第77話 優しい灯の下で


「駄目だ菜乃花ちゃん!」


「……直希……さん?」


「そんなこと、菜乃花ちゃんに考えてほしくない……いなくなってほしくない!」


 直希が菜乃花を抱き締める。初めての抱擁に、菜乃花は動揺した。

 直希の体温を感じる。直希の力強く大きな胸の中、菜乃花の鼓動は激しくなっていった。


「な……直希さん、その……」


 耳まで赤くなった菜乃花が、声を震わせながら直希に言った。


「何かその……勘違いされてるかも、なんですけど……」


「え……」


 直希がゆっくりと離れ、菜乃花を見つめる。


「勘違い……」


「は、はい……私、直希さんが思ってるようなこと、考えたりしてませんから」


「……」


「……直希さん?」


「よかった……ほんと、よかった……」


 そう言うと、直希は安堵のため息をついた。


「……」


 直希の瞳が濡れていることに、菜乃花の胸はまた熱くなった。





「これでよし」


 雨戸を閉めた直希が、そう言って部屋の電気をつけようとした。


「あ、その……電気、つけないでほしいです……」


「え、でもこれじゃあ暗すぎない?」


「今はその……その方が落ち着くって言うか……」


「……分かった。じゃあこのままで……と言いたい所だけど、どうしようか。このままこの部屋で寝るのは危ないし、よかったら俺の部屋にこない?」


「ええっ?直希さんの部屋にですか」


「うん。一階の空き部屋はここだけだし、菜乃花ちゃん一人を二階で寝かせるのも、ちょっと違う気がするんだ。それに多分俺、今夜は眠れそうにないから。よければ付き合ってもらえないかな」


 そう言って菜乃花の手を取る。久しぶりに感じる直希の手の温もりに、菜乃花は頬を染めてうなずいた。





「どうぞ」


「お邪魔……します……」


 部屋に入った直希は、豆球だけをつけて座布団を出した。


「お茶、入れるね」


 押し入れから半纏はんてんを取り出し、菜乃花の肩にかけてそう言った。


「……」


 半纏はんてんをはおった菜乃花が、頬を染めて微笑む。


(落ち着く……)


「はい、おまたせ」


 湯飲みを受け取ると、菜乃花は「ありがとうございます」そう言って一口飲んだ。


「……あったかい」


「よかった。雨のせいか、今夜は冷えるからね。おかわりが欲しかったら言ってね」


 温もりのある優しい灯りが、二人を照らす。

 静かな部屋の中、直希と二人でいることに、菜乃花の胸の鼓動は高鳴った。


「落ち着いた?」


「え、あ、はい……ありがとうございます……」


「いや、そっちもなんだけど、菜乃花ちゃん自身のこと」


「……」


「菜乃花ちゃんが大変だったこと、少しだけど教えてもらったよ。川合さんって子から」


「美咲ちゃんが……どうして」


「菜乃花ちゃんが心配で、ここに来てくれたんだ」


「そう……だったんですか……」


「ごめんね、菜乃花ちゃん。真っ先に謝らないといけなかったんだけど、でもその……菜乃花ちゃん、本当に辛かったと思うし、誰にも会いたくないって言ってたから……だから菜乃花ちゃんが落ち着いてから、謝ろうと思ってたんだ」


「そんな……どうして直希さんが謝るんですか」


「俺が菜乃花ちゃんに、無責任なことを言ったんだ。挑戦したらいいんじゃないか、頑張ってもいいんじゃないかって。考えてみたら俺、菜乃花ちゃんの都合も考えず、菜乃花ちゃんがどんな学校生活を送ってるのかも知らない癖に、好き勝手に言っちゃって……きっと菜乃花ちゃん、俺があんなこと言ったから、プレッシャーに感じて無理をしたんじゃないかって」


「そんなことないです。私……直希さんに励ましてもらって、本当に嬉しかったんです。それに理由はどうであれ、実行委員になって頑張ろうと思ったのは私なんです。直希さんが謝ることなんて、全然ないんです」


「でも」


「いいえ、これだけは私、直希さんがどう言おうと譲れません。直希さんは何も悪くない、悪くないんです」


「……ありがとう。やっぱり菜乃花ちゃん、強いね」


「そう……ですか?」


「うん。今の菜乃花ちゃんを見て、そう思った。菜乃花ちゃん、自分で何も決められないとか、周囲に流されてるとか言ってたけど、そんなことないよ。菜乃花ちゃんは自分の中に、しっかりとした信念を持ってる。そういう菜乃花ちゃんを見れて、ちょっと嬉しいかな」


「そんな……恥ずかしいです……」


「ははっ……それで菜乃花ちゃん、少しデリカシーのないことを言わせてもらうけど、その……色々されたんだよね」


「……はい。美咲ちゃんが言ったこと、大体合ってると思います」


「そっか……菜乃花ちゃんが男子に告白されたことで、他の女子たちから反感を買った」


「……」


「菜乃花ちゃん、前に好きな人がいるって言ってたよね。その人は今回のこと、知らないのかな」


「あ、いえその……多分知ってると思います」


「そうなんだ。でもやっぱ、クラスの女子全員でのいじめとなると、その人も何も出来ないか」


「……」


「俺もね、昔似たような目にあったことがあるんだ」


「直希さんが?」


「うん……つぐみにも言ってないことなんだけどね。俺、前に勤めていた施設で、ある人に好意を持たれてたらしいんだ」


「同僚の方にですか」


「施設に常駐していた看護師さん。年は……俺より10ほど上だったかな」


「……」


「でも俺、鈍感だから。その人が俺に恋愛感情を持ってくれていること、分からなかったんだ。

 その人が度々、仕事終わりで俺に声を掛けてきて、よく食事とかに行ったんだ。と言っても、そこで話すのは仕事のことばかり。だから俺は、仕事熱心な人だな、そう思ってたんだ。

 そんな状態が三か月ほど続いたある日、その人が真剣な顔で言ってきたんだ。『新藤くんは、好きな人とかいるんですか』って」


「……」


「その時も俺、何も考えずに『俺、そういうことに興味ないんです』って即答したんだ」


「それ……鈍感にも程がありますよ」


「言わないで責めないで。後で同僚たちにも、散々責められたんだから」


「ふふっ……」


「結局その時、その人はそれ以上何も言ってこなかった。そして次の日。いつものように出勤した俺は、スタッフに挨拶した。でもその時、職場がおかしな空気になってることに気づいたんだ」


「……どんな風に、ですか」


「俺の職場、と言うか俺の担当のフロアはね、俺以外みんな女の人だったんだ。言ってみればハーレム状態」


「ふふっ」


「でもその日から、スタッフが俺と目を合わさないようになったんだ。勿論、仕事の話はするんだけど、それもよそよそしくて……何て言ったらいいのかな、俺だけがその場にいちゃいけない人、みたいな感じになってたんだ」


「……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る