっかましてやったの?」
「ぶっかましたってそんな……はい、告白しました……」
「やっぱりー!お姉さんの予想、当たっちゃったー」
「でもその……振られちゃいましたし」
「はっきりと?」
「はい……それはもう、見事に……」
その言葉に、明日香が笑顔で菜乃花の頭を撫でた。
「明日香……さん?」
「うんうん、なのっちもいい青春を送ってるようで、お姉さん安心したよ。それにほら、これで振られた者同士、仲間が出来たって言うかさ」
「仲間って……明日香さんも振られちゃったんですか?」
「まあ私の場合は、うまい具合にはぐらかされちゃったって感じなんだけどね」
「そうなんですか」
「私は告白からして、ミスっちゃったからね」
「ミス……ですか」
「みぞれとしずくの父親になってほしいって言ったの」
「……」
「そしたらダーリン、父親ってのはともかく、二人のことは本当に大切に思ってますよって」
「あ、それ……直希さんらしいです」
「でしょ?こっちはプロポーズのつもりだったのに、ダーリンってば言葉通りにしか聞いてくれてなかったのよ」
「ははっ……」
「まあでも、こんな関係もいいかなってね、私も思ってたんだ。それに時間はたっぷりある、これからじっくり距離を縮めて、いつか
「はい……そうなんです。いつの間にか……」
「こんなにライバルが増えちゃって……」
「はあっ……」
「はあっ……」
二人同時に大きな溜息をついた。
「今のダーリンは、毎日が忙しくて楽しくて、恋愛なんかに興味がないんだよね」
「それは……」
「何?なのっち、何か知ってるの?」
「あ、いえ……知ってるとかじゃないんですけど、その……直希さん、確かに私が告白した時も、恋愛をする気がないって言ったんです。でもその……私、聞いたんです。直希さんの中に、気になる女性はいないのかって」
「それで?ダーリンは何て言ったの」
「答えてはくれませんでした。でもその……私、分かっちゃったんです、あの時の直希さんを見て……直希さんの中には、気になる女性がいるって」
「……」
「それ以上は聞けませんでした。だって、それが私じゃないってことは分かりましたから」
「そっかぁ。ダーリンの中に、そんな人がいるんだ」
「明日香さん、これってその……どう思いますか」
「私もね、ダーリンのことを全部知ってる訳じゃない。交友関係も分からない。でも、ずっとダーリンを見てきたけど……ダーリンの生活はここにしかないと思う」
「あおい荘……ですか」
「うん。それ以外にダーリンの世界はないと言っていい。そう考えると、答えは絞られるよね」
「やっぱり……そうなりますよね……」
「私たちみたいないい女が目に入らないぐらい、いい女って言ったら」
「……つぐみさんか、あおいさん……」
「だよね。幼馴染か最終兵器か」
「……直希さん、本当にそうなんでしょうか」
「う~ん……私もね、この前親父が来た時にさ、それなりに探りは入れてみたんだよね。で、思ったのはアオちゃん」
「あおいさん……」
「アオちゃんの話をしてる時のダーリン、明らかに変だったから。何て言ったらいいのかな、意識してその話題を避けてるって言うか、あえて平静を装ってるって言うか」
「……それって何だか、私たち学生みたいな意識の仕方ですね」
「ダーリンってば、女に対する免疫が全く出来てないからね。その表現は間違ってないと思う」
「ふふっ……明日香さん、ひどい」
「後はつぐみんだけど……まあ子供の頃からずっと一緒だった訳だし、あたしたちが知らない思い出や絆って物も、あの二人にはいっぱいあるだろうし」
「ですよね……」
そう言って、再び大きな溜息をついた菜乃花の背中を、明日香が景気よく張った。
「きゃっ……あ、明日香さん?」
「そんな溜息つかないの。どっちにしたって、ダーリンもまだ答えを出してない。と言うかダーリンのことだから、何かきっかけでもない限り、それ以上進展しないってことだって有り得る。そうならまだ、あたしたちにだってチャンスはあるよ」
「チャンス……」
「そう、チャンス。だからなのっち、振られた者同士、同盟といこうよ。二人で色々計画を練って、ダーリンと今以上に親密になれるよう、協力しない?」
「同盟……ですか」
「なのっちは嫌かな」
「あ、いえ、その……私にとって、つぐみさんやあおいさんも大切な仲間なんです。だからその……」
「じゃあなのっちは、このままどちらかが選ばれるの、指をくわえて見てるつもり?ひょっとしたらワンチャン、あるかもしれないのに」
「ワンチャン……あるんでしょうか」
「あるか、じゃなしに作るのよ、あたしたちで。いい?恋は戦いなんだからね、そんなお人よしなこと言ってたら、回ってくるチャンスも回って来ないよ?今は女も動く時代。二人でダーリンの心、盗みに行こうよ」
「そう……そうですよね、分かりました。明日香さん、よろしくお願いします」
「同盟成立、だね。よーし!これから二人でダーリンの心、鷲づかみにしてやろうじゃないの」
「はい!よろしくお願いします!」
そう言って握手した二人は、再び笑い合った。
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