第88話 人の心
クラスメイトたちが、直希とあおいのテーブルを取り囲むように集まり、二人が食べる様を呆然と見ていた。
「はい、おかわり下さい」
「あ、は、はい。どうぞ、直希さん」
「ありがとう、菜乃花ちゃん。しかしここの焼きそば、おいしいね。海で食べた焼きそばを思い出しちゃったよ」
「あ、ありがとうございます。それでその……直希さん、大丈夫ですか」
「うん、まだ大丈夫かな。この調子なら、あと10人前はいけると思うよ」
「そうなん……ですか……直希さん、本当に食べれるんですね」
「大先生にはかなわないけどね」
そう言って、直希が笑った。
「むぐむぐ……むぐむぐ……お、おかわりお願いしますです!」
「は、はい!どうぞ!」
「ありがとうございますです……むぐむぐ……むぐむぐ……」
皆が、あおいの食べっぷりに言葉を失っていた。
調理場が間に合わないほどのペースで、あおいが次々と焼きそばを平らげていく。
そしていつの間にか、周りに集まった生徒たちから、二人への声援が生まれていた。
「頑張れー」
「ははっ、すごいな、このお姉さん」
「あんなちっこい体の、どこに入ってるんだ」
「俺、見てるだけで腹が膨れてきたぞ」
「おまたせしました!これが最後になります!」
そう言って、残り20食分の焼きそばが運ばれてきた。調理を終えた生徒たちも集まり、皆の視線は直希とあおいへと注がれた。
最後の10食になると、どこからともなくカウントダウンが始まった。
「10!9!」
「むぐむぐ……むぐむぐ……」
「8!7!6!」
「むぐむぐ……むぐむぐ……」
「5!4!3!」
「ご馳走様」
「2!」
「むぐむぐ……」
「1……0!」
「ご馳走様でしたですー」
「やったーっ!1000食、完売したーっ!」
あおいが箸を置くと同時に、教室が割れんばかりの歓声に包まれた。
菜乃花はあおいを抱き締め、「ありがとう、あおいさん」と声を震わせた。
どこからともなく拍手と万歳の声が上がり、あおいは照れくさそうに立ち上がり、「ご馳走様でしたです」と何度も頭を下げた。
「あおいくん、頑張ってくれたんだね」
菜乃花の話を聞いて、生田も嬉しそうに笑った。
「はい。その後で、直希さんとパフェを食べに行ったそうです」
「ははっ。本当に元気な子だね」
「ええ。でも今回は直希さんたちに本当、助けられました」
「いや、今の話を聞く限り、菜乃花くんも頑張ったと思うよ」
「私、ですか」
「ああ……いじめがあった現場で、彼らの為に君は奔走した。園芸部での焼きそば販売も、かなり貢献したのではないかな」
「あ、はい……やっぱり教室に入って食べるより、出店の方がみなさん買いやすいみたいで……半分以上は、園芸部のブースで売れました」
「よく頑張ったと思うよ。今回のことで、君はまた強くなれた」
「……ありがとうございます、生田さん」
「それで、なんだが……その後、教室ではどうなんだろう。まだ嫌がらせは続いているのかね」
「いえ、その……実は文化祭の次の日、吉澤さんに呼ばれたんです」
「君に嫌がらせをした主犯格……あ、いやすまない。仕事口調になってしまった。それで何か言われたのかね」
「はい。どうして私を助けてくれたのかって」
「……」
「だから私、言ったんです。元々は私が実行委員だったのに、私の都合でやめてしまった。だからせめて、自分が出来る範囲で協力したかった、それだけだって」
「……」
「吉澤さん、文化祭の後からクラスでも居場所がなくなってて……役に立たない実行委員だった、しかも自分で誤発注したのに、その後始末も出来なかったって」
「……今度は彼女が、そういう対象になってしまったのか」
「私、気が付いたら言ってました。文化祭は、みんなで協力しあう物で、例えミスがあったとしても、それは一人じゃなくみんなの責任だと思う。こうして大成功で終わった文化祭、吉澤さんも実行委員としての責任を果たしてくれたんじゃないかって」
「そうか……」
「吉澤さん、泣きながら頭を下げてくれたんです。酷いことをしたのに協力してくれて、そしてみんなの前でも私をかばってくれた。ありがとう、それからごめんなさいって」
「……」
生田が微笑みながら、菜乃花の頭を撫でた。
「……生田さん?」
「ああ、すまない……つい撫でてしまった。菜乃花くん、本当によく頑張ったね」
「……私一人では、何も出来なかったと思います。あおい荘のみなさんが私のことを信じて、優しく見守ってくれました。だから私は今、こうして笑顔で外に出ることが出来たんです。もしかしたら、文化祭にも参加出来なかったのかもしれないんですから」
「私も、自分に出来ることをしただけだよ。それはみなさんも同じだと思う」
「生田さん、あのその……一つだけ、お聞きしてもいいですか」
「ああ」
「私、今回のことで思ったんです。吉澤さん、本当はあんなことをするような人じゃないんです。活発で、人当たりのいい子で……確かにその、少し派手な女の子だとは思いますが……
あの後、クラスでもよく話をするようになったんです。私の髪のことも誉めてくれて、そして菜園の修復も、手伝いたいって言ってくれたんです。
なのにどうして、そんな人があんなことをしたのだろうって」
「難しい問題だね、それは……私は仕事柄、人間の闇の部分を多く見て来た。しかし犯罪を犯してしまう人間にも、当然優しい心はあるんだ」
「……」
「人には目標に向かう時、助け合い競い合うタイプと、周囲を蹴落として自分だけが先に進もうとするタイプがあるんだ」
「競い合いと、蹴落とす……」
「結果が同じだとしても、そこまでの過程はまるで違う。それは誰に教えられたものでもなく、無意識の内に出て来るものだと私は思う。人を蔑み、人の不幸を笑う。でもその者たちは、それが悪いことだと気付いていない。きっと周囲に、それを諫めてくれる人がいなかったのだろう」
「……」
「犯罪を犯してしまった者の中には、そういう考えの者が多いように感じた。だから私たちは、その考えでは幸せになれない、しっかりと罪を償って、周囲の人たちと共存する生き方を考えてほしいと訴えた」
「人が持つ善の心を、生田さんは信じてるんですね」
「仕事柄、どうしても人を疑うようになってしまった。だが私は、本来人は善なんだと思っている。だからその善の心に話しかけるんだ。
菜乃花くんの今の話を聞いていても、君に嫌がらせをしていた彼女だって、根っからの悪人ではないようだ。だから今回のことは、彼女のこれからの人格形成において、いい影響を与えたと思う。勿論、被害にあった菜乃花くんは、苦しい思いをしてしまったが」
「いえ、そんなこと」
「人と人は、触れ合って、ぶつかり合って磨かれていく。成長していく。今回のことは菜乃花くんにとって、辛い出来事だったと思う。しかし今の菜乃花くんを見ていると、この経験があったからこそ、今の自分があるんだと笑える日がきっと来ると思える。勝手な解釈で申し訳ないが」
「いえ、そんな……ありがとうございます、生田さん」
「私は何もしていないよ。全て君の決意と行動があったからこそだ。そして、このあおい荘のみなさんのね」
「はい。私、ここに来て本当によかったと思ってます」
「私もだよ、菜乃花くん」
「ふふっ」
「ははっ」
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