第89話 強さの意味
「あと……すいません生田さん、もう一ついいでしょうか」
「……ああ」
「台風の日、私その……直希さんと色々お話しすることが出来たんです。それで……その中で、自分の中でよく消化出来てないことがあるんです。お聞きしてもいいですか」
「ああ。うまく答えられればいいが」
「私……これからどうすればいいんでしょうか」
「……」
「私……みんなの視線が耐えられなくて、最終的にその……逃げてしまいました。これからどうしたらいいのか分からなくて、帰ってからずっと考えてました。でも……いくら考えても、悪い方悪い方にばっかり考えてしまって……」
「……3つかな。俺が菜乃花ちゃんにお願いしたいことは」
「3つ……ですか」
「うん。まず1つ目は、ちゃんと食べて、毎日お風呂に入ること。そして2つ目は、一日一回でいいから外に出ること。そして3つ目は」
「……」
「笑顔でいること」
「え……それだけ、なんですか」
「うん、それだけ。もっと言って欲しかったかな」
「いえ、その……私、学校に戻るべきだとか、実行委員、負けずに頑張れとか、そういうことを言われると思ってたので」
「そうだね、そういう人もいると思う。でも俺は、この3つだけ。まず……1つ目は分かるよね、ちゃんと食べてお風呂に入る」
「はい……昨日、明日香さんにも言われました」
「生きていく為の基本だからね、食べるってのは。それと、身だしなみは整えてほしい。でないと、どんどん気持ちが腐っていくから」
「はい」
「そして2つ目、外に出る。まあ最初は、あおい荘の庭からでもいいと思うよ」
「庭……そんなのでもいいんですか」
「うん。でもね、人によったら、それでも出来ない人がいるんだ。その一歩が怖くて、どうしても前に進めない人がいる。しかもその期間が長くなればなるほど、どんどん出れなくなっていく。そういう人たちは、例え庭先に出ることだけでも、ものすごい勇気と決意がいるんだ。自分が当たり前に出来てることでも、人によったら大変なこともある。だから、その人が努力して挑戦する姿、本当に尊敬するし、すごいことだと思ってる。そして3つ目の笑顔。これが一番大事」
「一番大事……」
「うん。菜乃花ちゃん、今言ったよね。自分は逃げて来たって」
「……はい、言いました」
「俺はね、逃げることが悪いと思ってないんだ」
「え……」
「多分、今の菜乃花ちゃんの中には、強烈な自己嫌悪の気持ちが渦巻いてるんだと思う。みんな頑張ってるのに、私には出来なかった、耐えられなかった、逃げてしまったって」
「……はい、その通りです」
「でもね、逃げることが悪いなんて、誰が決めたんだろう」
「……」
「戦って前に進もうとする姿は、確かに美しいし立派だと思う。でも、俺たちはただの人間なんだ。一人では何も出来ない、ちっぽけな存在なんだ。いつもいつも戦えるとは限らない。
時にはそこから逃げることも、その大きな問題を解決するための最良の策になることだってある。大体逃げることを否定してしまったら、この世界の生物、ほとんどが死滅してしまうよ」
「死滅……ですか」
「うん。例えば草食動物。彼らは肉食動物が襲ってきた時、戦いを挑んだりしないだろ?」
「はい……確かに、それはそうですけど」
「彼らにとって、それが最良の選択なんだ。言ってみれば、自分の身を守るための戦いなんだ。そう思わないかな」
「ちょっとその……極端な例えだとも思いますけど」
「ははっ。じゃあ介護の話にしてみようか。菜乃花ちゃんが入居者さんを怒らしちゃった。菜乃花ちゃんがいくら謝っても許してくれない。それどころか、謝れば謝るほど、入居者さんが怒っちゃう。こんな時、菜乃花ちゃんならどうする?」
「あ、その……他の誰かを呼ぶ……でしょうか」
「正解。多分菜乃花ちゃんは真面目だから、何とか自分で解決しよう、落ち着いてもらおう、そう考えると思う。でもね、そういう場合には無理をせず、別のスタッフを呼ぶのが一番いいと言われてるんだ。
自分が怒らせたんだから、自分が何とかしなくちゃいけないって言うのは、言ってみればスタッフの都合になってるんだ。その時の一番の目的は、入居者さんに落ち着いてもらうこと。だからね、そういう場合は無理をせず、他のスタッフに任せるのがいいと言われている。でも菜乃花ちゃんは多分、問題から逃げたって思ってしまうんじゃないかな」
「……思ってしまうかも……しれません」
「要は目的と手段を、冷静に考えるってことなんだ。目的が入居者さんに落ち着いてもらうことである以上、菜乃花ちゃんは頭の中に様々な選択肢を用意する必要があるんだ」
「……」
「それは逃げることじゃない。目的の為の手段なんだ。
常に目的が何かを考え、冷静に行動する。あの時、菜乃花ちゃんは嫌がらせを受けて、精神的に追い詰められていた。それでも我慢して、耐えて頑張る。それはそれですごいことだと思う。でもね、人にはそれぞれ、キャパがあるんだ。そのキャパを超えてしまったら、その人の精神が壊れちゃう。
菜乃花ちゃんはその寸前までいったんだ。だから菜乃花ちゃんの心が、菜乃花ちゃんを守る為に、こういう行動に出た。それは何も間違ってないし、非難する人がいるとしたら、ちょっと違うと思う」
「……ありがとう、ございます」
「で、ここからが本題。3つ目の笑顔になるんだ。菜乃花ちゃんは、自分を守る為の最善の方法として、学校に行かないという決断を下した。それなのに、菜乃花ちゃんはずっと部屋で泣いていて、マイナス的なことばかり考えてしまってた。
折角菜乃花ちゃん、自分の為に行動を起こしたのに、それで苦しんでいたら本末転倒だと思う。自分が決めた行動に自信をもって、堂々と学校をさぼればいいんだ。今はすり減ってしまった心の充電をするんだって、のんびりくつろぐべきなんだ。それこそ街にでも出かけて、遊んでもいいんじゃないかって思ったよ、俺は」
「……直希さんの考え方……そんなこと、初めて聞きました」
「俺はね、菜乃花ちゃんが学校に行かないって言ったら、それでもいいと思ってた。どっちにしたってもうすぐ卒業だし、学校に無理して行くことだけが、人生の選択じゃないと思ってるから」
「……」
「行けるならもう少しだし、卒業出来るに越したことはないよ。でも、もし出来なかったとしても、それで菜乃花ちゃんの人生が否定される訳じゃないんだ」
「そう……でしょうか」
「うん。人生、人の数だけ歩み方がある。常識に縛られる必要もないし、自分が真剣に考えた結果なら、俺は構わないと思ってる。勿論、これは18歳の菜乃花ちゃんにだから言うことだけどね。流石に小学生相手には、こういうこと言わないけど」
「……」
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