第79話 小山菜乃花
「はい、お茶のおかわり。どうぞ」
「ありがとう……ございます……」
テーブルにお茶を置き、直希は腰を下ろした。
菜乃花は直希に告白したことで、かなり動揺しているようだった。
湯飲みを持つ手が震えている。
そんな菜乃花に、直希は愛おしさを感じた。そして菜乃花の想いの強さを知った。
こんな小さな女の子が、勇気を出して自分に告白してくれた。自分には答える責任がある。そう強く思った。
「菜乃花ちゃんは……やっぱり強いよ」
「……」
「状況がどうであれ、菜乃花ちゃんは自分の気持ちをしっかりと伝えてくれた。確かにその……ちょっと驚いたけど、でもすごいと思う。俺にはとても真似出来ない」
「……私は直希さんのこと、ずっと好きでした。これはただの憧れなんかじゃない、私はこれからも、ずっとこの人といたい、そう思ったんです。
……直希さん。私は直希さんのことが好き……好きです。
このタイミングで言うのは、ずるいと思ってます。でも……それでも私は、直希さんのことが好き、好きなんです」
「菜乃花ちゃん……」
「直希さんのことを考えると、心がどうにかなっちゃいそうなんです。直希さんの声を聞いて、直希さんに触れて、笑顔を向けられて……私にとって、これ以上の幸せはないんです」
「どうして俺のこと、そこまで」
「……私にもよく分かりません。どうしてこんなに直希さんのこと、好きになっちゃつたのか……今まで男の人に対して、こんな気持ちになったことはありません。きっと私は、これからもずっとこんな感じで、男の人とお付き合いすることも、男の人を好きになることもないんだろうな、そう思ってましたから」
「俺は」
「直希さん、好き、好きなんです。ずっとずっと直希さんのこと、好きだったんです」
菜乃花の肩が震えていた。
「……ありがとう、菜乃花ちゃん。菜乃花ちゃんみたいな素敵な人に、そんな風に想ってもらえて……嬉しいよ」
「……」
「でも……ごめん。俺は菜乃花ちゃんの気持ちに答えられない」
「……私に魅力がないから……ですか」
「菜乃花ちゃんは魅力ある女の子だよ。それは間違いない。これは俺自身の問題なんだ」
「聞かせてくれませんか……私、もう泣きそうになってます。体の震えが止まらないし、心が壊れそうで、押しつぶされそうで」
「菜乃花ちゃん……」
「私、勇気出しました。偶然の告白だった、でも後悔はしてません。ずっと……ずっとずっと直希さんに伝えたかった、私の大切な想いなんです。だから……例え振られるとしても、ちゃんと……ちゃんと聞いておきたいんです」
菜乃花の頬に涙が流れる。その涙に気づくと、菜乃花の体の震えはますます激しくなった。歯がカタカタと音を立て、テーブルに大粒の涙が落ちていった。
菜乃花の肩に手をやる。その直希の胸に、菜乃花はしがみついた。
「好き……好きなんです直希さん……私、こんなにも直希さんのこと……好きなんです!」
突然抱きつかれた直希が、バランスを崩して床に倒れた。
上になった菜乃花が直希の頬を撫で、愛おしそうに見つめる。
「直希さん……好き、大好き」
菜乃花の震える唇が、直希の唇に重ねられた。
やわらかく、そして温かい感触。直希の頬に、菜乃花の涙が落ちて来る。
「はぁっ……はぁっ……」
息が続かなくなった菜乃花が唇を離し、肩で息をする。そして再び直希をみつめ、微笑んだ。
豆電球の明かりだけが灯った部屋の中、菜乃花のその妖艶な雰囲気に、直希が息を飲んだ。
菜乃花は瞳を濡らしながら、何度も何度も直希の頬に触れ、そして唇を重ねた。
「直希さん……好き……好きです……」
「……」
菜乃花が膝に顔を埋めていた。
直希はもう一度お茶を沸かすと、菜乃花の前に湯飲みを置いた。
「菜乃花ちゃん……湯飲み置いたから、気をつけてね」
直希の言葉に、菜乃花は無言でうなずいた。
自分が何をしているのか、そんな考えが脳裏によぎった瞬間に、菜乃花は直希から慌てて離れ、「ごめんなさい、私……ごめんなさい」と何度も謝ったのだった。
時計を見ると、4時を少しまわっていた。
雨戸の様子からみて、台風は過ぎ去ったようだった。
「私、とんでもないことを……こんなつもりじゃなかったのに……ごめんなさい、ごめんなさい……」
声を震わせて菜乃花が謝る。それはまぎれもなく、直希が知っている菜乃花だった。
いつも何かに怯えていて、自分の考えを人に伝えることもままならない、お人形さんみたいな女の子。
それが直希の知る菜乃花だった。
しかしさっきの菜乃花は、強烈なまでの自我を現し、自分にそれをぶつけてきた。
強い意志、強い想いを感じた。
今、膝に顔を埋めて震えている菜乃花をみつめながら、直希は不思議と、嬉しい気持ちを感じていた。自分にぶつけてきた、強烈な想い。大丈夫、この子は自分が思っている以上に強い子だ。そう思った。
直希は菜乃花の頭に手をやった。ビクリとした菜乃花だったが、優しく撫でていく内に、体の震えが収まっていった。
「菜乃花ちゃん……大丈夫だよ。俺、別に変に思ってないから」
「でも私……直希さんの気持ちも考えずに、あんなことを」
「そうかもしれないけど、それでもだよ。菜乃花ちゃんの気持ちに、ちゃんと答えられない俺がいけないんだ。菜乃花ちゃんは悪くないよ」
「……」
「それに……こんな言い方したら怒られるかもしれないけど、ちょっと嬉しかったかな」
「……」
「菜乃花ちゃんが、自分の気持ちをストレートに、強くぶつけてくれた。菜乃花ちゃんは弱くない、強い人だって思った」
「直希さん……」
菜乃花が顔を上げると、直希が微笑んでいた。
「さっきのこと、俺が菜乃花ちゃんに無理矢理したら犯罪だけど、そこは女の子の特権ということで」
そう言って、ははっと笑った。
その笑顔がまぶしくて、菜乃花の瞳からまた涙が溢れて来た。
「ごめんね、菜乃花ちゃん。今もだけど、その……今まで、菜乃花ちゃんの気持ちに気づけなくて。いっぱい辛い思い、させちゃってたと思う」
「……辛くなんてありませんでした。私にとってこの半年は、キラキラ輝いた、夢のような時間でした。
直希さんに出会って、直希さんに触れて、その度に直希さんのことを知れて……毎日が本当に楽しかったです……
直希さん、最後にひとつだけ、教えてほしいことがあります。答えてもらえませんか」
「……うん」
「直希さんの心の中に今、気になっている女の人、いますか」
その問いは、直希にとって想定外のものだった。直希が動揺する。
――同時に直希の脳裏に、あおいとつぐみのことが浮かんだ。
「あ、いや……それは……」
動揺する直希の瞳を、菜乃花が真っ直ぐに見つめる。
そしてしばらくすると目を閉じ、小さく息を吐いた。
「……ありがとうございます」
「菜乃花ちゃん……」
「……直希さんの中に、そういう人がいる……それだけで十分です。だって直希さん、恋愛を避けてる訳じゃない。ただそれが、私じゃない、それだけのことなんだって分かりました。
だから私、これからもっと頑張ります。今は……直希さんの中に私はいないかもしれない。でも私、この恋を諦めたくありません。これからもっともっと頑張って、いつか必ず、直希さんに振り向いてもらいます」
「……」
菜乃花の頬に、また涙が流れる。
「だから直希さん……私のこと……これからも見ていてくださいね……」
そう言うと目を閉じ、もう一度直希に唇を重ねた。
しばらくして、菜乃花がゆっくりと立ち上がった。
「私、おばあちゃんの部屋に戻りますね」
「もう……大丈夫なのかい」
「はい……でもすいません。あと少しだけ部屋でご飯、食べさせてもらえますか」
「ああ、分かった」
「これからのこと、しっかり考えたいと思います。直希さんたちに私、いっぱい迷惑をかけてしまいました。だから……自分のこと、これからのことをもう一度考えて、答えが出たら……」
「待ってるよ」
「はい、ありがとうございます」
菜乃花が部屋を出ると、直希は雨戸を開けた。
「……台風も……行ったみたいだな」
雨はやんでいた。空を見上げると、雲もなくなっていた。
「今日は……いい天気になりそうだ」
潮の匂いのする空気を吸い込み、直希が大きく伸びをした。
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