第75話 ぬくもり
風呂場に入ると、明日香は菜乃花を座らせ、頭からシャワーを浴びせた。
「きゃっ」
「あはははははっ、びっくりさせちゃった?ごめんごめん」
「あ、その……明日香さん、いいです、自分でやりますから」
「いいからいいから。今日はあたしに任せて」
そう言ってシャンプーをつけ、髪を優しく洗っていく。
「みぞれー、しずくー。あんたたちはほら、後で洗ってあげるから。シャワーでお股キレイキレイして、お風呂に入っておきな」
「はーい」
「はーい」
「しかしあれだねー、やっぱなのっちの髪、綺麗だよねー」
「そんなこと……」
「いやいや本当、さらっさらのふわっふわなんだもん。あたしのかったい髪と、交換してほしいぐらいだよ」
「明日香さんだって、その……綺麗な黒髪で」
「ありがと。でもさ、これって無い物ねだりってやつなのかな。あたしは昔っから、この針金みたいな髪が嫌いだった。コンプレックスって言ってもいいくらい。だからね、なのっちに初めて会った時、羨ましいなって思ったんだ」
「私は、その……明日香さんのような、日本人形みたいな綺麗な髪に憧れてました」
「あはははっ、日本人形は言い過ぎだよ。ん?でもないか、あたしってやっぱ、綺麗なんだよね」
「はい……明日香さんは本当に、綺麗だと思います……身長だってあるし、胸だって、その……」
「ん~?胸がなんだって~?」
「ひゃっ!あ、明日香さん、胸、胸触らないで」
「ふっふ~ん。隠したってお姉さん、分かってるんだぞ~。なのっちあんた、胸、大きくなったでしょ」
「え……あのその……」
「つぐみんとジム、行ってるんだよね」
「知ってたんですか」
「モチのロン。でもね、胸を大きくしたいのなら、鍛え過ぎには注意しないとだよ」
「え、そうなんですか?」
「うん。昔聞いたことがあるんだ。胸ってとどのつまり、脂肪でしょ?あんまり鍛え過ぎちゃったら脂肪が燃焼されて、胸が育ちにくくなるんだって。適度な運動はいいんだけど、つぐみんも一緒なんだから、多分限界までやってるんじゃないかって思ってたんだ」
「そう……ですね。つぐみさん、私よりも多くのメニュー、こなしてましたから」
「あはははははっ、やっぱりね。今度つぐみんに言ってあげなよ。それ、逆効果ですよって」
「そうなんだ……あ、でも、私……」
「ん~?」
「私その……つぐみさんに、酷いこと言っちゃって……」
「酷いことって、どんな?」
「……つぐみさんなんか、友達じゃないって」
「あはははははっ、なのっちあんた、言う時は言うねー」
「わ、笑いごとじゃなくて……だから私、もうつぐみさんとは……ひゃっ!」
明日香が、菜乃花の胸を思いきりつかんだ。
「あ、明日香さん……」
「なのっち、あんたねぇ、ちょっと真面目過ぎ。友達だったらさ、喧嘩の一つや二つぐらいするわよ。大体ね、そんなことぐらいで友達が終わっちゃうんだったら、世の中に友達なんていなくなるよ」
「そうでしょうか」
「そうなの。それにね、つぐみんが友達だからこそ、なのっちは言ってしまったんじゃない?」
「……」
「つぐみんと出会ったばかりの頃だったら、そんなこと言えた?」
「いえ……それは……」
「でしょ?そう言うもんなのよ。そりゃあ、結構きついこと言ったなって思ったけどさ、それって逆に考えてみたら、なのっちがつぐみんに甘えてたってことでしょ。友達ってことじゃん」
「……」
「世の中にはね、言いたくても言えない間柄の方が多いの。例え本心でないとしても、そうやって自分が感じたり思ったことをぶつけ合える、そんな人がいるって、幸せだと思うよ」
「ぶつけ合う……」
「まあ、つぐみんもショックだったとは思うけど。それでも、言いたいことも言えずに、表面的にいい言葉だけを探して付き合うのって、あたしは違うと思うな」
「……」
「はい完了!」
「あ……すいませんでした、背中まで流してもらって……」
「いいのいいの。おーい、みぞれー、しずくー。交代だよ、こっちおいでー」
「はーい」
「はーい」
みぞれとしずくが、元気よく湯船から出て来た。
「……にしてもなのっち、あんたってば本当に色白よねー。お人形さんみたい」
「あ、いえ……そんなことは……」
「でも……ちょっと血色悪いかな。シャワー浴びたから、マシにはなったみたいだけど!」
そう言うと、力任せに菜乃花の背中を張った。
「きゃっ!あ、明日香さん?」
明日香が手を離すと、菜乃花の背中に見事な手形がついた。
「すごーい、もみじー」
「もみじー」
「え?え?」
菜乃花が慌てて、鏡越しに背中を見る。
「明日香さん……なんてことするんですか、もうっ」
「あははははははっ、ごめんごめん。でもね、これはなのっちへのプレゼントだから」
「何のプレゼントなんですか」
「頑張れってエール」
「え……」
「詳しいことは聞いてない。あたしはダーリンから、なのっちに元気をあげてくださいってお願いされただけ」
「直希さんに……」
「一番の心配は、食べてないことと、部屋で腐ってたこと。だからあたしは、お風呂を任せてもらったの。ぼさぼさの髪で着替えもせず、部屋で布団にくるまってたらね、よくなる物もよくならない。人ってね、身だしなみを整えるだけでも、気持ちが前向きになっていくものなの。だからね、なのっち。辛いかもしれない、何もする気にならないかもしれない。でも、身だしなみだけはきちんとしようよ。お姉さんと約束、してくれないかな」
「明日香さん……」
「それともう一つ。その手形が消えるまでに、自分の足で部屋から出て来ること。学校に行けだなんて言わない。近くを散歩からでもいい。とにかく外の空気を吸って、大きく伸びをして。そうしたらね、心も少しずつ軽くなっていく。また頑張ろうって、そういう気持ちも生まれて来る」
「……」
「あたしがそうだったから、間違いないよ。亮平が死んだ時、三日ほどだったけど、家から出れなくなったの。でもね、あたしにはみぞれとしずくがいた。いつまでもあたしがこんなんじゃ、この子たちがかわいそうだ。そう思ってね、勇気を出して外に出たの」
「明日香さんは……強い人だから」
「そんなことないない。この子たちがいなかったら、そのまま廃人コースまっしぐらだったかもしれないんだから。それでね、外に出て、お日様をいっぱい浴びたの。そうしたら不思議と、力がみなぎってくるような気がしたの。だからね、なのっち。挑戦してみて」
「私、その……」
「それでもし、手形が消えてもまだ部屋に籠ってるようだったら、また手形をつけに来るから」
「ええっ、そうなんですか?」
「そうなの。ほら、体冷えちゃうよ。湯船につかって、あったまっておいで」
「あ、はい……」
明日香は自分を責めない。何があったのかも聞かない。
でも彼女の優しさが心に染みて、菜乃花は自然と涙ぐんでいた。
自分をこんなにも心配し、励ましてくれる人がいる。
つぐみだってあおいだって、そして……直希もそうだ。
そう思うと、自分の甘さが嫌になり、涙が次々にあふれて来た。
「ママー、なのっちが泣いてるー」
「泣いてるー」
「そうだねー、泣いちゃってるねー。どこか痛いのかもしれないから、なでなでしてあげたら?」
「わかったー」
「なのっちー、なでなでー」
みぞれとしずくの小さな手が、菜乃花の頭を優しく撫でる。
「ひっ……ひっ……わた……わたし……」
その手の温もりに、菜乃花は声をあげて泣いた。
湯船に顔をつけ、泣いた。
そんな菜乃花をみつめ、明日香は優しく微笑んだ。
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