第81話 私たち、これからも


「あのその……ただいま、です……」


 4時を回った頃に、菜乃花が戻って来た。

 この時間、入居者たちは入浴が終わり、部屋で休んでいることが多い。

 スタッフたちは夕食の用意をしていて、そういう意味では、あおい荘が一番静かな時間帯でもあった。


「あ……」


 廊下を歩くつぐみが、菜乃花の姿に足を止めた。


「お……おかえりなさい、菜乃花……」


「あ、はい……ただいま戻りました、つぐみさん……」


 そう言って、二人共視線を逸らす。


「じゃ、じゃあ私、夕食の準備に」


「つぐみさん」


 立ち去ろうとしたつぐみに向かい、菜乃花が言った。


「その……ちょっとだけお時間、もらえませんか」


「あ、その……私ほら、夕食の準備が」


「行って来いよ」


 直希が現れ、つぐみにそう言った。


「直希……」


「菜乃花ちゃん、おかえり。学校、どうだった?」


「あ、はい……かなり微妙な空気でした。先生も、私が実行委員を辞めたいって言ったら慌てちゃって。でもクラス会できちんと、みんなに謝って辞めることが出来ました」


「そっか」


「はい。それにみんな、私の髪を見てびっくりしちゃってて。今日は私に嫌がらせするの、忘れてたかもしれません」


「ははっ。でもあんまりなことがあったら、ちゃんと言ってね」


「はい、ありがとうございます」


「つぐみ、菜乃花ちゃんと行って来いよ」


「でも私、夕食の」


「任せろって。もうほとんど出来てるんだし、大丈夫だよ」


「……」


「せっかくのお誘いなんだ。行ってこいよ」


「……分かったわ。それじゃあ直希、お願いね」


「ああ。菜乃花ちゃんも鞄、部屋に戻しとくね」


「ありがとうございます。では、その……行ってきます」


「ああ。気をつけてね」





「……」


 誰もいない海岸。

 菜乃花もつぐみも、声を掛けるきっかけがつかめず、無言で海を見つめていた。

 台風が去った海は静けさを取り戻し、穏やかな波が寄せては引いていた。


「つぐみさん、その……」


「え?な、何かしら」


 意を決した菜乃花が口を開くと、つぐみが慌てて返した。

 その返しがおかしくて、菜乃花が思わず笑った。


「ふふっ」


「な、何よ……笑わなくてもいいじゃない」


「ごめんなさい。でも、ふふっ……そんなつぐみさんを見るの、初めてで」


「もう、そんなに笑わなくてもいいでしょ」


 そう言って、耳まで赤くしたつぐみが口をとがらせた。


「つぐみさん、私……酷いことを言いました……」


「……」


「私あの時、どうしてあんなことを言ったのか分からないんです。つぐみさんは、何一つとして間違っていない。私の為に、あおい荘の出来事を抱え込んで、私の負担が少しでも軽くなるように頑張ってくれてた……なのに私、つぐみさんに」


「いいのよ菜乃花。私もその……菜乃花のこと、子供扱いしてたんだって思うから」


「そうなん……ですか?」


「ええ。菜乃花は友達、そう思ってた。でもその反面、菜乃花が高校生だってこともあって、心のどこかで保護者気取りな所があったんだと思う。これは菜乃花にはまだ早い、菜乃花には荷が重すぎる、いつの間にかそんな風に考えるようになって、勝手に菜乃花の限界を決めてたの」


「でも、私が高校生なのは本当です」


「私ね、学生の時に思ってたのよ。いつまでも子供扱いしてるんじゃないわよ、あなたたちがそうやって子供扱いするから、私が成長出来ないんだって」


「……」


「馬鹿よね。学生時代に自分が感じてたことを、菜乃花にしてたんだから」


「つぐみさん……」


「だから菜乃花、ごめんなさい。今回のこと……いいえ、今までもずっとね。私、あなたのことを友達って言っておきながら、ずっとあなたのことを見下してた。自分より能力が低くてキャパも小さい、そう思ってた」


「そんな……それは全部本当のことです。つぐみさんが言うように、私は知らないことだらけだし、出来ることも限られてます。でもつぐみさんは、そんな私のことを大切に思ってくれて、育てようとしてくれてます。そんな思いに応えられなかったのは、私なんです」


「私が悪いの」

「いいえ、私が」


 そう言って、互いに自分を責め合う。どちらも引かず、自分を責め続ける。


「だから私が」

「私が」


 顔を向け合い、目が合って、二人は一緒に笑った。


「ふふっ……何よこれ」


「本当……なんだかおかしい……」


 つぐみが菜乃花を抱き寄せた。


「でも……ごめんなさい、菜乃花」


「つぐみさん……許してほしいのは私です。私、つぐみさんに酷いことを」


「あの後でね、明日香さんに言われたの」


「明日香さんに?」


「ええ。それだけの悪態がつけるなんて、あんたたち、本当にいい友達になれたわねって」


「……」


「そう言われてね、私、ちょっとだけ嬉しくなったの。確かにそうかもねって。

 直希以外で、あんな風に私にぶつかってくる人はいなかった。それは、私がいつも正しいからだと思ってた。でもね……それは間違いだった。みんな、私と絡むのが面倒くさかっただけなんだって思ったの」


「つぐみさん……」


「でも菜乃花は、私に正面から向き合って、気持ちをぶつけてくれた。勿論……あの時はショックだったわ。あんな風に人から責められたこと、なかったから。でもね、明日香さんの話を聞いて思ったの。そうか、これが友達なんだって」


「つぐみさん、私……」


「だからね、菜乃花。あなたさえよかったら、その……これからも私と、友達でいてほしいの」


「つぐみさん……私、私だって」


「これからもこうして、お互いに気持ちをぶつけあって、そしてまた……仲直りしていけたらいいなって」


「つぐみさん……つぐみさん……」


 つぐみの胸に顔を埋め、菜乃花が声をあげて泣く。


「これからもよろしくね、菜乃花」


「はい……私こそ、よろしくお願いします」


 砂浜で抱き合う二人。夕暮れに染まる海が、彼女たちを優しく照らしていた。





「じゃあ、そろそろ戻ろうかしら」


 そう言ったつぐみの手を取り、菜乃花が言った。


「つぐみさん。私、あと一つ言わなくちゃいけないことが」


「何かしら」


「私、その……直希さんに告白しました」


「なーんだ、そんなこと?ふふっ、今更そんなこと、改まって言わなくても……って、えええええええっ?」


「つぐみさんつぐみさん、声、声が大きいですって」


「な、な、な、何、菜乃花、今何て」


「ですから私、直希さんに告白しました」


「……直希に」


「はい。そして振られました」


「え……」


「それはもう見事に。直希さん、私のことなんて、全然女として見てくれてませんでした」


「菜乃花……」


「でも私、後悔してません。というか、これからが始まりだって思ってます」


「これからが……はじまり……」


「はい。直希さんの中に、気になる人がいることは分かりました」


「そうなの?ねえ菜乃花、それ、本当なの?」


「ちょ、ちょっとつぐみさん、痛い、痛いです」


「あ……ご、ごめんなさい。取り乱したわね。それでどうして、直希に好きな人がいるって分かったのかしら」


「好きって気持ちなのか、そこまでは分かりません。でも確かに、直希さんの中に気になる人はいました。それは分かりました」


「……そうなんだ」


「だから私、思ったんです。今はまだ、私はその中に入っていない。でもいつか必ず、直希さんが気になってくれるような女になろうって」


「菜乃花……」


「だからつぐみさんも、頑張ってくださいね」


「ええ?わ、私はその、直希のことなんて」


「そんなこと言ってると、脱落しちゃいますよー」


「もぉー、何よそれ。菜乃花の意地悪」


「ふふっ。だからつぐみさん、これからもよろしくお願いしますね」


 そう言った菜乃花の笑顔に、つぐみはため息をついて笑った。


「全く……勿論よ菜乃花。私こそ、これからもよろしくね」


「はい」


 そう言うと、二人は再び抱き合った。


「私たち、これからも」


「はい、これからも」


「友達で」


「友達で」

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