第85話 奏ーかなでー
しばらくして、落ち着いたつぐみは顔を上げ、涙を拭いた。
「でもね、直希……私はそんなあなたを、ずっと見て来たの。
あなたはあの日から、人が変わったようになった。あんなにわがままな子供だったのに、聞き訳もよくなって、誰の言うことでも素直に聞くようになった。勉強も真面目にするようになったし、家でもいつもお手伝いしてた。でも……私はあなたが笑ってるところ、あの日から一度も見ていない」
「そんなことないだろ。俺だって、楽しい時は笑ってるよ」
「笑ってないわ。あの日あなたの中に、とても大きなブレーキが生まれたの。楽しい時も、いつも笑ってる自分を俯瞰して、ブレーキをかけていた。何笑ってるんだ、俺は。俺に笑う資格なんてないだろうって」
「……」
「幼馴染を舐めるんじゃないわよ。いくら隠しても分かってるんだから」
「……自分でも自覚してた訳じゃない。でも……よく見てるんだな、つぐみ」
そう言ってうつむき、笑った。
「でも、私は……そんなあなたのこと、ずっと好きだった。私の想いはあの時から……いいえ、あの時以上に強くなってる。ずっとあなたの傍で、いい所も悪い所も見て来た。そして私は……やっぱりナオちゃんのこと、好きなんだって思った……ナオちゃんとこれからも、ずっと一緒にいたい、人生を共に歩んでいきたい、そう思ったの。
直希……好き、大好き……あの頃の私は、好きって言うのがどういうことなのか、よく分かってなかった。でもあの時、あなたを望んだ気持ち……それは間違ってなかったって思ってる……私はこれからもずっと、あなたの隣に立っていたいの……」
そう言ってつぐみが目を閉じ、直希に顔を近付ける。
つぐみの吐息が間近に迫る。このまま身をゆだねれば、あの日のようにつぐみと唇を重ね、安息感に包まれる。
そう思った瞬間、直希はつぐみから離れてしまった。
「直希……」
「……お前の想い、すごく嬉しい。そんなに俺のことを想ってくれてたなんて、気づけなかった。でも……ごめん。お前の気持ちには答えられない」
「どうして」
「俺には……資格がない」
「直希……お父さんとお母さんのことなら……あなたがそれを罪と思うのならそれでもいい。私も一緒に背負ってあげる。私はこれからも、あなたの傍にいたいの」
「……」
「もしあなたに、好きな人がいるのなら仕方ない。それで断られることは覚悟してきた。でも……お父さんたちのことなら、私にも背負わせてほしい。私はあなたを」
「そうじゃないんだ」
「……」
「そうじゃない……いや、それだけじゃないんだ……俺は、俺には……幸せになる資格なんてないんだ。今までも、これからも……」
「どうして」
直希は大きく息を吐くと、その場にうなだれた。
「……」
「直希……ねえ直希」
両手を握り締め、肩を震わせながら、直希が重い口を開いた。
「…………父さん母さんだけじゃないんだ、俺が殺したのは」
「え……」
「……俺はあの時、妹も殺したんだ」
「妹……」
「この話をするのは、お前が初めてだ。じいちゃんばあちゃんにも言ってない。もしかしたら知ってるのかもしれないけど、二人共、俺には何も言ってこない」
「妹ってどういうこと?直希は一人っ子じゃない」
「……母さん、あの時妊娠してたんだ。性別も分かってた。ただ母さん、あの頃少し体調がよくなかったから、もう少し安定してからみんなに伝えよう、そう言ってたんだ」
「嘘……そんな……」
「生きていたら今頃、小学5年ぐらいなのかな。一番かわいい頃だったと思うよ」
「直……希……」
「……俺はあの時、父さん母さんだけでなく、これから生まれてこようとしていた妹まで殺してしまったんだ。
妹が出来るって聞いて俺、嬉しくてな、母さんと一緒に名前も考えてたんだぜ。
母さん似だったら、きっとかわいい女の子になってたと思う。毎日鏡を見ておめかしをして、俺の後をついてまわってたかもしれない」
「……やめて……直希、やめて……」
「来年は修学旅行だ。嬉しそうに笑いながら、友達と一緒に準備しながら、お土産は何がいい?とか、俺たちに言ってたかもしれない」
「やめて……」
「ひょっとしたらかわいいから、男子から告白されたりしてたかもな」
「やめてってば!」
流れる涙を拭おうともせず、つぐみが大声をあげた。
「……俺は妹までも殺してしまったんだ。兄ちゃん失格だ」
そう言って、直希は小さく笑った。
「……だから俺には、幸せになる資格なんてないんだ。この世界に生まれてくること、奏はきっと楽しみにしてたと思う。そんな奏の願いを、希望を……俺が踏みにじってしまったんだ」
そう言って直希は、肩を震わせるつぐみの頭を撫でた。
「ありがとな、つぐみ……こんな俺のこと、好きになってくれて……それからごめん。折角の卒業式だってのに、こんな話を聞かせちまって」
「……」
「そういうことだからさ、つぐみには……これから新しい環境で、新しい恋を見つけてほしい。俺にとって、お前は大切な幼馴染だ。お前さえよければだけど、これからもそういう関係でいたいって思ってる。ただ、お前の気持ちには……答えることが出来ない」
「……じゃあ直希は、これからどうしていくつもりなの」
「分からん。したいこともないからな。だから……毎日を生きて、その中で考えていくつもりだよ」
「……一人で」
「ああ。一人で」
「……」
つぐみが顔を上げ、ハンカチで涙を拭いた。
「私は直希から、離れてなんかあげないんだからね」
「つぐみ……」
「今の話……聞けてよかったわ。あなたのその不幸全開の顔、どうしてなんだろうってずっと思ってた。お父さんたちのことにしても、ここまでになるのかなって疑問だったの。でも、やっと分かったわ」
「幻滅したろ?」
「馬鹿言わないで。幻滅って言うなら、そのことをずっと隠してたことよ。そんな大事なこと、ずっと一人で抱え込んで……馬鹿よ、あなたは」
「……」
「でもね、話を聞いたからと言って、それで私が納得すると思ったのかしら。それこそ腹立たしいわよ。私はね、直希。これでもずっと、あなたのことを見て来たの。あなたへの想いを、あの日からずっと大切に育てて来たの」
「つぐみ……」
「あなたの心の傷、それはとても深いんだと思う。苦しかったと思う、辛かったと思う。でもね、これは同情なんかじゃない。今の話を聞いたからって、私の想いは何一つとして変わってない。だから……」
そう言って、直希を抱き締めた。
「……今日の告白、なかったことでいいわ。でも、いつかきっと、私はもう一度あなたに告白する。あなたの傷が癒えるのが先か、私の想いが届くのが先か分からない。でも私は……今でもあなたのことが好き。大好きよ、直希……」
「お前……本当、馬鹿だな……」
「馬鹿はあなたよ。幼馴染の初恋、軽くみないでほしいわ。それにね、人は変わっていくものなの。あなたの傷も、癒える時が必ず来る。いつかあなたも、きっと恋をする。その時が来たら今日のこと、謝ってもらうからね」
「……勝手にしろ、馬鹿つぐみ」
そう言って、直希もつぐみを抱き締めた。
「うるさい。馬鹿直希……」
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