第84話 あの場所で


「おまたせ」


 海辺の階段に座っているつぐみに、卒業証書を持った直希が声をかけた。


「ごめんなさい、こんな所に呼び出して」


「いいよ。それよかほら、これ飲めよ」


 そう言って、ポケットから缶コーヒーを取り出した。つぐみは「ありがとう」、そう言って受け取ると、冷たくなった手を温めるように持った。


「やっと卒業だな、俺らも」


 つぐみの隣に座った直希が、穏やかな海を眺めながら缶コーヒーを口にする。


「そうね……」


「お前とは保育園からずっと一緒だったけど、この腐れ縁もついに切れるんだな」


「腐ってて悪かったわね」


「いやいや、言わなきゃいけないお約束って思っただけだから。他意はないよ」


「……馬鹿」


「お前はこれから、子供の頃からの夢を叶えるために頑張るんだ。何の目標も持ってない俺からしたら、本当にすごいと思うよ」


「……直希はどうするの、これから」


「特に考えてないかな。大学に入ってから、ぼちぼち考えるつもりだよ」


「まだ目標……見つからないんだ」


「何も考えずに生きて来たからな。大学だって、何かしたくて行く訳じゃない。まだ何をするのか決めてないから、とりあえず受験したってだけだから。それよかほら、早く飲まないと冷めちまうぞ」


「そうね、手もそろそろ温もったし」


 そう言って、ポケットから飴玉を取り出し、口に放り込む。そしてコーヒーを流し込んだ。


「……相変わらずそうやって飲むんだな、お前」


「そうね。小学生の頃からだから、これが当たり前になってるの」


「そこまでしてブラックで飲むってのも、よく分からんけどな」


「いいのよ、これで。私はコーヒー、ブラックでしか飲まないって決めてるんだから。ただ……まだちょっと苦いから、飴を舐めながらでないと飲めないって言うか」


「ブラックを飲んでたら大人って、それこそガキが考えそうなことだろ。別にいいじゃないか、砂糖が入ってても。大体お前、昔から甘党なんだし」


「いいの。いずれは飴がなくても飲めるようにするんだから」


 そう言って口をとがらせるつぐみを見て、直希は苦笑した。





「それで、なんでこんな所に呼び出したんだ?よりによって、いわく付きの場所に」


 ここはかつて駆け落ちをして、二人だけで結婚式をあげた場所だった。


「……いわく付きってのは忘れなさい。あれは子供の頃の夢みたいな物だったんだから」


「夢ね……」


 大きく伸びをすると、そのまま直希は寝そべって空を見上げた。

 つぐみは無言で、ぬるくなったコーヒーを口にする。

 時折吹く冷たい風に震えながら、じっと海を見つめる。


「ほら」


「え……」


 直希は起き上がり、つぐみの肩にコートをかけた。そしてマフラーを外すと、つぐみの首に巻いた。


「い、いいわよマフラーは……私もしてるんだし。それじゃ直希が寒いでしょ」


「お前より頑丈なんだよ、俺は」


「……」


「どうだ?お前が編んでくれたマフラー、あったかいだろ」


「……馬鹿」


 そう言ってマフラーで口元まで隠すと、直希の匂いがした。


「話があってここに呼んだんだよな。でも……お前も寒そうだし、よかったら家に来ないか?じいちゃんばあちゃんも喜ぶし」


 そう言って立ち上がろうとした直希の服を、つぐみがつかんだ。


「……つぐみ?」


 直希が見ると、つぐみの肩が震えているのが分かった。マフラーで隠れている顔も、そして耳も真っ赤になっていた。


「おいおい大丈夫か?まさか風邪ひいたんじゃないだろうな」


 直希が顔を覗き込む。

 直希の吐息を間近で感じ、動揺したつぐみは、覚悟を決めて直希をみつめた。





「――あなたが好き」





「……」


 突然の告白に、直希が動けなくなった。


「……私はずっと、あなたのことが好きだった。子供の頃、私はここであなたと……二人だけで結婚式をあげた。あれは私にとって、忘れることの出来ない大切な思い出……」


「つぐみ……」


 つぐみの瞳は濡れていた。囁くような声は震えていて、吹く風に流されてしまいそうだった。


「……ずっと一緒にいたい、そう思った。でも、二人でここに来て、たくさんの人に迷惑をかけてしまった……多分、直希にもね。

 あの頃の私は、自分のことを大人だって思ってた。まだ何も分かってないのに、全てを分かってるように振る舞って……結婚がどういうことかも分かってなかったのに、分かってる振りをして直希のことも振り回した。だから私は、あれから大人ぶることをやめた。振りをするんじゃなく、大人になろうって決めたの。この……コーヒーもその一つね」


「……」


「早く本当の大人になりたい、そうしたらきっと……大好きなナオちゃんと結婚出来る、そう思ってた。でも……直希のお父さんとお母さんが、あんなことになって……」


「俺のせいなんだけどな」


「だから!そんなこと、軽々しく言わないでって言ってるでしょ!」


 言葉と同時に、頬に涙が流れ落ちた。


「……ごめん。悪かった」


「直希あなた……本当に分かってる?あれは事故、事故だったの。あなたはそうやって、あの火事が自分のせいだって思ってる。自分が殺したって思ってる」


「仕方ないだろ!本当のことなんだから!」


「本当のことじゃない!あなたは何も悪くない、悪くないの!」


 涙を流しながら直希を睨みつける。そして手を振りかざすと、直希の胸を何度も叩いた。


「馬鹿……馬鹿……なんであなたは、そうやって……」


「……」


「私がずっと言ってきた。栄太郎おじさんや文江おばさんだって……あの事故はあなたのせいじゃない、そう言ってきた……なのにどうして……どうして分かってくれないのよ……」


 そう言って、何度も胸に拳を下ろすつぐみを直希が抱き寄せた。


「ごめん……ごめんな。折角の卒業式なのに、泣かせちまった」


「馬鹿……」


 直希に抱き締められたまま、つぐみはそう言って泣いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る